タイトル「君に好きって言って欲しい」試読。

「ここでキスしろッ!」
 言った手前、後には引けない。
 藤枝律(ふじえだ りつ)は、恋人である花ノ瀬小五郎(はなのせ こごろう)に人前でのキスを強要してしまっていた。
 王様ゲームでもないのに人前でのキス。しかも学校内での食事時間。
「……」
 言われた小五郎は、大きな体に似合わぬ小さな弁当箱を片手にボケッとしている。そんなところを見てしまうと余計引くに引けない。それもこれも回りの視線を意識してしまっているせいだ。
「早く! しろって言ってるだろッ?!」
 リツは勢いよく椅子を倒すと小五郎の前に立ちはだかった。
「そんなこと言われてもなぁ……」


 本当にそうだ。
 キスしろと言われても、恋人同士だと言われても、二人の仲はぶつかり合いのキス止まりだったのだ。しかもゲームの延長線上で起きた紛らわしいほどのお遊びキス。
 それでも本気にしてしまったのはリツのほうだし、それは冗談だったと言えなかったのは小五郎のほうだった。
 友達だった二人の仲が恋人と呼ばれるようになったのは、翌日リツが学校中に言い回ったせいだ。
 リツはいつでも自分の判断が正しいと思っている。だから「それってちょっと違うんじゃない?」と思っても、みんなは言うに言えなかった。彼の言動に口出し出来るのは、今のところ小五郎だけでもあったのだ。
 口の中に物を入れて立ちはだかっているリツを見た小五郎は、それはちょっと無理なんじゃない? と言う顔をして見せたのだが、相手は受け付けてくれない。
 ムシャムシャゴックンッと口の中の物を飲み込むとキュッと唇を引き締める。いつでも来いっ! と言う合図らしいが、キスとはそうやってやるもんじゃない……。教えてやりたかったのだが、それも回りの期待の眼差しが許してくれそうもなかった。
 そもそもどうしてリツが脈絡もなくそんなことを言い出したのか。
 それは教室に面した廊下を歩く誰かが口にした「あいつら口先だけの恋人…」と言うささやきがどうやらお気に召さなかったらしい。
 聞こえなくてもいいことが聞こえてしまうと厄介なことになる。それが今だったりする。
「って、今じゃなくても……」
「今じゃなきゃ駄目なんだっ!」
「………」
 地団駄を踏んで怒鳴るリツに、仕方なく立ち上がった小五郎は向かい合って小さなその肩に手を置いた。
「おーっ」と回りからどよめきが起きる。が、小五郎は回りなど気にしていなかった。気になるのは、ただただ相手のご機嫌だけだ。真っすぐに相手を見つめて伺いを立てる。
「本当に…いいのか……?」
「お、おぅ……!」
 強がっていることくらいすぐに分かってしまう。なのに前言撤回をしないところがまたリツでもある。小五郎はちょっと困ったように笑うと手の甲で自分の口をこすり、踏ん張って立っているリツに顔を近づけていった。
 唇と唇が触れ合うかと思った瞬間、肩に置いていた手でリツの後ろ髪を引っ張る。ビックリして口を開けたリツに覆いかぶさるように抱き着くといきなり舌を差し込んだ。
「うっ! …ん……っ……!」
 慌てるリツに容赦のない小五郎は、相手の腰に回すと上半身をのけ反らせて苦しい姿勢を取らせた。それもこれも始まってしまったが最後、納得いくまでやらなきゃ気が済まないのが小五郎でもあったからだ。
 ジタバタするリツの口内に舌を這わせ、必死で逃げるリツの舌を簡単に捕らえて絡めてじっくりと味わう。
 回りからは感嘆にも似た声が聞こえてきた。それを耳にしながらも勢いづいた行為は止まらずに相手にむしゃぶりつく。
「ん! んんっ…! ん……!」
 何か言いたげに顔をそらせようとするリツに、それが出来ないようにもっと体を反らせる。バレーのプリマドンナ並に体を反らせ、もうほとんどつま先しか床についてなくて、代わりに髪の毛が床につく寸前。
 そんな苦しい体勢でもキスをやめなかったから、徐々にリツの抵抗には勢いがなくなってきた。それに気がついた小五郎は、今度は相手の膝裏に手を差し込むと抱き抱える格好を取っていた。
「おっ…おい、お姫様だっこ…だぞっ…………!」
「おー! 花ノ瀬が藤枝をキスしながら、お姫様抱っこしたぞっ!」
「なんちゅー!」
「似合ってる…………」
 回りから色々声は飛んだが、この場合この処置は仕方ないと思った。
 だってあまりの展開に、と言うかあまりの小五郎の執拗さに、リツは途中で気を失ってしまっていたからだ。
「ぇ…あ、ちょ……!」
「どこ行くんだよ……!」
「花ちゃんったら…!」
「………」
 キスしながら抱っこして、小五郎はそのまま大股で教室を出る。
「ぷはぁ………」
 廊下まで出て保健室に直行しながら大きく息をしてみる。腕の中でぐったりとしているリツを見てしまうと、もう一度キスしたくなってしまうのだが、相手に意識のない時にするキスなど意味があるわけもない。
「ごめんな」
 つぶやいてみるが相手は返事をするはずもなく、小五郎はちょっとだけ機嫌良さそうに口の端をあげて保健室に向かった。



「先生。こいつが教室で気絶しました」
「………それは何をやったから、なのかな?」
 校内でも評判の若い校医:国木田初音(くにきだ はつね)が、リツを抱いたまま入り口に突っ立っている小五郎に向かって聞いてきた。
「…聞くんですか? そんなこと」
「聞かなきゃ駄目だろう。どうしたら健全な生徒が昼日中に気絶なんかするんだい? まさか乱暴なことでもされて…」
「みんながいる教室ですよ? 乱暴なことって、いったい何なんですか」
「とにかく、彼を寝かせようか。こっち来て」
「はい」
 促されるまま一番奥のベッドにリツを寝かせると、国木田と向き合って診察用の椅子に座る。
「で、何で彼は気絶したのかな?」
「キスしろって言うから、キスしたら気絶しました」
「………キス?」
「はい」
「……君は、しろって言われればするんだ。キス」
「相手にもよりますけど、先生なら全然OKですよ」
「………それは、どういう基準?」
「単純に自分のものさしですから、言い表すこと出来ません。でもリツとは恋人らしいですから、してもいいんじゃないでしょうか」
「……なに、その「らしい」っての」
「リツが昨日学校中にそう言って回ったんです。俺としては、恋人でも友達でもいいんですけど」
「相手がそうなら、それでいいんだ」
「ですね」
「何で?」
「それは、相手がリツだからです」
「あ、そうなんだ………」
「はい」
「じゃ、やっぱり恋人同士なんだね」
「……たぶん」
「………」
 ちょっと解釈しかねるな……と言った顔をする国木田に、にっこりとほほ笑み返す。
「俺のこと変な奴とか思ってるでしょ」
「うん。僕は根が正直だからね」
「いいんですよ、別に。俺はあいつが喜ぶんなら、あいつが望むことはしてやりたいって思ってるだけですから」
「………それって健気って言うのかな……?」
「そう取るかどうかは、その人次第だと思うんですよ。ただ、俺はあいつの喜ぶことを」
