タイトル「仮)男人魚と人の子と-3」

「ここって…」
一番いい部屋じゃないんだろうか…。
自分が取った部屋は一番安い海も見えないような部屋だったのだが、幸太郎の取ったのは部屋もいかにも旅館と言った風情で広くて露天風呂まで設置されていた。
やはり金の力は大きいとしか言いようがない。
「お言葉に甘えて」と言いたいところだが、精液を接種されるためだけの付き合いだと考えると嫌なものがあった。
部屋に落ち着いて外を眺めると腕組みをして考えてみる。
逃げ…られないよな…………。
野生の本能に勝てるとは思っていなかった。
でもこのままいつまでもくっついていられても困る。
「お前は何度俺の精液を飲めば離れてくれる?」
「それは…ある程度接種すれば………」
「ある程度ってどのらいだよ」
「そうですね………。毎日いただいて数ヶ月と言うところでしょうか」
「すっ…数ヶ月?!」
「はい」
「そんなに………」
「はい。長いですか?」
「長いだろう…………」
思わず愕然としてしまった。
一度目をつけられたら数ヶ月は吸われ尽くされる………。
これは離れるまでこうしてくっついていられると言うことだよな…。
バイトに行くにも行けないんじゃないかと不安しか残らなかったが、逆に考えるとこいつの金を宛にすればいいと言うことも言えるじゃないか。
琳太郎は「紐」と言う言葉が頭を過ぎったのだが、「男人魚の紐」ってどうなんだよ…と思ってしまったのだった。

「ここには露天風呂がついてますから水浴びも自由に出来て嬉しいです」
「正確には湯浴びだけどな。お前人魚だったら茹だるんじゃないのかよ」
「いえ、海底にも温泉はありますから、よくそこで暖まりに行ってますよ?」
「へぇ…」
返事はしたが、やっぱりにわかには信じられない。
もしこいつが今やっぱり違いますと言ったら、それはそれで許してやれるのだが、どうやらそうでもないらしい。
男は裸になると寒々としている露天風呂へとダイブを決め込んだのだった。
「琳太郎もどうです?」
「結構です」
「どうして。案外いいですよ?」
ピシャピシャとお湯浴びをする人魚を見るのは初めてっただ琳太郎だが、何度も呼ばれる内にそっちのほうが気になった。
琳太郎は見るとはなしに見てしまい言葉をなくした。
「おいって…マジか…」
幸太郎と名乗った男の下半身は見事に魚に変わっていたのだった。
「だから言ったでしょ。私は人魚だって」
「だからって自由に変身出来るとは聞いてないぞ?!」
「そうですね。なので今やりました」
「って言われてもな…」
まったく言葉にならなかった。
こうして本物を目の前にしてしまうと圧巻であるとしか言えない。
バシャバシャと水音を立てられると尾ひれがキラキラと輝きその大きさにびっくりする。
琳太郎はそんな彼に一歩また一歩と近づき近くまでくるとそっと手を伸ばしていた。
指を伸ばすとそれに反応してプルプルッと尾鰭を動かしてくる。
その姿がとても新鮮で、そのヌメリにやられると言ったほうが正しい。
「ふふふ…。私の体は触り心地がいいでしょう?」
「そっ…そうかなっ」
そんなこともないんだぞと言いたくて言葉を出すのだが、それは自分で自分を否定しているようにも聞こえる。
無理をして出した声はうわずっているようにしか聞こえなかったのだった。
「ふふふ…」
大胆不敵な笑みとでも言おうか。
幸太郎は上半身を出しながら勢いよく尾鰭をパシャとさせたのだった。
「うわっ! 何するんだよ! びしょ濡れゃじないかよ!」
「だったら脱げばいいんじゃない? 一緒に入りましょうよ。体、洗ってあげますよ?」
言われてヤケクソになった。
琳太郎は濡れてしまった洋服を脱ぎ去ると勢いよくお湯の中に飛び込んだのだった。
それを待っていたように抱きつかれて戦意をなくす。
「うっ…う…」
ゴボゴボとお湯の中に引き込まれて唇が重なってキスをされる。
「んんんっ」
「んんっ」
舌が絡まって吸い付くような感じがする。
手足をバタバタさせて思わず助けてと言ってしまいそうになるのだが、それは声にならないまま失われた。
ほんの数秒かもしれないし、本当はもっと長かったのかもしれないが、
「ぷはっ」とお湯から出て息をした時には顔が真っ赤になっているように息が苦しかった。
「お前っ…殺す気か?!」
「ごめんなさい…。殺す気はないんだけど、あまりに波長が良くて…」
申し訳なさそうに言う幸太郎は全然のぼせていなかった。
人魚はお湯にも強いらしい。
「お前のすることはかなり危険だ。人はそれに対応してないから、そのつもりでいろよ!」
「でも今までの方はそんなことなかったんですけどね…」
「そりゃ今までは今までであって今からじゃないだろ?!」
「そうですけど…」
それでも納得してない様子だったが、それはたぶん相手である幸太郎のことを楽しんでいたからだろう。
まだまだ受け入れていない琳太郎は理不尽なことばかりされて怒る要素しかなかったのだった。
ザバッと風呂から出るとタオルで体を拭こうと浴室に急ぐ。
ゴシゴシと体を拭きながら「死ぬ。絶対にこれ死ぬな」とつぶやいたのだった。


