タイトル「下僕犬」試読。

 ボタンひとつで空間に画面を呼び出したり、電話や受話器を持たなくても人と連絡がついたり出来る時代。街には人型のペットも現れだしていた。犬型・猫型・獣型。続々と開発される人工のペットたちは、本来の機能とは別に色々な機能が主人によってチョイスされていた。
「ポチ」
「……私はポチではございません。私の名前はニト。末利屋ニトです」
「どっちでもあんまり変わらないと思うんだけどな。同じ二文字だし」
「だいぶん違うと思います。それより雪李様、そろそろ学校に出掛けましょう」
「……お前連れて行くの嫌なんだけどな…」
「お気持ちは分かりますが、それが私の役目でもございますので」
 見た目二十代後半。ハーフっぽい顔付きに肩にかかるウエーブかかった茶色の髪の毛。背は少し高い大人の身長ほどあり、肩幅もがっちりしているので、着せているスーツもよく似合う。人と違うところと言ったら猫耳と間違うほどの犬耳を鬼の角の位置につけていることくらいだろうか。
 雪李と呼ばれたのは、末利屋雪李(まつりや せつり)。この春高校に上がったばかりの高校一年の男子だ。外見が可愛らしく、背もまだ人より少し小さいためによくからかいの対象になったりするが、ニトを連れて歩くようになってそれも少し落ち着いた。
 落ち着いたはいいのだが、今度はニトの容姿に目をつけた女子や男子が寄ってくる。まったく雪李の回りは、いつになっても安心することが出来ない空気が漂っていた。


「おはよっ」
「あぁ、おはよぅ」
「おはようございます、久喜様」
「おはよ。相変わらずお堅いのね」
「あいさつは常識です」
「そっかそっか。それより雪李。宿題やってある? 現国のプリント」
「やってあるよ。あるけど、あれはほとんど漢字じゃん?」
「だから見るんじゃない。かしてっ」
「教室行ってからね」
「雪李様。それは良くないことでは」
「このくらいしてもいいの」
「しかし、それでは久喜様の学力アップにはなりません」
「いいのよ。学力アップにならなくても」
「久喜様…」
 ちょっと悲しそうな顔をするニトを尻目に、二人は学校まで楽しく会話して歩いた。
 久喜みのり。彼女はツインテールがよく似合うちょっと勝ち気な女の子だった。だから二人して並んで歩いていると付き合ってるとか言われがちだが、本人たちにその自覚はまったくなく、とても気の合ういいお友達と言う感覚でしかなかった。
 学校について教室に行くと。ペットであるニトは、教室の一番後ろに設けてある椅子が定位置だった。ニトには授業を受けなくてはならない制度はないために、雪李が授業を受けている間はおとなしくそこで待機するか、学校内を自由に歩くことが出来る。それもこれもニトが愛玩型ではなく防護型だから出来ることだ。
「雪李、プリントプリントっ!」
「あー、ところどころ違うの書いてくれよ。でないと丸写しってのバレバレじゃん」
「分かってるって!」
 席に着いたとたんプリントを要求され、仕方なくカバンから取り出すと奪われる。雪李はため息をつきながら席に座ったが、そのプリントだって実は昨日出来ないところをニトに埋めてもらったものだったりする。
「雪李様。私、外を見回ってきてもよろしいでしょうか」
「ああ。でもそれ、本来お前の仕事じゃないんだからなっ」
「はい。しかし学校の安全は雪李様の安全に繋がるかと」
「……いいよ。そこまで考えなくても」
「ニトって立派ね…」
「いえ」
「言って来いよ。どうせここにいたって何もすることないんだから」
「では、失礼します」
 深く頭をさげてから綺麗なフォルムで歩きだす。それを見送ることもなく雪李は、迫る授業に焦る久喜を見つめた。そんな時だと言うのに、久喜は急に手を止めて顔を上げた。
「ねぇ」
「ん?」
「名前欄取っ替えっことか、していい?」
「……駄目だっ! 駄目に決まってるだろうっ!」
「へへへっ…」
 やっぱり? とか言いながら必死になってまた手を動かしだす。本当に女の子なのだろうか……と雪李は額に手をやって考えてしまったが、ウカウカしていると本当に名前欄を書き換えられない恐ろしさに顔をしかめもした。
 今度からは見せてやんないんだからっ!