「あー分かった分かった。でもね、花ノ瀬君。ここは学校であって、みんなの前でキスをご披露する場所ではないんだよ?」
「……そういうことは、起きたらあいつに言ってください。俺はあいつが喜ぶこ」
「分かった分かった。もうそれ以上言わなくていいからっ。つまり、分かったよ。君の答えはいつでも同じなんだ。最終的には藤枝に行き着くと。それでいい?」
「何だ。分かってるじゃないですか」
「うん。今分かったんだよ、結果が」
 はははっ……と乾いた笑いをする国木田にさっきと変わらぬ笑顔を繰り返す花ノ瀬。それ以上話が続くはずもなく、小五郎は教室に帰るように促された。
「いちいち見に来なくてもいいからね」
「………先手ですか?」
「うん。一応言っておかないと、授業が終わるたびに見に来そうだから」
「………じゃあ、いつ来ればあいつに会えます?」
「一、二時間会えなくても死にはしないだろ?」
「……」
「そうだな。もう午後二時間しかないんだから、HRが終わったら彼の鞄を持ちながら来れば?」
「そうします。それまであいつ、頼みます」
「はいはい」
 苦笑する国木田を尻目に小五郎はやっと椅子から立ち上がると保健室を出ようとしていた。
「先生は、ずっとここにいますよね?」
「ん? 何でかな?」
「…………いや、いるんならいいんですけどね」
「いや、だから何で? って聞いてるんだけど」
「…………じゃ、また来ます」
「おーい……」
 その答えが知りたくて仕方ない国木田が出入り口までついて来るのだが、結局小五郎はそれが何でなのかを教えてやらずに教室に戻った。ただのいぢわるだ。





 放課後。小五郎が保健室に行くよりも前に、決まり悪そうな顔をしたリツが教室に戻ってきた。
 まだHRも終わっていなかったので、騒ぎにはならなかったが、注目の的であることは確かだった。リツはちょこんと自分の席に座ったのだが、気になるのはやっぱり小五郎だ。チラチラと一番後ろにいる小五郎を振り返るのだが、彼はまともにリツを見ようとはしなかった。
 き…らわれたのかな………。
 そんな心配事ばかりが沸いて出る。だけどそう思っているのは半分だけで、もう半分は彼が自分を嫌いになるはずないと言う妙な自信もあった。
「リツ。大丈夫だった?」
「ぇ…? ぁ、うん。よく寝た」
「そんならいいけど」
 後ろの席にいる新美末羅(にいみ まつら)が背中越しに聞いてきた。
 彼とは同じ背格好な分、話が合うのだが、逆に環境が同じ分、ヘタに警戒心は抜けない。リツは自分が彼ほど可愛らしい顔をしているとは思ってないし、彼ほど臨機応変に回りを気遣うことも出来ないと自覚していた。だけどそんなことくらいで彼に小五郎を譲るつもりはこれっぽっちもなかった。

『花ちゃんってさ、誰か付き合ってる人…いるのかな………』

 先週リツにそう聞いてきたのは末羅だった。
『ぇ…………?』
『ほら、リツいつも一緒にいるじゃん? どんな子が好き、とか聞いてないかな…って思って』
『……………しら…ない…………。そんなの知らないっ』
 とっさにそう答えてしまってから妙に意識している自分がいるのを知っていた。そしてゲームの途中で触れてしまった唇と唇。もう黙っていられなかった。
『俺、小五郎のこと好きっ…………! かも』
『……………ふぅん』
 言われた返事に落胆してしまうような、それで良かったような、複雑な感情のまま時間が過ぎてしまった。
 時間が過ぎるごとに、日にちが過ぎるごとに、自分の感情に押さえがきかなくなってきているのも分かっていた。だから廊下から聞こえてきた「口先だけの恋人」と言う言葉がきっかけになって、もうほとんど勢いで「ここでキスしろ!」とか大暴言を吐いてしまったのだ。
 口にしてしまってから取り返しがつかないとも気づいていた。だけど撤回だけはしない。出来るわけないと言うのも分かっていた。
 だって俺、小五郎のこと好きだもんっ!
 ここで事実を作ってしまっておけば、末羅も他の誰も小五郎に手を出すことは出来なくなる。
 リツはそんな思いで脚を踏ん張っていたのだが、うまくはぐらかされても仕方ないとも思っていた。だけど小五郎は真正面からそんなリツを受け止めてくれた。
 ただし、あんな展開になるとは夢にも思わなかったのだが………。


 HRが終わると鞄片手に勢いよく立ち上がったリツは、まだ鞄に手もかけていない小五郎の前に立っていた。
「あ、あ、あのさっ……!」
「………もういいのか?」
「……う、うんっ!」
「………帰る?」
「うんっ! 帰るっ! 一緒に帰る!」
「………」
 何か言いたげな小五郎にドキドキしながら鞄を抱く。普通のスピードで教科書を鞄に突っ込んでいる彼を見つめていると、後ろから末羅が声をかけてきた。
「リツ。凄かったね、お姫様抱っこ」
「え…?」
「だからお姫様抱っこ。花ちゃんにされてたじゃん」
「そう…なの?」
「ぇ…知らないの?! 覚えてないの?!」
「ぅ…ぅん…………」
「え、ホントに?! 嫌だなぁ、もぅ! ね、花ちゃん!」
「……別にいいけど」
 ボソッと言う小五郎に末羅が回り込んで、背後から抱き着きながら言葉を続けた。
「僕だったら嫌だな。そんなに大切なこと忘れちゃうような恋人っ!」
「………」
「べっ…別に忘れたわけじゃないっ!」
 そう。最初から覚えてないのだから、忘れようがないのだ。
 リツは言いたかったが、言えばまた言い返される。これに関しては弁解の余地がない。却ってそんなことをされていたのも覚えていない自分を怒りたい気分だった。
 鞄を抱く腕にギュッとまた力を入れて悔しがる。ギリッと歯を食いしばった時、後ろにいた末羅を無視した小五郎が鞄を手に立ち上がった。
「リツ、帰るぞ」
「……うん…」
「ちょっと花ちゃん! 急に立ち上がんないでよっ! すっ転んじゃうじゃん!」
「リツ」
「……」
「花ちゃん!」
 末羅が転びそうになったと怒っているのに、そんなことはそっちのけで真正面から向かい合ってくる。気恥ずかしさだけがリツを襲うが、俯けば下から覗かれて口先が尖った。
「リツ」
「…」
「花ちゃん!」
「お前は黙ってろっ!」
「………ちぇっ」
 相手にして欲しい一心の末羅を怒鳴りつけた小五郎は、リツの顔をしっかりと見るようにまた下から覗き込んできた。
「リツ」
「………んだよっ!」
「じゃあ、どこまで覚えてるんだ?」
「ぇ?!」
「あ、それ僕も知りたいっ!」
 また口を挟んできた末羅を二人して一瞥すると、彼はそそくさと自分の席に戻っていった。
「リツ」
「……なに」
「キスしろと言われれば、俺はいつでもどこでもしてやるよ? でも、むやみやたらにせがむのはやめろ。唇が減るぞ」
「えっ?! 唇って…減るのか?!」
「ああ、擦り減る。だからこれからは考えてから口にしろ。いいか?」
「ぅ、うんっ!」
 まったく初耳だった。
 そっか…。キスすると唇が擦り減るんだっ…。だからみんなあんまりしてないんだな…。 妙に説得力のある小五郎の言葉に「なるほど」と納得してしまったが、肝心なことは聞くに聞けなかった。