時間をおいて夕食が運ばれてくる。
いい部屋じゃないと大広間までどうぞ状態なのだが、ここは一番いい部屋なのでそんなことは絶対になく、何人もの仲居さんが色々な料理を運んできたのだった。
「すっげーな…」
とてもじゃないが二人じゃ食べられないような料理の量に驚くとともにその内容にも驚いた。
それは写真や画面でしか見たことのないような代物だったからだ。
でも自分には豪勢な料理でもこいつにはどうなんだろう…と思う。
「あのさ」
「なんですか? 全部食べてもいいんですよ?」
「じゃなくて」
「はっきり言ってください。苦手なものが多すぎますか?」
「じゃなくて」
「…」
「お前、ある意味共食いなんじゃないのかよっ?!」
「そ…んな大きな括りで言われましても…」
「だってそのお造りとか、照り焼きとかっ!」
「あなただって鯨とか食べませんか?」
「そっ…」
それを言われるとすごく困る。
捕獲とかしてるのは確かだし自分じゃなくても人は食べてるんだし…。
「私たちだって食事はしますよ? 魚だってガブッと食べますし、エビとかだって毟って食べます。人と変わりありませんから」
「そっか…」
そんなものなのか…。
「いちいち御託並べてないでさっさと食べましょうよ。おいしそうですよ」
「うん…」
手を引かれて座らされると食事にかかる。
出された物は見た目を裏切らないおいしさだった。
「う…美味いっ…」
「おいしいですね。さすが新鮮なだけある」
顔をホクホクさせながらほおばる姿は人間そのものだった。
「って、あれ…。いつ脚に変わったっけ…」
気が付かないほど自然な流れで彼の下半身は変化していた。
「いちいち気にしなくていいですよ。私の下半身は私の意のままになりますから」
ただ洋服が邪魔な時があるんですけどね…とぼやきながらも笑顔を絶やさない。
ついでに食べるのも止めないまま大量の料理はその腹の中に流し込まれていったのだった。

「ふぅ…」
「食べたな…」
「そうですね。二人分とは言っても特別料理も頼みましたからね。ゆうに倍くらいはあったんじゃないでしょうか」
「それを大半お前が食べたんだけどな」
琳太郎はちょっぴり遠慮気味に食べたのだとアピールしたのだが、その実そんなことはなく、頑張って目の前の皿を処理しようと必死になっていたのだった。
「私は大物ばかりですが、あなたは地味に塩焼きとか二人分食べてましたよね」
「見てたのか…」
それは言い訳が出来ないな…とモゴモゴしていると「おいしかったらいいんですよ」と返答されてしまった。
「お…れはけしてだなぁ!」
「言い訳はいりません。ただごちそうさまと言ってくだされば私は満足です」
さあ…!と促されてコホンと席をする。
「ご…ちそうさまっ。おいしかったよ」
「それは良かった」
「うん…」

