タイトル「仮)男人魚と人の子と その8」

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 孝太郎がホテルの電話でマヒルに直接連絡を取ってくれて琳太郎は彼と2人っきりで会える時間が取ってもらえた。
かつての売れっ子は未だに輝かしい面影があり、ファンだったら飛び上がって喜ぶだろうレベルの若々しさを保っていた。
「どうも。初めまして、と言ったほうがいいんだろうね」
「わざわざ時間を取っていただいて申し訳ないです」
 彼の部屋でテーブルを挟んで向かい合う。
彼は笑顔で迎えてくれたが、その目の奥はけして笑ってはいなかった。
「で、2人っきりで会いたいと言うのは、やはり彼のことかな」
「……はい。あの……彼は本当に…………?」
「君も経験しただろ? 彼は綺麗な人魚だ」
「はぁ…………」
「君は何をされてる?」
「えっと………………」
 言い淀んでいると、業を煮やした彼が言葉を出した。
「精液、吸われてる?」
「えっ、ぁ……はい…………」
「だったら正解。彼はそうしないと陸では生きていけないからね」
「え? えっと…………彼は僕の、その……」
「精液」
「ぁ、はい。それを摂取するのは陸で生きていくため……ですか…………?」
「……まぁ、正確には彼らが命を永らえるための行為と言うのは聞いたけどね」
「ああ、そういうことですね…………」
 だったらやっぱり彼は嘘をついてなどいなかったと言うことになる。
陸にいても海にいても、彼らの命を永らえるものとなるのはやっぱり男の放ったモノでしかないのだと言うこと。
それによって受精するとか妊娠するとかと言うことではなく、単純に命を永らえるためにする行為だと言うのが明確になった。
それが分かった琳太郎は「それなら」と次のモーションに考えが移っていた。
「だったら……マヒルさんはそれをどの位の間されてたんでしょうか」
「ああ、そうね……。だいたい半年って感じかな?」
「半年?!」
「うん。だいたいその位だと思うけど、当時僕はまだメジャーデビューとかしていない時期でね。今みたいに忙しくなかったんで彼とよく戯れてた」
「……」と言うことは、自ら望んで……と言うのも多いにあったとも言えるわけだ。
でも琳太郎はけして望んでこうなっているわけではなかった。
結果は同じだと言うのに、どうにかして自分のせいではないことにしようとしている自分がいるのに気づかないふりがしたかった。ただそれだけだ。
 何故なら琳太郎は今、彼をつき放つだけの財力も精神力もなく、されれば嬉しいとか思ってしまってもいるわけで。そんなことを思っていると、何故自分がこの地にきたのかも忘れてしまいそうになっている。
 ああ、そういえば好きなコに振られたんだっけ……。
 考えてみればそもそもの始まりはそれだったな……などと、なんだか遠い昔の出来事にも思えてしまうほど時間の経過を覚えた。
「君はさ」
「ぁ、はい」
 自分のことだけ考えるのに必死になっていて相手がいるのを思わず忘れてしまいそうになる。声をかけられて相手を見ると意味深な顔をされていてギョッとしてしまった。
「君は知ってるかな。かつて人間は不老不死のために人魚の肝を食べたがったと言う話」
「……おとぎ話とかでは聞いたことはあります」
「僕もその程度だったよ。でも人間がそんなことを思っているのを当の人魚たちは知ってるだろうか、とは思わないか?」
「はぁ」
 それは知ってても知らなくてもいいんじゃないだろうかと思う。何が言いたいんだろう……と危ぶんでいると、彼が身を乗り出して小声で話しだした。
「彼らはそれを知ってるんだよ」
「……」
「彼らが僕らの生気を吸い取るって言うのは、いわゆる報復とか言うのではなく、僕らがそれを言い出す以前からそうしていたと言う節がある」
「……?」
 怪訝なまま首を傾げると「だから」と分かれよ、と言わんばかりに強く口にされる。
「彼らのほうが先に事に及んでて、それに納得いかない者が出てきた。つまり人間側にね」