 下駄箱を出て駅まで。
 わざと遠回りをして知ってる奴の少ない道を選んだ。小五郎はそんなリツに何も言わずについてきてくれている。遠回りの遠回りをして住宅街の小さな公園に脚を踏み入れると手近なベンチに腰掛けた。
「休憩か?」
「うん」
「ふぅん…」
 何も聞かないから何も答えてくれない。小五郎とはそんな奴なのだが、リツは今までそれを苦痛に思ったことはない。椅子に腰掛けて前かがみになると手持ち無沙汰げに両手の指を絡ませる。
「ぁ…あ、あのさ……」
「はっきり言え」
「お…姫様抱っこって何?」
「もう一度聞く。どこまで覚えてるんだ?」
「ぇ…っと………」
 実を言えば昼の休憩は最初からテンパってたのでほとんど覚えてないのだ。「ここでキスしろ!」と言ったのは覚えている。そしてそれが実行されたことも。
「じゃあ、まず聞こう。お前は自分が言った言葉は覚えているな?」
「うんっ」
「なんて言った?」
「…………ここで…キスしろ……って。って! 何で?! なにす…!」
 グイッと肩を抱かれたかと思ったらチュッと頬にキスされた。アッケに取られてしまったリツは小五郎が自分から離れても身動き出来なかった。
「言葉通りにしたまでだ」
「ぇ……」
 じゃあ、もうこの言葉言えないじゃん……。
 聞かれるたびにそう答えると、どこかにキスされる。
 これってそう言うことだよね……?
 ギクシャクとしながら相手を見ると、小五郎は前を向いたままの格好で目だけチラッとリツを見て笑った。
「んだよっ、馬鹿にしてっ!」
 勢いよく立ち上がると、腕を取られてもう一度座らされる。
「ぅわっ!」
「言っただろ? 俺はしろって言われれば、いつでもしてやるよって」
「って! 今のは完全に違うだろっ?!」
「そうか?」
「そうだろっ?!」
「でも、もうした後だから関係ない」
「って、お前…確信犯じゃんっ!」
「そうか?」
「そうだよっ!」
「で、それから?」
「……ぇ?」
「キス。したの覚えてるか?」
「ぅ…ぅん………」
「それから?」
「そ、それから……ぇっと……何か逆エビ反り固めみたいなのされた」
「……………すげー表現力だな、それ」
「ん? 違うのか?」
「いや、違わないけど………。しかしそう表現するのか、お前は……」
 深く考えだしてしまう小五郎を見たリツは、それが自分の記憶の間違いなのかどうかもあやふやな部分があるから、どう行動したらいいのかが分からなかった。
「俺、なんか変なこと言ったのか?」
「いや、いいんだ。合ってる。しかし逆エビじゃない」
「んじゃ何だって言うんよっ」
「ただの上体反らしだ」
「…………一緒じゃん?」
「うーん………。まあいい。それから?」
「逆エビ固めで俺の記憶はおしまい。苦しかったぞっ!」
「そうか……。お前の記憶は「苦しい」だけなのか……」
「それから、どうなったんだ? 俺は」
「たぶんお前は、逆エビのあまりに苦しさに気絶したんだな。俺の腕の中で体の力が抜けてぐったりしてきたから、そのまま抱いて保健室に運んだ。その時のことをみんなはきっと『お姫様抱っこ』と言ってるんだ」
「ふぅん。じゃあ、お前は正しいことをしたまでなんだ」
「正しいこと?」
「俺、ぐったりしたろ? そのまま放っておかないで保健室に連れて行ってくれた。これ、正しい。だろ?」
「ぁ…ああ、まぁな」
 苦笑する小五郎にリツは小首を傾げたが、自分から口にしたキスの味すら覚えてないのを思い出した。
「ぁ……」
「今度は、なんだ?」
「俺………お前に謝らなくちゃ」
「何を謝るつもりなんだ」
「俺……俺さ、昼飯食ってる最中にあんなこと言っちゃってホントごめんっ!」
「……」
「小五郎、俺のことにかまけて弁当まともに食えなかったろ?!」
「…………そっちか…」
「うんっ! ほんとごめんっ!」
 バシッと両手を合わせて、ほとんど小五郎を拝む。自分はあんな言葉を言うことになって最初から食事も喉を通らなかったので別にいいのだが、突然あんなことを言われた相手のことを考えると悪くて悪くて仕方なかった。
「許しちくれぃ…」
「いいよ、別に。お前抱っこ出来たし」
「ぇ……っと……………。それから俺……せっかくしてもらったんだけど……味、とか全然覚えてないんだよね……」
「何の?」
「キ…キスとかの………」
「それじゃあ、今からもう一度」
「いやっ! それは、いいっ! 今日は…もういいからっ! さっきしてもらったしっ!」
「そうか?」
「う、うんっ! うんうんっ!」
 危ない危ない……。
 迂闊なことを言うと唇が擦り減る。
 小五郎に教わったばかりなのに、小五郎自身は頓着ないらしい。
「なぁ、お前は擦り減らないの?」
「唇か?」
「うん」
「俺は、お前のためなら別になくなったっていいんだ」
「えーーーヤだなぁ、俺は。唇なくなった小五郎見たくない」
「俺はリツがリツなら唇くらいなくても平気だけどな」
「変だよ、それ」
「何が変なんだ」
「見た目が変ってこと。唇なくなったの想像してみ? 変だろう…」
「……じゃあ逆に聞くが、お前は唇のない人見たことあるのか?」
「ぁ……あれ? ない……よな? あれ、なんで?」
「ないだろう? あれはなくなると、今度は腫れてくるんだ。本当だぞ?」
 クスクスしながら言われて、ようやく自分がからかわれているのに気づいた。
「あーーっ!! また人を馬鹿にしてっ!」
「はははっ。お前可愛いから、ついなっ」
 笑いながら手を伸ばしてきた小五郎の腕に掴まりながら引き寄せられる。股の間に座らされて後ろから覆いかぶさって来られると、なんだか後ろから熊の毛皮を背負っている気分だった。
「じゃあ、今度は俺の番」
「へ?」
「どうしてあんなこと口走った?」
「……あんなこと?」
「昼間。ここでキスしろなんて……」
「あ…れはっ………!」
「言わなきゃ解放してやらないぞ」
「……」
「言っておくが、俺はそれを怒ってるんじゃない。なんであの時だったのか、それがお前の口から聞いてみたいんだ」
「だって………………」
「早く続きを言え」
「…………やっぱり言えない。言いたくないっ!」
「……お母さんは、お前をそんな子に育てた覚えはありませんよ?!」
「お前、お母さんじゃないじゃんっ!!」
「いいから言えよっ」
「いーやーだっ! 言いたくないっ!!」
「どうしてそんなに頑な、なのかなっ?!」
「小五郎こそっ! どうしてそんなことに、こだわるのかなっ?! もしかしてもしかしたら、何か心にやましいことがあるから、どうしても俺の返事が聞きたいとかっ?!」
「何だ? それは」
「お前のことだもんっ! 俺は知らないよーだっ!」
 ガシッと後ろから被さってきているのに、リツはそれを下から擦り抜けて向かい合った。本当はすぐに教えてやっても良かったのだが、何となくまだ恥ずかしくてそんなことが言えなかった。
 だって俺たち、まだキスしかしてないのに……。俺のほうが先に好きになったなんて言いたくないじゃんっ!
