タイトル 福田博士の超マイナーな研究の果て 改定前文になります。
「出会う前から恋してるっ」第一話

 ところは辺鄙な山奥。そこに暮らしているのが福田夜光(ふくだ やこう)だった。
 福田は今、この山にしか生えないと言うヒカリゴケの生態を調べていた。
年中光るわけでもないし、いつも光っているわけでもない。
しかし言い伝えによるとそのコケには人型の生体が宿っていて、それに会えるといいことがあるとか。
もっと親しくなると御利益がもらえるとか、地元の村では言われている。
でもその反面その姿を見た者は命を落とすとも言われているので、祟りを恐れた村人はこの山にはまず登っては来なかった。


 だから福田が人と会うのは滅多にないし、福田自身が門番的な役割をしているのではないかと言われてしまっているくらいだ。なので今日も山の谷にヒカリゴケを取りに出かけた福田なのだが、どういうわけか今日はそこまでたどり着けない。
「いったいどうしたって言うんだ…」
 今日に限って朝靄がそのまま谷に止まってしまい、どうやっても目的の場所に着けない。先にも行けない代わりに後にも戻れない。福田は困ってしまいその場にしゃがみ込んだ。
「霧が晴れるまでどうしようもないな…」
 止まったところはちょうど大きな岩の上で、よく見るとその岩は下が少し窪んでいて休憩するのにちょうどいい形をしていた。
「これはいい」
 霧に包まれていると知らぬ間に洋服が濡れてしまう。それを少しでも防ぐために福田はそこに入り込んだ。
大きな岩の下まで来てそこに入り込むとスッポリとくるまれるような感じがしてウトウトとしてしまう。
「なんだか眠いな…」
 岩に背中をつけたら、そのとたんに後ろに倒れ込んだ。
「うわっ!」
 忍者屋敷のからくり仕掛けにも似た要領で福田は岩の中に飲み込まれた。そしてしこたま頭と背中を地面に叩きつける結果になったのだった。
ドンッ! と音こそしないが、打ち所が悪ければ死んだっておかしくない。
「痛っててて…。何だよ…これ……」
 岩がドアみたいになっていて、そこにクルリと入り込んだのは分かっている。
で、中はと言えば、中はヒカリゴケでいっぱいで黄色から緑のネオンに照らされているような感じがしていたのだった。



「お前、よくここに来れたな」
「は?」
 声のするほうを見上げるとヒカリゴケと同じように天井にへばりついてこちらを見ている男。たぶん男・がいるのを確認して身動き出来なくなっていた。
「名を申せ」
 男の顔は長い髪が垂れているのでよく分からないが、見えている顔の下半分を見る限りたいそう整った顔をしているように見えた。だがイカツイと言うよりは美人タイプ。きっと普通の人間ならばモテるだろうなと思えるほどだ。
 声の具合もキツくない、そのしゃべり方は一瞬女かと思うほどだが、声が低いので男だなと判断出来る。
「え、っと…」
 どうしようかと思う反面、今の状況を素早く解析している自分がいるのに気がつく。福田はどうしたらこんな状況になるのか…と気が動転してもいた。
「あ、あんたこそ誰なんだよ。まずはそっちが名乗ってからだろ」
 ちょっと強い口調で言うと、相手は考えてからニンマリと笑った。
「よし。それもそうだから教えてやろう。俺の名はコウ。ヤマガミコウだ」
「あ、ああそう…」
 案外まともな名前を持っている。と思っていると「お前は?」と聞かれたので福田も名前を名乗ることにした。
「俺の名は福田夜行と言う。この山に生えるヒカリゴケの研究をしているんだ」
「…俺の研究か」
「お前の?」
「だって俺がヒカリゴケだから」
「いやいや。お前はヤマガミコウだろ」
「ああ。だからここの山の神だ。俺の神種はヒカリゴケ。そんなにいないから珍しがられる」
 ムフフと含み笑いをするところをみると、自分のことを神だと思っているし、今自分は人間と話しているんだとも分かっているらしかった。
福田は変わった神もいるものだと思ったが、そのとたんに村人から聞いている言い伝えのことを思い出してゾッとした。
 彼らはヒカリゴケを神だとは思っていない。
 大切にはしているが、それがここの神だとは思っていない。それを初めて知った自分は得意げになっていいんだろうか…と頭の片隅で思ってしまったが、いいわけない。
 それよりもっと単純におかしなことになっていやしないか、よく考えろと自分に言い聞かせた。
「お前は神か」
「ああ」
「今までこんな風に人を石の中に誘い込んだこととかあるのか?」
「いや。言っちゃあなんだが、お前がこの中に入ってきたのはお前の意志だ。俺の意志じゃあない」
「俺の意志だと?」
「ああ。お前はよっぽど俺に会いたかったんだな」
 クスクスッと笑われて怪訝な顔になる。
 そんなことあるもんかっ。
 福田は口にしたかったが、絶対かと問われればそうだとも言えないので口ごもってしまった。
「夜光と言ったか」
「あ、ああ」
「ここはどうだ?」
「どうだって…」
「快適か?」
「って聞かれてもな…」
 この大きさのどこが快適なのか。
 石としては大きいが、そこで暮らしていけるかと聞かれればそれはノーだ。
せいぜいカプセルホテルとしか言えないだろうと思える広さしかなかったからだ。
「快適ではないか」
「寝るだけならここでもいいよ。でもここには出口も入り口もない。それに狭い。真っ暗じゃないけど暗い。堅い」
「それではいいことなしではないか」
「俺にとってはね。あんたにとっては快適かもしれないが、俺にとっては駄目なところだ」
「そうか。人間にとっては駄目と言うことかな?」
「たぶんね」
「では聞き方を変えようか。石の中にいる気分はどうだ」
「初めてだから何とも言えないな」
「…」
「あ、でも貴重な体験をしていると思っているよ。とても奇妙で貴重でデンジャラスだ」
「デンジャラス?」
「ああ」
「意味はなんだ?」
「……意味不明的な?」
「意味不明なのか?」
「意味不明だろ」
「そうか。そうなのか」
 ふーん…と天井で背中をつけて腕組みをしたコウは神妙な顔つきをしていた。
 まさか今までもそうやってきたかと言うんじゃないだろうな…。
 いや、答えは聞かなくても分かっているような気がした。
「お前、今までもこうやって神隠しとかって言われてないか?」
「神隠し?」
「ああ」
「ではお前も神隠しに会ったと思ってるのか」
「ぁ、ああ…。そういうことになるのか…。って、俺ヤバいんじゃね!?」
 あー。 こういうことか。

