タイトル「仮)男人魚と人の子と-4」

「ぇ…これって極マヒル(きわ まひる)の歌だよな」
極マヒルと言えば随分前、親の世代に流行った歌手だった。
「ぇ…っと…。今これ歌ってる人のこと言ってるのか?」
「違う」
「じゃあもしかして本物のこと…なのかな…」
今歌っているのは偽物と言うか…今の歌手が色んな歌をうたいますって番組だから、あまり本物が呼ばれることはない。
と言うか、幸太郎の言っていることが本当だったら…とんだアンチエイジングだと思えた。
「あ、だったらさ、お前これ歌ってる奴の名前とか知ってるよな。なんて言うんだ?」
「本名しか知らない」
「なんて名前だった?」
「上野吉敷(うえの よしき)」
「え?」
「上野吉敷」
「っと…」
検索しないと分からないな…。
琳太郎は慌ててスマホで検索してみた。
すると確かに極マヒルの本名は上野吉敷だった。
「おい…おいおいって…」
マジか…。
おおかた当てずっぽうにそんなことを言っているんじゃないのか………? などと思っていたのに、
相手の言うことが真実だと分かってくると足が震えてきたりする。
こいつの言っていることは俺にとっては遠い昔すぎるぞ………。
ふたりにしか分からない時代でも思い返してるんだろうか………。
そう思うとちょっと胸が詰まった。
そこで勝手に言葉が飛び出していた。自分でも驚きの行動だ。
「それ、歌ってる本物に会いたい?」
「え?」
「良ければ俺が連れ行ってやってもいいけど」
「まだ…生きてるの……?」
「う…あ…」
そこを調べるのを忘れていた。
琳太郎はそそくさとさっきのサイトで彼の生存を確認すると「生きてるよ」と胸を張って言ったのだった。
「い…きてるのか…」
凄くホッとしたような顔をして涙を拭う幸太郎を見ていると、やっぱり事実なのかなと思う。
彼は今地方公演の真っ最中で明日このあたりに来ると言うのが分かった。
幸太郎の行動と言うのは当てずっぽうとかではなくて、何となく電磁波みたいなもので引き寄せているのではないかと思うほどだった。
「その時のお前はなんて名乗ってたんだよ」
「え?」
「まさか幸太郎じゃないよな?」
「う…うん……。その時は上野佳久(うえの よしひさ)って名乗ってた」
「え、フルネーム?!」
「え、駄目?」
「…いや、べ……つにいいけど」
よくそれで相手が怪しまなかったな…と思ったが、
考えてみればあの歌が流行っていたのは今から五十年くらい前の話だから言われれば信じちゃうかな…とも思う。
琳太郎は今の彼の姿を見せておかないとあまりの年の取りように卒倒してしまうのではないかと彼の近年の顔を探した。
「お前はさ、アンチエイジングとかで若いままだから逆に胡散臭く見られるかもしれないけど、
相手はそれなりにもう年取ってますから。これ」とスマホを差し出して画面を見せる。
「………彼はこんなに年寄りではありませんっ」と言われてしまった。
「聞いてる? 俺の今言ったことちゃんと聞いてた?!」
「聞いてましたけど?!」
「お前は時間の流れがゆっくりしてるんだろうけど、人って普通に一年に一回年取るんだよね。分かる?」
「そもそも年と言うのが分かりません。私にとって前に関わった人と会うなどということ自体今までなかったことですし」
「そっか………。じゃ、やめとく?」
「いえ。今見た彼が本当に上野吉敷なのかどううかが知りたいです。連れてってください」
「………分かった」
人間と海の人との差がどんなものなのか、ちっとも分かっていなかった琳太郎だが、
本人が望んでいるのだからこれは連れていくべきだろうと早速情報収集をしだした。

今はもう売れっ子と言うわけでもないので
ガードもそれなりになっているだろう極マヒルの公演はこの街の公民館で行われるらしかった。
調べてみると公民館とは言ってもこの土地唯一の憩いの場とあって作ったばかりの真新しい建物だった。
大きさも人を呼ぶだけあって結構デカイ。
そうなると呼ばれるほうもそれなりの人ってことで迂闊に声をかけるなんて出来そうもないのかな………と弱気になってしまった。
そんな時、いいのか悪いのか彼ら一行が公演を前にここに泊まるのを聞きつけてしまった。

ずっと部屋にいるのもまた襲い掛かられそうで怖かったので暇つぶしにお土産コーナーでも見てみようと一階に降りる。
と、そこで仲居さんたちが慌ただしく動いていた。
そこから聞こえてきたのが「もういらっしゃるから」
「表からでいいのかしら」
「表からじゃなくてどこから入れるのよ」
「だって追っかけとかいたら他のお客様に迷惑かかるじゃない」
「そこまでじゃないでしょ。中継ぎの人はそんなこと言ってなかったし、第一極マヒルってもう70くらいじゃないの?」
「じゃあいいかしら………」
「いいんじゃない? お付の人だってそれなりにいるだろうし。そんなことよりそろそろよ」
「はい」
小声でそんなことを話し合いながら仲居さんたちは玄関を出て行った。
「やったっ………!」
今から極マヒルがここ来るんだっ。
琳太郎はドキドキワクワクしながらおみやげを見るふりをして彼の到着を待った。