 ただの負けん気。
 それは自分でも分かっていた。だけど小五郎を末羅に取られたくないと言う思いと同時に、自分のほうが彼を好きだと言うのがこっ恥ずかしくて仕方なかったのだ。だからどちらの理由も口に出来ないし、言いたくない。その結果がこれだった。
「リツ!」
「いーやーだっ! 言いたくないっ! 言わないっ! 小五郎なんて嫌いだっ!!」
 ガバッと後ろを向くと一目散に駅に向かって走りだす。一、二歩大きく自分を追ってきた小五郎は、すぐに脚を止めていた。いったん公園を出たところで振り向くと相手の位置を確かめる。そこで思いっきり「あっかんべー」をして全速力で駅まで走った。
「くそっ! くそっ! くそっ……!」
 は…ずかしいだろっ?! いきなり……そんなこと言うの!
 真っ赤になってしまった顔がより赤くなる。リツは駅まで一度も立ち止まることが出来なかった。





「リツ………」
 まんまと下から擦り抜けて逃げてしまったリツを目で追いながら、小五郎は相手の名前を口にしていた。
 おかしい……。
 どうしてこんな展開になってしまったのか…。あまりに執拗に聞き過ぎたせいだろうか……。小五郎は考えたが、ここはやっぱり肝心なところなのでちゃんと聞いておかないと、と言う見解に達する。
「俺は間違ってない、よな……?」
 ドサッと公園の椅子に腰を下ろしながらつぶやいてみる。リツのあの変化は正確に言えば一昨日のゲームからと記憶している。しかしもしかしたら自分が知らないだけで、本当はもっと前からリツの中では変化していたのかもしれない。
 そうなるともうお手上げだ。
 どうしたものか……と難しい顔をして道行く人を睨んでいると、そこに一台の車が止まった。
 一度だけ短く鳴らされたクラクションに驚いて中を見ると、そこには昼間世話になった国木田が運転席で軽く手を上げていたのだった。
 相手はこっちが気づくと手招きをしてきた。ちょうどひとりになってしまって面白くないところだ。それに彼ならリツが起きた時、何か話しているかもしれない。そんな考えから車に近寄って行く。
「何やってんの。ここ、随分学校から遠いと思うけど」
「帰るところですよ。センセ送ってってくださいよ」
「いいけど……、誰かに見られるとまた厄介なことになるからなぁ……。どうしよっかなぁ……」
 とか言いながら口元が笑っている。つまりはOKと言うことだ。小五郎はカギがかかっていない助手席のドアを開けると勝手に乗り込んでいた。
「じゃ、俺が勝手に乗り込んだってことで」
「ふぅん。じゃ、勝手に運転再開しよっかなぁ……と」
 鼻歌でも歌いそうな感じで国木田が後方確認をしながら車を発進させる。
「どこ行く?」
「先生はどこに?」
「そりゃ家に帰るんでしょ、普通は」
「普通は、ね」
「じゃあ、花ノ瀬君はどこまで行って欲しいんですか?」
「そうですね……俺なら……」



 我が儘を聞いてもらい、小五郎は彼に少し離れた山林公園に連れてきてもらっていた。山の中にあるハイキングコースとかアスレチックとかある、だだっ広い公園だ。そこの駐車場で男二人して外にも出ずに車の中にいた。
「何かあったのかな?」
「あったって言うか、なかったって言うか……。どっちなんでしょうね……」
「僕に聞かないで欲しいな」
「すみません……」
「……」
「あれからあいつ、先生に何か言いました?」
「…たとえば何を?」
「………分かりません」
「それじゃあ僕も分からないよね」
「そうですね」
「………」
 何も言うことがなくて沈黙が続く。
「外に出て歩かないか?」
「………はぃ」
 さすがに車内で黙り込んでいるのに限界を感じたのか、国木田がそんな提案をしてくる。体の大きい小五郎には、正直彼の車にずっと入っているのは息苦しかったのでちょうど良かった。
 夕暮れが迫り、ランニングや犬の散歩をする人たちがチラホラといる中、男二人で連れ立ってトボトボと散歩コースを歩いた。
「結局さ、花ノ瀬にも藤枝の本当の気持ちが分からないんだ」
「何でです?」
「だって悩んでたみたいだし」
「悩んで? 俺が?」
「そう見えたけど、違うのかな」
「……ある意味合ってるし、ある意味違いますね。俺があそこにいたのは……いや、いいです」
「また言えないんだ」
「……」
「いいけど。……君、言ったよね。僕にならキス出来るって」
「……まぁ」
「じゃあ、ここでキスしてみよっか」
「……ぇ?」
「出来る?」
「…ここで、ですか?」
「そう。出来る?」
 一緒に並んで歩いていた国木田の脚が止まる。顔は笑っているものの目は笑っていない。振り向いた小五郎はそれを感じていた。
「……出来ますけど、したくないです」
「……何で?」
「……」
「いいよ、別にしなくても。でも、それじゃあもっと藤枝君にアタックしなくちゃ」
「してますよ、それなりにいつも」
「たぶんそれじゃあ不十分なんだよ」
 にっこりと国木田がほほ笑む。それを見た小五郎は、苦笑を返すしかなかった。
 足りないって? これ以上俺に行動を起こせって……けしかけてるのか?!
