タイトル「仮)男人魚と人の子と その5」

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コンコンコンッ。
1205室のドアを叩く幸太郎の顔は少しほころんでいた。
いよいよ彼に会えると言う感じだ。
もうノックをしてしまった幸太郎にようやく追いついた琳太郎は
その手を取ると引き返そうとしたのだが一足遅かった。
カチャッと音を立ててドアが開かれてしまったのだった。
中からはさっき見たマネージャーらしき男が渋い顔で対応してきた。
「何か?」
「吉敷に会いにきましたっ」
「吉敷?」
「はいっ。佳久が会いに来たとお伝えくださいっ」
「…………少々お待ちください」
パタンッとドアが閉められ置いてけぼりにされたような感覚に陥る。
ふたりになったのをチャンスだと思った琳太郎は握ったままの幸太郎の腕を引っ張ると「帰ろう」と催促した。
「嫌ですよ。せっかくここまで来たんだから、ここで帰ったら余計に変でしょ」
「そりゃそうだけど…………」
極マヒルと幸太郎の経緯をよく知りもしないので何とも言えないが、
何十年も前のままの彼の姿を見た相手は非常に驚くだろうし訝しがるだろう。
何事もなくスムーズに事が運ぶなんて思ってもいないから帰ろうと言っているのに幸太郎は頑として譲らなかったのだった。
笑顔のまま真正面のドアを見つめること数十秒。
中からパタパタドスドスと言った足音を感じるとガチャッとドアが開いた。
「佳久っ?!」
「ハーイ吉敷」
「…………本当だったんだ…………」
「はい」
腰にタオルを巻いただけの濡れた極マヒルの姿がそこにはあった。
驚いているのだが喜んでもいる。そんな感じだった。
「入って。入って入って」
「はーい」
「…………お…邪魔します…………」
言われるままに幸太郎とともに室内に入る羽目になってしまった琳太郎は心底困っていた。
俺、もしかして関係ないんじゃないかな…………。
「ちょ………ちょっと待っててくれるかな。今服着てくるから。そこ、座って待ってて」
「はい」
チョコンと座る幸太郎の横に仕方なく琳太郎も座った。
回りにはお付きの人が荷物の整理をしていたりマネージャーが不審な面持ちでこちらを見ていたりしてとても居心地が悪かった。

数分するときちんと身なりを整えた極マヒルが目の前に現れた。
「すまないね、待たせてしまって」
「いいえ」
どういたしましてと笑顔で接する幸太郎に、それを横目でちら見する琳太郎。
極マヒルは回りの人間を外に出して、改めてふたりに向き合ってきた。
「君は若いまんまなんだな…………。あれから何年経ってると思ってるんだ?」
ニコニコッと笑うその顔には若い頃にはなかった深い皺がいくつもある。
幸太郎はニコニコしながらも首を傾げて「分かりません」と答えたのだった。
「えっと…………。もしかして君が今のお相手かな?」
「ぁ、すみません。僕は桜井琳太郎と言いますっ」
「彼から聞いてる?」
「ぁ、はいっ。でも…………本当なんですか?」
「それは佳久を見れば分かることだよ。って、今は名前違うのかな?」
「今は幸太郎です。この人が琳太郎なので」
「はははっ。本当に毎度なんだね」
極マヒルは嬉しそうに笑ってからマジマジと幸太郎を見つめてきた。
「あれから40年か…………。まだまだ僕は駆け出しの売れない歌手で君は…………今のようにとても綺麗だった」
極マヒルは幸太郎とのなれそめを話し始めた。
それは海の近くの酒場で酔い潰れた客を相手にギター弾きを連れて歌っていた時のこと。
「そんな歌は歌じゃないっ!」と罵られて掴み合いのケンカになった。
胸倉を掴んで相手を一発殴ってやろうとした時、止めに入った男を殴ってしまいケンカは中断。
そのまま流れた。そして止めに入ったのが人魚から人の姿になったばかりの幸太郎だったと言うわけだ。
気を失った男をどうしていいのか分からずに閉店した店を借りてそこで一晩泊まった。
「その続きはたぶん君も知ってるんじゃないのかな?」
「…」
「君も、今この子に同じことされてるんだよね?」
ちょっと悪戯ぎみに瞳を覗き込まれて思わずギクッとしてしまった。
「ぁ…あの………」
「佳久。してるんだよね?」
「ええ。食事ですから」
「はははっ。本当に君は変わらないんだね」
屈託なく笑われて返す言葉もなかった。
しかし思ったのは彼がそんなに驚いてないことだ。
琳太郎はそっちのほうが気になってしまい、単刀直入に聞いてみることにした。
「あのっ…………ちょっといいですか?」
「なに?」
「何でそんな程度の驚きようなんですか? 僕だったら彼のこの姿を見たってすぐには信じられませんけど…………」
「うん、君の言うことは分かるよ。でもね、僕は彼と別れる時、聞いてるんだ。もし今度会えるとしたら、あなたは変わってるかもしれないけど私は変わってませんからって。ね?」
「はい」
「ついでに言われたのは、私は海の近くによく現れると思いますよ? ってこと。だから僕はコンサートをやるのは海沿いって決めてたんだ。君とまた会えるかもしれないからね」
彼としては本当に訪ねてきてくれたことが嬉しいらしい。
あれこれと話したいからふたりにしてくれと言われて了承する。
琳太郎はひとつ上の幸太郎が取った部屋に帰るとバフンッとベッドにダイブしたのだった。
「まったく信じらんねぇ…………」
有名人とあっさり会えちゃったり、その有名人があいつと会いたいがために海沿いの場所を選んで仕事してるとか…………。
どれもこれも今まで自分には訪れないだろう事態ばかりだ。
「俺、あいつとこれ以上一緒にいちゃいけないんじゃないだろうか…………」
吸われ尽くされる…………とかは前例が生きてるから思わなくていいが、
何となく自分が間男的な立場に立ってるんじゃないかって思えてしまうから…………。
そう思うと何だか居たたまれない気分なのだ。
「はぁぁぁ…………」
出るのはため息ばかり。
「どうしてこうなったかな…………」
思ってみても結論が出るわけじゃない。
琳太郎はベッドでひとり大きなため息をついてばかりいたのだった。