タイトル「井の中の蛙は今日も元気に空を見る」

 空が高くなった。しかしいつまで立ってもこの視界の位置が変わらないのが悩みのひとつだったりする少年がここにいた。
 人の視界の高さと言うのは、もちろん人によって違うのは分かっている。だけどいったん他人の高さを知ってしまうと、それは憧れにも似たものとなってしまうのだ、特にこの高校生・立木瑪瑙(たちき-めのう)については。
 身長156cm体重49kg。ちょっとした女の子だ。見た目も黙っていれば可愛らしい面立ちをしているので、近寄ってくる男女は多い。
 特に男の場合、そこに愛を求めたりするから厄介でもあり迷惑でもある。
 ちなみに女の場合は奴隷化だ。横柄に扱われるのは慣れていないので、初めての時はビックリしたが、何度も同じことが繰り返されれば嫌でも付き合いたくなくなると言うものだ。
 だから愛だの恋だのと言う感覚で人を見ることはしなくったのだが、例外もいる。それは羽野良平(はの-りょうへい)だ。
 あの背の高さ。忘れられなかった。
 以前段差を誤って大げさに転んでしまった時、とっさに抱き上げて保健室まで運んでくれたことがあったのだ。その時の見えるものの高さの違い。絶対に忘れない。それに自分の顔の近くにあった奴の顔。実に魅惑的だったのだ。
 立木瑪瑙の1日はそんなこんなで始まって終わる。だから気付いてないのは本人だけで周りはすべて気がついているのに、教えてやっているのに本人だけが気づかない。おめでたい恋なのだった。

 今日も一日頑張ろうとあくせくして学校への道を走る。目の前には羽野良平の姿が見えてくる。後ろ姿でも分かってしまうくらい視線の中心に入ってくる。彼の後ろ姿は瑪瑙にとっては日常の1コマになってしまっていたのだった。
「良平っ!」
 叫びながら後ろからタックルする勢いで抱きつく。助走がついているので、ほとんど走りおんぶ状態なのだが、瑪瑙は気にしなかった。何故ならあの視界が自分のものになるのだからだ。
「おまえっていいよな。こんな景色が死ぬまで見れて」
「別に好きで見ているわけじゃない。この身長になれば嫌でも誰でも見る光景だ」
「……嫌味か。それはこのチビッチョな俺に対する嫌味かっ!?」
「そうは言ってないだろう。じゃあ逆を考えてみろ。お前は毎日この俺に後ろから蹴りを入れる勢いで抱きついて背中に乗ってくるが、俺にはそれが出来ない。それはかわいそうではないのか?」
「ぅ、うーん……」
 そりゃまあ、そうなのだが……。
 だがしかしそれは物理的な問題なのであって、心情的な問題とは違うと思う。
 良平は瑪瑙になりたくないからだ。あわよくば替わりたいとか、思ってないからだ。それを毎回言うのだが、良平は分かってくれないのだ。こちらの考えが通じないのだ。
 瑪瑙はそれが面白くなくてしがみついている首を後ろから羽交い締めにしてみるのだが、良平はニヤリと笑うだけで抵抗はしなかった。
 しないどころか今まで勝手にしがみつかせていただけだったのに、それをすると手を伸ばして正式なおんぶをしだす。つまり良平は瑪瑙の尻を完全にしっかりと否定出来ない公然の場所で触ってくるのだ。でもそれは悪いことではないので怒るに怒れない。登校途中尻を触られた瑪瑙は急におとなしくなって校門をくぐるのだった。

 瑪瑙の1日は良平から始まり良平を通して良平で終わる。
 同じクラスで瑪瑙が斜め後ろの席なせいもあるが、いつも瑪瑙の視界には良平が入っているのだった。
 不真面目な瑪瑙に比べて良識のある良平はクラスでは風紀委員をしていた。だから人のことを注意する前にまず自分が身なりや姿勢を整えないと他人が注意出来ない立場にいるのだ。
「だらか瑪瑙もそれなりにするように」とも言われるのだが、瑪瑙には「それなり」の意味が皆目分からない毎日だった。
 それなりと言うのは、いったいどういうことか。
 ちゃんと宿題をして、先生にしかられることなく校門をくぐって家に帰ることなのだろうか。だとしたら瑪瑙にだってそのくらいのことは出来るし、している。だけど良平はそんなことを言っているのではなかった。
「目立つなと言うのが言いたいんだ」と毎回しつこく言われる。
 目立つ、目立ってないの言い合いは日常茶飯事。
 なので好き・嫌いの言い合いも日常茶飯事なのだ。
 つまりふたりは仲がいいと言うことなのだが、肝心の瑪瑙にはそれが分かってないらしい。最後に人のいないところに引っ張り込まれて抱きしめられてキスされるとようやくおとなしくなる。
「好き」と言われてぎゅっと抱きしめられると自然に言い合いもなくなるのだった。
 瑪瑙の夢は良平と同じ高さになること。そしてそうなったら今度は瑪瑙が良平を抱きしめて抱き上げるのだ。
 夢は大きいほうがいいと言うけれど、瑪瑙の夢はちょっと無謀な感じがする。第二次成長期が来るのはいつだろう。瑪瑙は毎日牛乳を飲みながら意欲を燃やすのだった。
終わり
タイトル「井の中の蛙は今日も元気に空を見る」