 言うに言えない言葉が頭の中を駆け巡る。
 それは相手に言われれば行動するが、こっちからは決してしてはいけないと言う小五郎独自の理念を崩すものでもあった。
「俺は、あいつを壊せませんから。あいつが望むことなら何でもするが、望まないことはしたくないんです。失礼しますっ」
「遠いよ? 歩いて帰る気?」
「……」
「ごめん。僕が悪かったよ。今のは訂正するっ。するから、ここから歩いて帰るなんて言わないでくれ」
 足早に歩く自分の後ろを国木田が追いかけてくる。腕を取られて歩きを止められると改めて詫びを言われた。
「ごめんっ。君たちのことには、もう口出ししないからさっ」
「………」
 再び歩きだすと腕を掴んだままの国木田も一緒に歩きだす。
「こんなところから歩いて帰るのは駄目だからね。ちゃんと駅まで送って行くからね」
 それから車に戻るまでずっと、国木田は小五郎の腕を掴んで放さなかった。
 よほど遠いところに来たつもりでいたのだろうが、小五郎にとってはそんなに遠い感覚はなく、却って駅をいくつか通過してちょうどいいくらいだったのだが……。





「花ちゃんてさ、結構触手いっぱいあるんだ」
「何それ」
「へへへ。いろんな種類選ぶなぁって思って」
「だから何言ってんだよ」
「見ちゃったんだよね、昨日。知らなきゃいいんだけど」
 翌朝。小五郎と顔を合わせたくなくて、いつもより何本か早い電車に乗ってきたリツは、席についたとたん末羅に絡まれていた。
 相手が何を言っているのかが全然分からない。だけどあまりいい話ではないことくらいリツにも分かる。けげんな顔をしたまま教科書を机に突っ込んでいると、前に回り込んだ末羅が机に両肘をつけながら勝ち誇ったような笑顔を作ってきた。
「リツさ、昨日花ちゃんにキスねだって、お姫様抱っこしてもらったのにね。残念だね」
「だから俺、お前が何言ってるのか分かんないんですけどっ?!」
 あんまりクドクドと言うので、朝から冷静さを無くしてしまう。
 そりゃ昨日はあんなこと口走っちゃったし、そんなこともされたかもしんないけどっ! だけど俺………。
「僕、見ちゃったんだよね。昨日花ちゃんが国木田先生とデートしてるとこ」
「は? 国木田?」
 誰だっけ……。
 言われても誰だか把握するのに時間がかかる。
 国木田、国木田……っと………。
「国木田先生。知らないの? 保健室の」
「あぁ、あの先生か……………。と、デート?!」
「あー、やっぱり知らなかったんだ」
 ふふん…と、優越感に浸る末羅を目の前で見るとブルブルと体が震えてきた。
 いや、しかしこれはこいつの俺いぢめであって、小五郎がそんなことするはずない。
 証拠もないことにいちいち反応していては身が持たない、と相手にしないことを決めるが、なかなか相手は承知してくれるものではない。
「嘘だよ、そんなのっ」
「嘘じゃないもーんっ! 僕、ちゃんとこの目で見ちゃったんだもんっ!」
「嘘だ!」
「嘘じゃないったらっ!」
「うーそーだっ!!」
「うーそーじゃないったらっ!!」
「うーそーだったらっ!!!」
 我慢出来なくてバンッ!! と両手で机を叩くと勢いで立ち上がってしまった。頬が高揚して息が荒い。ついでに涙も滲んできそうだから恥ずかしくて仕方ない。
 だけど今、手で目を拭ったら、いかにも涙を拭いたみたいで余計に格好悪いじゃないか。
リツはそんな思いで一生懸命脚を踏ん張って仁王立ちをしていた。
「その気持ちは分かるけどさ……。事実は事実でしかなく、嘘ではないんだよねぇ」
「………」
「花ちゃんはきっとさ、リツのことも好きだけど先生のことも好きなんだよ。だからもうちょっと人数増やして、僕も入れてくれればいいのにって。それだけの話」
「……」
「リツ」
「……」
「リツったら」
「…………」
 相手が自分と同じようにムキになっている内は、そんなこと信じないで済んだ。だけどこんな風に小五郎のことを言われると我慢も限界だ。
「あいつは……そんな奴じゃないっ!」
「だって僕見たもん。先生と腕組んで公園歩いてたもんっ。だから事実」
「違うっ! そんなのぜったい違うったらっ!」
 言うと同時に涙が頬を伝った。
 悔しいっ! あいつはそんな奴じゃないっ! 
 それに末羅の考え方も嫌だった。
 一度に何人も好きになって付き合う奴とだって平気だなんて、リツには信じられなかった。
 俺はそんな奴とは付き合えないっ! それに小五郎はそんな奴じゃないっ!
 言いたいのに、あまりの悔しさで涙が溢れて声が詰まってしまう。
「な…んで末羅……そ…んなこと………!」
「だって僕は! ぁ……………」
「もうその辺にしとけば」
 教室の後ろのドアから、頭を屈めながら小五郎が入ってきた。
「外まで聞こえてるぞ」
「僕は事実を教えてやっただけだもん。僕は悪くないもんっ」
 プイッと末羅はそっぽを向いてしまったが、それでも口にした言葉を訂正しようとはしない。
 小五郎が机に鞄を置いて自分のほうに来るのをリツは背中で感じていた。あまりに力んでいるせいで、今何かまともな言葉を口にしようとしても無理な話だった。
「リツ」
「……」
「リツ」
「きらいだっ………」
「リツ」
「小五郎なんて大っ嫌いなんだからなっ!」
「リツ」
 ガシッと肩を掴まれてビクッと体が揺れる。
「お前、おかしいぞ」
「おかしいよっ! もう十分おかしいよっ! 放せよっ! もぅぅっ!」
 バタバタと暴れてみるが、そんなことをすればするほど小五郎の指に力が入る。
「リツ!」
 一喝されて動きを止めるが小五郎を見上げることが出来ない。俯いて唇を噛み締めていると肩を掴んでいた手が胴に回ってそのまま担ぎ上げられた。
「ちょっ! おいっ! 何すんだよっ! 下ろせよっ! 下ろせったらっ!」
 いきなりの出来事に面食らう間もなく小五郎はリツを担ぐとドアに向かって歩きだした。その時になってようやくバシバシと相手の背中を叩いてみるが、効果は全然ない。