 朝のHRが終わって、一時間目が終わっても二時間目が終わってもニトは教室には帰ってこなかった。
「どうしちゃったんだろうね…」
 久喜は心配したが、始終一緒にいる雪李は却って羽が伸ばせて調子がいい程度にしか考えてなかった。
「どうしちゃったんだろうな…。でもあいつのことだから、用務員さんに掴まって雨樋の修理とかさせられてるかもしんない」
「優しいもんね…」
「優しいんじゃないよ。優柔不断って言うの」
「うーん……。ニトってさ、明らかに他のペットと違うじゃん? どうして?」
「より人間に近くなるように学習能力機能をアップしてあるからじゃないのかな…」
「ふーん…」
「ニトは僕より頭いいし、体力あるし、優しいし、見た目はいいし。ってワケで、あいつは主人の陰を薄くさせるペットでもあるんだ」
「確かに…。雪李、影薄っ! って感じだもんね」
「ばか。そこジョークだよ、ジョーク。直球で受け止めんなよっ!」
「ごめんっ、ごめんっ」
 はははっと受け流す久喜と一緒に次の授業は…と考える。
「あれ? そういえば次、音楽室じゃない?」
「あー、そういえばそっか…。雪李、今日ハーモニカいるって知ってた?」
「うん」
「……あ、そ。私知らなかった。教えてくれればいいのに」
 久喜は口を尖らせたが、それを忘れていなければ、きっと現国の宿題も忘れてやしないだろう。今日いるすべてのものを忘れてるんじゃないかと言うくらい忘れ物が多かった久喜に雪李はため息を漏らした。
「久喜って今日相当ボケてるよね…」
「正直に言いましょうかっ。私、今日全科目忘れてるかも」
「え?!」
「実は持ち物曜日ごと間違えたんですっ」
「それは……ご愁傷様。でももうこれで半分クリアだから」
「だよねぇ。雪李、そういうトコ馬鹿にしないから好きっ」
「そう?」
「うんっ」
「じゃ、僕は先に音楽室行ってるから。誰かにハーモニカ借りておいでよ」
「言われなくてもよっ。ったく、どうしてこの学校は、そんなもの生徒にさせるのかしらねっ」
 誰に聞かせるでもなくブツブツ言いながら、久喜は友達のところにハーモニカを借りに行った。それを見送ってから雪李は自分も音楽室に向かったのだが、指定されている音楽室はいくつかある音楽室の中でも一番遠かった。
「久喜、大丈夫かな…」
 自分でさえ今から歩いて時間内にたどり着けるかどうか…。
 前に誰ひとりいないのを心配しながらも雪李は一番遠い音楽室に向かって歩いていった。

 ふたつほど校舎を跨ぎ、学校でも一番奥にある校舎の一番奥に目的の音楽室はあった。雪李は最後の校舎を繋ぐ渡り廊下を歩いてそこに向かおうとしたのだが、廊下をわたり切ったところにある階段にたむろしていた学生たちと目が合ってしまい行く手を阻まれてしまった。
「あれぇ……? 今日はペット同伴じゃないのかよっ」
「ほんとだ。雪李ひとりぼっち? いつもの彼女は?」
「どっちもいないとさみしいねぇ。俺たちが相手してあげましょうか…」
「………どいてくださいっ」
「やだよぉ。どいたら雪李行っちゃうんだろぅ?」
「当たり前ですっ。ちょっ、先輩…。やめてくださいっ!」
 ひとりに手首を握られ、逃げられなくなると、もう一人が顔を近づけてくる。そしてもう一人はいつの間にか雪李の後ろにきていた。
「せっかく会ったんだからさ、仲良くしようよ」
「俺、雪李の縦笛舐めたいなぁ…」
「やっ…」
 息がかかるほど近くで言われて逃げるに逃げられない。後ろから腰に手を回されて股間を揉まれるとバサバサッと持っていた教科書が床に落ちた。
「ぁ、雪李、授業放棄だ」
「ほんとだ」
「じゃあ違う教室行こうか」
「行こうか」
「行こうか」
「やっ…。やめてっ…」
 言う口を手で塞がれて三人がかりで担ぎ上げられると、雪李は階段を一気に下って一階の一番奥にある理科準備室に連れて来られた。
本誌に続く
タイトル「下僕犬」試読-0808