「では」と大きく伸びをすると幸太郎はニコッと微笑んだ。
「もう一度お風呂に入りませんか?」と言ってきたのだった。
「普通休憩だからっ! 一休みしてからじゃないと胃に凭れるだろっ」
「え…せっかく温泉にきたのに?」
「お前は何ともないのかよ」
「ないですよ? 私の場合はむしろ水の中のほうがデフォですから」
「あ、そっか」
「です」
「…」
それもそうだなと思うと何も言えなくなる。
琳太郎は満帆になったお腹をさすりながら一際大きくて立派なソファーに座ったのだった。
地方が違うのでやってる番組も分からないが、とりあえずテレビをつけてみる。
自分の家より数倍デカいテレビが起動して画面の中にお笑い番組が映し出された。
「と言われましてもぉぉ」
「だからそうではなくてぇぇ」
大きな画面に見慣れた芸人が見慣れた芸を繰り広げている。
目新しくないので取り留めて笑いたいとも思わないのだが安心感からホッとして観られる。
「こんなのが好きなんですか?」
「別に。見慣れてるだけだよ」
「今の流行ですか?」
「まあね」
「おもしろいですか?」
「今はそうでもないけど。次々新しいのは出てくるからね…。何がいいのかなんて把握するよりも早く次の流行がやってくる。そんな感じかな」
「それは…目まぐるしいですね」
「ああ」
「そんな目まぐるしい世間から解放されたいとか思いませんか?」
「ぇ……?」
新手の勧誘かな? と思うくらいにささやく仕草が猫なで声だった。
ソファーの後ろに回った幸太郎は後ろから抱きつきながら耳元でそう言ったのだ。
何を考えてるんだ……? とちょっと怖くなった琳太郎は顔を強ばらせて後ろを振り向いた。
「おまえの本当の目的って…」
海の中に人を引きずり込むのが仕事なんじゃないのか…? と聞きたかったが、聞くと肯定されそうで言えなかった。
「私の目的はアンチエイジングですよ? 海に引きずり込まれるとでもお思いですか?」
クスクスッと笑われて馬鹿にされた感がハンパなくなった琳太郎はムッとしながら回された腕を乱暴に解いたのだった。
「後ろから抱きつくなって!」
「え、駄目ですかぁ? 私も甘えたい年頃なんですけどぉぉ」
「その語尾をどうにかしてくれっ。キモイだろうがっ!」
「ぇぇ?! だぁぁってさっきのテレビでやってたじゃないですかぁぁ」
「あれは芸だ。真似すんなっ」
「だぁぁぁってぇぇ」
ウザい。
テレビなんて観るんじゃなかったと後悔するほどウザさは増した。
琳太郎はチャンネルを換えて音楽番組を探した。
演歌とか時代物の歌番組しかやってなかったが、それでもいいやと落ち着くとトイレに立った。
「それ、おとなしく観てろよ」
「……あ、はぃ……」
あれ、本当におとなしいぞ…と言うか、見入ってるぞ…と思いながらもトイレに行くほうが先決だったので気にせず用事を済ます。
そして用を足して部屋に戻ると幸太郎は涙を流して歌番組を観ていたのだった。
「おい…」
どうしたんだよ…。
心配になるじゃないかよ…と手を伸ばすと、幸太郎はハッとして琳太郎を見てきた。
「これ……私知ってます……」
「ぇ……」
「これ…歌ってた人と暮らしたことありますから…」とびっくり仰天なことを言ってきたのだった。

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