 教室にいる生徒は末羅を合わせても五人ほど。後はまだ学校に来てない奴らと、朝レンで学校には来ていても教室には来てない奴らだった。
 教室のドアを潜る時になって振り向いた小五郎は、その五人をくるりと見回すと最後に末羅を見据えた。
「新美。あんまりリツをいじめないでやってくれ」
「………でも事実じゃん?! 花ちゃんは昨日!」
「それは俺がリツに直接話す」
「なに、それっ! それじゃ僕がすごく悪い子みたいじゃんっ!」
「……」
「花ちゃん!」
「リツもリツだ。なんで今日に限ってこんなに早く学校に来てるんだか」
「お説教はいいから、こっから降ろせよっ! ばかっ! あほぅっ! 苦しいよ!」
「降ろしたら逃げそうだから駄目だ。新美」
「………」
「一限目、俺ら保健室な」
「え?!」
「先生に言っておいてくれ」
「………」
 ブスッとしたまま睨んでくるだけの末羅。小五郎はその返事を待たずにドアを潜ると保健室に向かって歩きだした。
「おいっ! 降ろせって! 何だよ、保健室って!」
「まだ来てないかもしれないが、さっきの話じゃ本人から直接聞いたほうが納得するだろ、お前」
「何がだよっ! お前、やっぱり!」
「……」
「昨日って! あの後かよっ! あの後、お前…あいつと何してたんだよっ!」
「別に何もしてないって」
「信用出来ねぇぇっ!」
「あー、はいはい」
「小五郎っ!」
「朝から辛いな……」
「小五郎っ!」



「って、いないな」
「じゃあ降ろせよっ! もう保健室だろうがっ!」
 脚をバタつかせると、ようやく小五郎がリツを床に降ろす。担がれていた数分間ですっかり血の巡りが逆流した気分だ。
「ぁ…」
「っと」
 降ろされたとたんに足元がグラついて倒れ込みそうになるのを支えられる。その手を振り払うことも出来ずに、そのまま膝裏に腕を差し込まれるとヒョイッと抱え上げられた。
「なっ」
「これがお姫様だっこな。で、ついでに少し横になれ。お前最近力み過ぎだ」
「ぅー……」
 それには反論出来ない。小声でブツブツ言いながらも抵抗出来ないからそのまま抱かれている。目の前に小五郎の厚い胸板があってそれが上下しているのを見ていると、三つほどあるベッドの一番手前に寝かされそうになって咄嗟に相手の首に手を回して抱き着いた。
「駄目っ!」
「は? 何言ってんだ、お前」
「まだ駄目っ! 俺……もうちょっとこのままでいたい………」
「……あぁ、もう少しお姫様抱っこって言うのを実感したいわけね」
「……うん」
「じゃ、お姫様。俺を信じて、ご機嫌直してくださいませっ」
「やだよっ。お前、昨日追っかけてきてくれなかったし」
「………難しい奴だな。何だ、じゃあ追いかけて、引き寄せて、奪い取って欲しかったのか?」
「ばっ! ばかっ! そこまで俺、言ってないだろ?!」
 リツはギュッと抱き着いたままひとり焦ってしまったのだが、小五郎は冷静そのものだった。
「って、何を奪い取るんだ?」
 単純に分からなくて聞き返してみる。
「何だと思う?」
「何だろう……」
 考えてみるが皆目分からない。
「あー、考えなくていいっ。これ以上頭を使うと体力の消耗が激しすぎるから」
「んだよ。また馬鹿にして……。ってさ………。これ、案外気持ちいいんだな」
 抱っこされる心地よさにニッコリとほほ笑むと、ほほ笑み返される。
「俺もお前にそう言ってもらえると嬉しいな」
「ふふふっ…」
 抱っこされながら相手を覗き込むと幸せに浸る。馬鹿やってるな……と思っても、どうせ二人しかいないんだから、いいか…と言う結果になってしまう。しかし。
 その幸せってヤツはあまり長くは続かないのも常だ。何の予兆もなく不意にガラリッと保健室のドアが開いて担当の国木田が白衣に腕を通しながら入ってきた。
「ぅおっ?!」
「ひゃっ!」
「…ああ、先生。おはようございます」
「君たちこんなところで何やってんの?!」
 驚き半分、面白さも半分で、興味津々な国木田が小五郎を見てからリツを見てきた。小五郎は相手のそんな視線などもろともせずにリツを抱いたままだが、リツはギュッと小五郎に抱き着いたまま身を縮めた。
「昨日の責任、取っていただこうかと思って」
「ぇ、なに? 昨日の責任って」
「俺たちデートしてたらしいですよ」
「そうなんだ……」
「だから誤解、解いてくださいよ」
「ああ。彼に?」
「ええ」
「何だ、簡単だね。てか、案外焼き餅屋さんなんだね、藤枝君は」
「ぇ……?!」
 やき…もちや……? 
 そんなこと考えもしなかったことだ。したりげに言われると、とても複雑な気持ちになってしまった。
 国木田は引っ付いたままの二人を横目で見ながら自分の机に座り込むと、いくつか書類を取り出してファイルに固めている。
「昨日公園でひとりぼっちでいる彼を見つけてね。ちょっと誘ったら車に乗ってきたんだよね」
「………」
 ファイルに詰めた書類を確かめるために国木田の話がいったん途切れる。そこまで聞いたリツの顔はしっかりムクれて咎める視線を小五郎に送っていた。
「いいから最後まで聞け。先生、続きを」
「あー、ごめんごめん。それでね……っと。………彼のリクエストで山のほうにある公園まで行ったんだ。ぇ……っと……これは、こっちか………。それから二人だけで車の中にいても仕方ないだろ? だからその辺散歩して帰った。それだけ」
「………うそだ。まだ言ってないことがあるはず。先生うそついちゃ駄目だよっ」
「うそって……。あー、もしかしてキス」
「キス?!」
「せんせい…………」
「してもいいよ、とか言ったことかなぁ………」
 しれっ…として言われると胸がドキドキしてしまう。
 小五郎、先生とキス…したの……?!
 嘘だよね?! 信じたい思いで彼を見上げると、小五郎はギリッと歯軋りをした。
「ぇ…」
 それって…言やがったな、とか言うこと?!