 人と神が会うとこういう現象が起きるんだ。

 福田は思ったが、かといってそれがどうしたと言う面もある。
現世にやり残したこととか未練があるなんて全然ない。強いて言えばこの研究が終わってないことくらいだ。そして発表できないことくらいだ。
 親はもういないし、兄弟もいない。友達もみんな同じような研究熱心なやつらばかりなので、一人くらいいなくなっても分からないくらいだ。
 心残りは…やっぱり研究が終わってないことくらいだった。
 ひとり山奥で暮らす福田にとって、それだけが生きる支えとでも言おうか。そう考えると良い方向に転んだのかもしれないと思う。もしここで自分がいなくなっても知りたいことを知れるチャンスがきたと言うことだ。
 そういう捉え方はどうだろう。
 フムフムと自分ひとりで考えていた福田だが、ひとり悦に入っているところに目の前にコウが目に入ってきてギョッと後ずさってしまった。
「なっ…なんだ」
「お前、いつもそうやってひとりで考えてひとりで笑ってるのか?」
「えっ?」
 俺が?
「俺、ひとりで笑ってる?」
「ああ。とても楽しそうだ」
 ニタニタとされて自分の姿を知らなかったことに恥ずかしさを覚えた。
「俺も楽しいぞ」
「何が?」
「お前が楽しいと俺も楽しいんだ。分かるか?」
「いや…」
「どうしてだか教えてやろうか」
「ぅ…うん…。ぁ、いややっぱりいい」
「どうして」
 知るのが怖い。と言葉に出して言いたかったのだが、言うのがためらわれた。だがコウは福田のそんな思いなど構わずにさっさとしゃべり始めた。と言うか、しゃべりたかったのだろう。顔がとても嬉しそうだったからだ。
「お前が俺を好きだからだ。だから俺はお前の前に現れた。そして今でもお前は俺が好きだ。その気持ちに変わりはないだろう」
 ガシガシと肩を揺さぶられて思わず「うん」と答えてしまう。
 その後すぐ、石の中のヒカリゴケが輝きを増し、室内が揺らいだ。
「わっ…! なっ…なんだっ?!」
「動かないで。少し大きくなってるから」
「はっ?」
 いったい何を…。
 回りを見回してみると、どんどん石の中が膨らんでいるように思える。そして明るくなっているようにも思える。
 福田は口をあんぐりと開けたまま内部で起こる変化に目を凝らしていた。
「お…まえ。いったい何を…」
「厳密には俺がしているんじゃない。俺とお前の気持ちがシンクロしてるって言うか…。要するにこの現象自体波長が合わなければ起きてないことになる」
「えっ…と…」
「もう一度言う。これは俺の意志じゃない。あくまでもお前と俺の波長が合った時に起きる現象なんだ。わかったか」
「分かった…けど…」
 不思議だった。
 びっくりしたまま石に起きる現象を見ていると、ほぼ倍の大きさになって動きが収まった。
「で?」
「で?」
「これからどうなるんだ」
「それは俺じゃなくてお前が決めることだ」
「俺はこれからどうなるのかが分からないから聞いてるんだ」
「知らないよ」
「無責任なこと言うなっ!」
 思わずカッとして怒鳴ってしまった。それを見たコウはキョトンとしてから大げさな笑いをした。
「もしかしてお前、ここから出たいとか思ってるんじゃないのか?」
「…普通はそうだろう。ここは俺のいる場所じゃない」
「そうか。ここはお前のいる場所じゃないと判断したわけだな?」
「普通そうだろう!」
「…寂しいな」
「寂しい?」
「ああ。俺は今までこうして人と話したことはないんだ。ただ窓から外を見て人の姿を確認する。そしてそれを真似て話したりしていた。こんなふうに石の中に入ってきてくれたのは、お前が初めてだって言うのに…」