数分後。ワンマンバスが玄関に着いてダラダラと人が降りてきた。
あの中にいるのかなっ。てか、あのバスは違うかっ………。
駅からの客を乗せてくるバスに極マヒルが乗ってるわけないか………と自嘲すると、
その奥に同時に止まった黒塗りのハイヤーがチラッと見えた。
その中には数人の男がいたのだが、彼らはすぐに出ることはせずバスの客がいなくなるのを待ってからゆっくりと降り立ったのだった。
「ぁ………」
やっぱりいくら年を取っていると言ってもかつてのスーパースター。
写真で見るのとは全然違ったオーラが漂っていた。
「あれが極マヒルか………」
近づこうと一歩踏み出すと仲居さんたちがさっと道を作ってマネージャーと付き人らしき人が極をガードするように前と後ろに立った。
それからもうひとりの付き人が大きな荷物をトランクから引きずり出していると後からきた仲居さんたちがそれを手伝う。
それを見た琳太郎はそれ以上近づくことが出来なくて土産物売り場の横を通り過ぎる彼らを目で追うことしか出来なかったのだった。
「………どうしよう………」
結構待遇ビックだけど……。
年を取っても思っていたより落ちぶれていなのに予想外の衝撃を受ける。
まさかね…………。こんなにこんなんだったとは…………。

彼の姿は見たものの結局声もかけられずに部屋に戻ることになった琳太郎はどうやったら彼とうまく接触出来るのかを考えていた。
「あ、おかえり。琳太郎」
「うん」
「何かおいしそうなお土産はありましたか?」
「うん、まあ」
パシャパシャとさっきの露天風呂に入りながら幸太郎がのほほんと聞いてくるのに曖昧な返事をしてみる。
琳太郎は大型テレビの前にあるソファにドサッと腰掛けると思ったよりも大事になりそうな予感にどうしたらいいのかが分からなかった。
「琳太郎」
「うん」
「琳太郎」
「うん」
「…………聞いてないですね」
「うん」
「琳太郎っ! 私を見てくださいっ!」
「…………ぁ、ごめん」
「今上の空でしたよね」
「うん、ごめん」
「どうしたんですか?」
「って! 何か巻けよっ!」
「ぁ? ああ、すみません。でも誰も見てませんので」
「俺が見てるだろうがっ!」
「琳太郎はいいじゃないですか」
「良くないっ! 早く何か巻くか穿けよっ!」
「…………はいはい」
いいじゃないですか、それくらい…………とブツブツ言いながらも露天風呂まで取って帰ると、その横に置いてある籠の中からバスタオルを取り出して腰に巻きつける。
「琳太郎。これでいいですか?」
「ああ」
「吉敷には会えましたか?」
「…………え?」
「だからここに泊まるんでしょ?」
「…………どうしてそれを知ってるんだ」
「匂いがしましたから」
「匂い?」
「ええ。どんどん強くなってきたので、ここに泊まるんだなと思いまして」
「…………まさか部屋番号とかわからないよな?」
まさかね…………という気持ちで聞いてみると、幸太郎はいとも簡単に答えた。
「ここのちょうど下、1205ですかね」
「1205?」
「ええ。あ、彼今からお風呂に入るみたいです。私も行きたいなぁ」
「いやっ。いやいやっ! それはないだろうっ! てか、そこまで分かっちゃ駄目だろうがっ!」
「そうですか?」
「部屋番号とかまではまあ許すとしても。
いや、部屋番号も本当は駄目だと思うけど、お前そんなことまで分かっちゃったら面白くないと思わないわけ?」
「…………そうですねぇ。でも私これが普通ですから、そう言われましても…………」
「うーん…………」
こればっかりは駄目だとかいいとか言っても始まらないのかな…………と思った琳太郎は、頭を抱えると大げさに左右前後に振ってみた。
「琳太郎。病気ですか?」
「病気じゃねぇよっ! お前のそのヘンテコな才能にどう対処していいのかわかんないだけだってば!!」
「ヘンテコではありませんよ。訂正してください」
「はいはい。すみませんでした」
「返事は一回でいいのですよ?」
「…そんなこと誰にいつ教わったんだよっ! 少なくとも俺は教えてないよな? 
てか、さっきお前のほうこそ「はいはい」って二度言ったよな?!」
「細かいことはいいでしょう」
「ぁ、自分のことだけ棚上げしようとしてるだろっ!」
「それはおいておいて」
「…………ちぇっ」
「提案なのですが、私今すら彼の元に行っては駄目でしょうか」
「えっ…だ…ってさ……」
言い淀んでいるとますます幸太郎は乗り気になってしまったようだ。
「あのさ、言っておくけど吉敷はかつての吉敷じゃないんだからね? 分かってる?」
「だからあの写真の人でしょ? こちらが納得すればあちらは私のこと分かるんだから「いいよっ」て受け入れてくれますよ、きっと」
「そんなにうまくいくかよっ。きっと門前払いだよ」
だからやめておけと言ったのだが、幸太郎は琳太郎の言葉を聞かずそそくさと着替えをすると玄関のノブを握っていた。
「では行ってきますので」
「えーーーっ」
どう考えても悲観的な未来しか見えてこない。
琳太郎は慌ててそれを止めようと走ったのだが、たどり着く前に逃げられた。と言うか、目的地に向かってダッシュされた。
「あああーーーーー」
どうなっても知らないぞ………。
廊下を走る彼の後ろを同じく走りながら追う。
彼は足取りも軽ろやかに階下への非常階段を駆け下りて行ったのだった。
やめたほうがいいってばっ!