 ますます心配になってしまい抱き着く腕に力が入ってしまう。
「先生。先生の話し方はリツの心臓に悪いです。もっと明確に、ありのままを口にしてくれませんか?」
「ぇ…変? 僕の話し方」
「ええ。挑発してます」
「そうかなぁ…」
「リツ、俺と先生は」
「何でそんなところに二人して行ったの?」
 まったく単純な質問だった。そもそも何でこの二人はそんなところに行ったのか。それがまず知りたかった。
「何で?」
「それは……」
 ちょっと困ったような顔をする小五郎に顔を曇らせると、立ち上がった国木田がニッコリとほほ笑んできた。
「何となく、だよね?」
「何となく?」
 ホント? とまた小五郎と見上げると彼は苦笑していた。
「で、何となく腕を組んで歩くのか?」
「ぇ?」
「だって末羅は言ってたじゃないか。二人は腕を組んでたって…」
「あー、あれは……」
「引き留めてたんだよ。彼、僕がキスしてもいいよって言ったら怒っちゃって、ひとりで帰るなんて言い出すから」
 クスクスと笑いながら言う国木田にリツは唇を尖らせて相手を見上げた。
「今のはホント。だから俺たちは何もしてない」
「俺は、その前のナントナクじゃ納得いかないんだけど」
「ぅーん……」
 困った顔をする小五郎に、国木田がまた口を挟んできた。
「ぇ………っと………。じゃあ真実を言っちゃおうか。僕はあわよくばって気持ち確かにあったけど、まさかね…って気持ちもあったんだ。要は確かめてみたかってってこと。ごめんね」
「………」
 ほらね、と言う顔を小五郎にされる。
 それでも相手は年上だ。リツはうまく丸め込まれているような気になってしょうがなかった。ニコニコする国木田。それを見ると思わずムッとなってしまう。
「小五郎は俺んだからっ!」
「はははっ……。だからごめんって」
「もう触っちゃ駄目だからっ!」
「分かった分かった。手だししないから。ねっ?」
 よしよしと相手に頭を撫でられて余計ムカついたリツは、勢いをつけて小五郎の腕から飛び降りると国木田に向かい合った。
「気安く触んなっ! 大人だと思って、俺が何でも言うこと信じると思うなよっ!」
「あーー、だからごめんって。花ノ瀬、どうにかして」
「………俺は悪くないですよね?」
「悪くない悪くない。全部僕が悪いんですっ。だからさ、藤枝のご機嫌直してくれよ…」
「ふぅん…」
 どうしようかな……と顎に手をやって考える小五郎に両手を合わせる国木田。その間に立ったリツは、自分の存在を忘れている二人に地団駄を踏んだ。
「こらっ! なんでお前ら、俺の頭の上で話をするんだよっ!」
「あーー、また怒らせちゃった」
「ですね……」
「こらったらっ! 聞いてるのか、お前らっ!」
「んーー、僕はこれから校医の定例会議があって出張なんだよね…。戻ってくるのは早くても午後だから…、出入り口の鍵は外から締めちゃおうかな……っと、独り言を言ってみる。誰もいないのにね……」
「えっ! 何言ってんだよっ!」
「じゃ、戸締まりは万全だね。締めちゃおうかな……」
「ちょっ! 国木田っ〜!」
 追いかけようとして一歩踏み出したら後ろから引き留められる。国木田は本当に室内に誰もいないかのような振るまいで勝手にドアを締めると、ついでにちゃんと鍵をかけて行ってしまった。
「おいおいおい……。どうすんだよ、出られないじゃん………」
「これであいつが帰ってくるまで、ここには俺たちだけなんだよな」
「だから?」
「これからゆっくり弁明する」
 にっこり、と言うよりにったり、と笑われてリツは何となく身構えた。
「あ…のさ……弁明はいいよ。とりあえず真相は分かったんだし……」
「とりあえずじゃ嫌だろ、リツは。じっくり…ちゃんとしたこと、知りたいだろ?」
「いや…そ…んなことは………」
 急に危機感を覚えたリツは後ずさりして相手との間を広げようとするのだが、室内は広さに限りがある。後ろに一、二歩下がっただけでベッドの脚につまづいてそのまま後ろに倒れ込んでしまった。
「あ…………!」
「……何だ、リツ。リツもその気なんだ。それなら話は早いな」
「えっ! って! なに?! なになになに?!」
 ベッドに倒れ込んだところに、のしかかられて制服のボタンを外される。
「ちょーっ! っと待ったっ!! 待った、待った!」
「ん?」
「なに? このため?! このために二人きり、好都合ってこと?!」
「………他に何がある。俺は、この体で身をもって証明するし弁明するぞ」
「えーーっ?! 何で?! 何で俺たちまだキス…しかしてないのにぃぃ!!」
「まだ足りないことがあるのか?」
「ぇ………」
 言われて口をパクつかせてしまったが、他に何があるのだろう。リツはパニくる頭で必死になって考えていた。しかしその間にも洋服は小五郎によって脱がされて、下半身ももう靴下だけになっていた。
「ひぃぃっ…!」
 股間を隠して悲鳴を上げるが、相手は顔色ひとつ変えずに淡々と身を寄せてきた。ガシッと両方の肩を掴むと顔を近づけて口づけを迫る。リツは目を瞑って叫んだ。
「だっ…だって俺、まだ聞いてないもんっ!!」
「………何をだ」
「俺………俺、小五郎のこと好きって言ったもんっ! でも小五郎は俺のこと…どう思ってるんだよ…………」
 あーそうなんだ。俺………こいつから何も聞いてないんだった………。いつも俺ばっかだし……。だから……だからか…………。
 自分で言ってから自分で気づいて泣き笑いしてしまう。
 まったく俺って……。
「俺は最初からお前のことが好きだよ。だからお前がキスしろと言えばどこでもするし、好きかと聞かれればイエスと答える。それじゃ駄目なのか?」
「そんなんじゃないっ! 俺は……そんな答えが聞きたいんじゃないったら!」
 そんなんじゃ、小五郎はただの俺の言いなりじゃん!
「…………言い方が悪いのかな。いいか、リツ。ゴタゴタ抜かす前から、お前は俺のものなの! だからグチャグチャ言わないっ!」
「ぅ………」
「たぶん俺は、お前が俺を意識するよりも先に好きになってるよ。だから安心しろ。俺は俺の意志で、お前のして欲しいことしてやりたいって思ってるんだから」
「…」
「愛してるよ、リツ」
 チュッとキスされて脚を割られると、そこに入り込まれる。リツはその言葉を聞いてやっと安心して相手に抱き着いていた。
「好き? 俺のこと好き?」
「ああ。愛してるよ、リツ。愛してる」
「ん……ぁ………」
 回した手で背中をあやすように叩かれて、もう片方の手で体中を撫でられる。唇を重ねながら相手の髪の毛に指を差し入れながら角度を変える。
「ずるぃ……俺ばっか……」
「何が?」
「だ…って……俺だけこんな格好だし……」
「じゃ、リツが俺を脱がせて」
 抱き着いている体を放してにっこりとほほ笑まれる。
 その時にはもう小五郎も息を荒くしているのがリツにも分かった。夏の白い開襟シャツのボタンを上から一個づつ外していく。そしてベルトに手をかけてから躊躇すると手を重ねられた。
「俺の爆発寸前だから、あまり触らないでくれ。これから先は自分でやるから」
「ぅ…うん………」
 余裕がないと言うのは苦しげな相手の顔からも十分分かった。だけど自分にも全然余裕がなくて、リツは小五郎が下半身を脱ぐのをシーツを握り締めながら見ているしかなかった。
「そんなにジロジロ輝いた目で見るな」
「ぇ…小五郎でも恥ずかしいの?」
「何だ、その『小五郎でも』ってのはっ」
「ぁ…」
 グイッと腕を取られて抱き寄せられる。
 股の間にスッポリと収まってしまうと、小五郎の勃起したモノが膝に当たって、自分のモノが相手の腹に密着している。