「は…じめて? 初めてなのか?」
「ああ」
「じゃあ…」
 今まで神隠しとされてきた現象は何だったのか…。
 昔から山にはそんなことが起きていると聞く。だから福田も勝手な憶測で、これもそうだろうと思っていたのだが…。思い返してみれば村人から神隠しがあったなどと言う話は一度も聞いたことがなかった。だからここには昔からそんな現象はなかったのだ。そしてそんな現象が起こったのはこれが初めて。つまり自分が第一号となってしまったのだなと解釈出来たのだった。
「あのな」
「なんだ」
「昔から神隠しってのが人の世界ではあるんだ」
「…」
「何の脈絡もなく突然人が消える。そんなことを神隠しって言われてるんだが、お前がこんなこと初めてだって言うんなら」
「俺は初めてだが、他の奴はどうだか知らないな」
「他の奴?」
「ああ。この山に神は俺しかいないが、ただのヒカリゴケも長いこと生きながらえていると性を宿る。それは見た目は俺と同じように人型をしていて何ら変わりはない」
「その差はどうなってるんだ。神と神じゃないただの長生きヒカリゴケ」
「どうもなってないよ。ただ神か神じゃないかの差くらいかな」
「普通は神のほうが偉いと思うんだが」
「そんな順位付けはどこにもないよ。俺は確かにヒカリゴケの神であり、ここの神でもあるんだけど、他の奴らが俺に助けを求めてきたことはないし、なかったから、これからもないと思っている。だって俺らここから出たことないしね」
「じゃあ、お互いの存在を知るだけの立場ってことか」
「うん。そうかも」
「出ようとか出たいとか思ったこともないのか」
「出来ると思ってなかったから。出来る…のかな、そんなこと…」
「俺が入って来たんだから、お前も出来るんじゃないか?」
「ああ。そういうことも考えられるね」
 ふーん…と顎に手をやって考えていたコウだが、そうだね…とトンっと手を叩いた。
「やってみるだけの価値はあるかな」
「それはお前次第なんじゃないか? 俺だって出たらどうなるか分からないって言うのに、ましてやお前が出たらなんて…」
 考えただけで怖かった。
 もしかしたらこいつは出たらこのまま消えてなくなるんじゃないかとも思う。
「やめておいたほうがいいんじゃないか? 俺が出たとしても、どうなるか分からないって言うのに…」
「……お前は今まで生きてきて楽しかったか?」
「それなりに楽しかったんじゃないか?」
「それなりにとは、どういうことだ」
「だからそれなりだよ。可もなく不可もなく、あっ、でも俺はお前の研究をしてきたんだからお前と会えて本望かな。もしこのままここから出られないとしても悔いはあんまりないよ」
「あんまりって…十分未練があるじゃないか」
「かな」
「だろ」
「悔いがあるのは、俺がお前のことを研究結果として人々に話せないことくらいだ。でもまあ今となってはいいのかもしれないな。こんなに普通にヒカリゴケ、しかも神と話せるんだからな」
「…それっていいことか?」
「いいことだとは思わないのか?」
「…考えたこともなかったから分からないな…」
「じゃあ一緒に考えてから、これからどうするか決めようか」
「だな」
「だな」
 そうやってふたりは笑い合うと、これからのことを話し始めた。
 時間の経過は全然気にならなかった。これから石から出た時、出られた時、ふたりがどうなるのか、世界はどう変化しているのか。それが気がかりでもあり楽しみでもある福田なのだった。
終わり