「ぁ…あのさっ……」
「分かってる」
「ぇ…?」
「最初はちょっと無理っぽいもんな。こうして一緒に…」
「んっ…! んんっ……! ぁ……!」
 少し体をずらした小五郎が自分のモノとリツのモノを一緒に握って上下にしごき始めた。熱くてコリコリしたモノが、小五郎の大きな手の中で刺激されてねっとりとした汁を漏らす。リツはその刺激に反射的に相手の胸に手を押し当てて逃げようとしていた。
「リツ」
「だっ……だって……こ…んなのっ………! くっ……ぅ………」
「大丈夫だよ。ほら、気持ちいいだろ?」
「ぅ……んっ……! だ…けどっ………」
 良すぎるから、どうしていいのか分からないのだ。
 必死に逃げようとする体をしっかりと抱き締められ、二本同時にしごかれるともうそれだけで駄目だった。
「も…駄目っ…! 駄目だからっ……! ぁ……!」
「ぅ……!」
 ギュッと抱き締められて、ギュギュッとそこも握られると二人同時に達していた。ビクビクッと体が揺れて小五郎の手の中に二人分の精液が溢れ出る。しばらく荒い息が収まらないまま二人して抱き合っていた。
「良かった?」
「…良過ぎた……」
「そぅ。良かった……」
 荒い息のまま小五郎に抱かれていると、彼の濡れた手がリツの秘所に触った。そして「ぇ…」と思っている間にスルリと中に入られて、その一本がグイグイ奥まで進んできた。
「ぁ…やっ…こごろ……ぅ…」
「慣らしておかないと。俺のは指一本じゃちょっと無理だから」
「しないって…言ったじゃんっ……!」
「最初はね」
「そ…んなのずるいっ!」
「ずるくないさ。ほら、俺たちの汁で二本目が入った」
「うっ…! ぅぅ……」
 クチュクチュとわざと音が出るように指をくねらせる。リツは徐々にベッドに背中をつけられながら、秘所への刺激に戸惑っていた。
「感じる?」
「わ…分かんな……。ぁ…ぁ…ぁぁ………」
「じゃ、もう一本。これが根元までズブズブに入るようになれば」
「うううっ……ぅ…」
 今までゆっくり入れられていた指が、本数が増えるたびに速度を増す。三本の指を根元まで入れては出す行為は、小五郎の舌先も加わってリツの体は震えるばかりだった。
「怖い……?」
「こ………ここまで来て、そ…んなこと言うなっ! お前がそんなことするから……俺の体また………」
「またこんなになっちゃった……?」
「ぅ…ぅん……」
「責任取る?」
「……痛く…ないように……」
「分かってる。そのために根元まで指が入るまで我慢してるんだから」
 笑顔で言われてズズッと指がそこから抜かれる。リツは両脚を小五郎の肩にかつぎ上げられて秘所に相手のモノを宛てがわれると、もう一度聞かれた。
「入れてもいい?」
「き…くなっ! そんなこと……!」
「はいはい」
 クスクスと笑われて思わず相手をぶん殴ってしまいたくなる。
 リツは覆いかぶさっている小五郎の首をギュッと引き寄せると、ぶん殴る代わりにキスをしていた。
 キスをするのに一生懸命だったリツだが、宛てがわれたモノも進行を止めるはずもなく、ちょっとづつゆっくりと中に押し入ってくる。
「んっ…んんっ…ぁ……くぅ……っ……!」
 重ねていた唇が離れて身が縮む。
「ごめん、俺の大きくて………っ……っと苦しいかもしんないけど……大丈夫だから……っ……」
「なっ……にが大丈夫……なんだよっ……! あっ! あっ…! ああっ……ぁ……!」
 ビクビクと体が震える。
 そのたびに小五郎の熱いモノが中に押し入ってくるのが分かる。リツは相手の首に回した腕に力を入れて必死になってそれを引き寄せると両脚を腰に絡ませた。
「んっ! んっ! んっ! あっ…ぁぁっ…! こごろ……俺、駄目っ! も…駄目だからっ……!」
「分かった。俺も…中で……いい?」
「ぇ…わかんな……あっ…! ぁぁっ…! ぁ……!」
 何度も突き上げられて、泣いた顔にまた涙が流れる。
 リツはシーツの上で体を反らせながら彼を受け止めた。ドクドクッと中に吐き出される小五郎のモノを体で感じ、自らも射精していた。


「最初はしないって言ってたくせに……」
「だから最初は一緒にしごいたじゃないか。俺は、お前のして欲しくないことはしないよ?」
「調子のいい奴……」
「だけど好きだろ? 俺のほうが数倍好きだけど」
「ちぇっ…」
 保健室の狭いベッドで抱き合いながら言い合う。
「だけどさ、国木田帰って来るまで俺たちずっとこのままなのか? それって午前中ずっとって意味なのか?」
「んーー」
 教室に鞄だけ残して帰って来ない二人。それをみんなはどう取るのか。既成事実が出来たと言えばそうなのだが、今ごろ末羅あたりが騒ぎだしている気がしてならない。
「リツ、質問」
「んだよ」
「ここは何階でしょう」
「一階だよっ、一階」
「じゃ、いい加減分かっても良さそうなもんだけど……廊下側鍵締められても、校庭側の掃き出し窓からいつでも俺たち出られるんだよね……」
「ぁ………。って! お前最初っからそれ知ってて?!」
「いや、普通知ってるだろ、誰でも」
「で、犯るのか、お前はっ!」
 そういえばここは一階で、ついでに校庭側に窓があるんだった。
 ベッドの回りに作られている仕切りカーテンのせいでそんなこと全然気づかなかったが、身近で誰かに聞かれてもおかしくない状況にリツの顔は耳まで真っ赤になってしまった。
「………どうした?」
「声………。俺、声とか大丈夫だったかな……」
「………どうだろう。かなり激しかったからなぁ」
「ぇ…ホントか? 誰かに聞かれたりしなかったかな…」
「どうだろうなぁ」
 ニタニタと笑われて、それに気づいたリツは頬っぺたを膨らませたまま相手の胸板を叩いた。
「意地が悪いぞ、お前!」
「そこも好きだろ?」
「ばかっ!」
 またバシッと目の前の胸板を叩くが力強くは叩かない。リツは唇を噛み締めたまま起き上がると制服を着だした。
「出るのか?」
「いつまでもいられないだろ? そろそろ教室戻んなくちゃ」
「言われるぞ?」
「しょうがないじゃん。事実だもんっ」
「お前…」
「たくましいな、とか言う?」
「……いや、相当馬鹿だなと思って」
「あ、また馬鹿って言ったなっ?! 訂正しろよっ! 俺は馬鹿馬鹿言われても本物の馬鹿じゃないぞっ?!」
「ああ。本物の馬鹿じゃないけど、ちょっと馬鹿…かな」
「んだよ、それーっ!」
 洋服を着終えて掃き出し窓の鍵を開ける。
 引き戸に手をかけた時、後ろからその手を止められて振り向くと小五郎が顔を近づけてきて言った。
「俺もお前から聞きたい言葉がある」
「へ?」
「だから……お前も、ちゃんと言ってくれよ」
「…何を?」
「今度は『かも』っての無しで……」
「……………」
 言われたリツは、びっくりするやら、おかしいやらでしばらく呆然としていたが、どうやら自分よりも相手のほうがこだわりが強いようだ。
 ケタケタ笑いだしたいのを堪えて、気持ちを切り替えるとリツは小五郎のほうに向き直った。
「じゃ、もう一回言えよ。俺のこと愛してるって」
「お前から言え」
「………好き、だよ。愛してる」
「俺も」
「じゃなくてっ! ちゃんとお前も言えっての!」
「愛してるよ、リツ」
「よし。これでおあいこな」
「リツ」
「んだよっ! ぁ、こら! 駄目だぞっ?! もうここ、カーテンないしっ!」
 重ねた手を握られたまま無理やりギュッと抱き締められる。リツは焦って校庭を気にしながらも、困った半分、嬉しい半分で小五郎の腕の中でもがいていた。 
終わり
タイトル「君に好きって言って欲しい」