「はぁ」
「彼らは人を殺めない。その代わり生気をいただく。手段としてこんな手口を使っているんだと僕は思う」
「そうですか」
「君も僕と同じ立場なんだから十分にその時間を味わうといいよ。彼らはけして命までは取らないから」
「……はい」
 だから何? と言う話をされたのに、それから後はどうしたらいいのかが分からない。見つめ合ったままその先があるのかな? と思っていたのだが、そうではなかったらしい。彼のほうも自分と同じ立場になった人を見てみたかったと言うのが強いし、ちよっとした嫉妬みたいなものもあったらしい。
「君、彼と出会ってどのくらい?」
「まだ……数日ですけど」
「そう。じゃあ少なくとも何ヶ月かは右手のお世話にはならないで済むよ」
「そんな言い方……よくないと思います」
「でも事実だ。彼らにとって僕らの精液はけして汚いものではないし、大事にしてもらえるよ?」
「そりゃそうでしようけど……。あのっ」
「何?」
「……終わりって言うのはどういった感じなんですか?」
 突然いなくなられるとか、決別の方向に持って行かれるのかとか……。彼の場合はどんな状態だったのかが知りたかった。
「うーん。そうね…………。一週間前くらいに言われたよ。『そろそろ帰る時期になった』って」
「それで納得いったんですか?」
「人魚の姿も見てるしね」
「……」
「君ももう見た?」
「ぁ、はい。その姿で露天風呂に入ってましたから」
「ああ、そうか。あの部屋は露天風呂あったね」
「はい」
「はははっ。人魚が露天風呂か。こりゃ面白いな」
「ちっとも面白くないです」
「ごめんごめん」
「……」
「あーー。ほら、人魚って元々は海の生き物だろ? いつまでも陸にはいられないって、どこかで思ってたしね」
「そう……ですね…………。でもやっぱり別れは辛かったでしょ?」
「そりゃそうだよ。言われたからって『うん、分かった』なんて言えやしない。僕は元々彼のことが好きだったしね」
 言ったかと思ったら、マヒルは突如として彼との馴れ初めを話し始めたのだった。
「僕がまだ流しで歌を歌ってた頃。客とケンカしてボコボコにされて路地裏で転がってた時、介抱してくれたのが彼だったんだ」
「……介抱?」
「そう。抱きつかれてキスされて傷口舐められて……。だから女かと思ったんだけど、そうじゃなかった」
「あー」
 なんか一緒なような出会いって言うか…………。不意をつく出会いって言うか…………。
 その光景を思い描いてポリポリと指で頬をかくとソッポを向いてしまう。結局時代は変わってもやることは変わらないんだな……と思わされた琳太郎だった。
「ああ、それでね」
「はい」
「彼に舐められると傷口が治癒するんだ」
「え?」
「治癒」
「そう……なんですか?」
「それはまだ経験してないんだね?」
「はい」
「たぶん彼は何でも吸い取って自分の栄養に変えちゃえるんだと思うんだ」
「マヒルさんは何故今でも彼を探してたんですか?」
 もしかしてそれが関係してるのかな? と聞いてみた。するとそれを察したマヒルがニタッと笑ったのだった。
「君は察しがいいね」
「……」
「彼は一度関わった人間とは会わない、会えないと言ったんだ。何故か分かるかい?」
「寿命がどうとかって……」
「ああ。そこは聞いてるんだ」
「彼はあなたと出会った時と変わってないんですよね?」
「そう。まったくと言っていいほど変わってないよ。ただ時代に合った服装をしているから却って若くみえるくらいだ」
 何年かに一度陸に上がって若さを保つために男と接触する。その頻度がまちまちだから何年に一度になったり何十年に一度になったりする。人魚は変わってなくても人間のほうは年を取る。だから迂闊に会えないんだと言う話だった。
「それは人魚の肝を食って……に繋がるんでしょうか」
「僕はしないけど、そういう考えの人も出てくると思うよ。実際に彼を見てしまうとね」
「なら何故あなたは彼と会いたがったんですか?」
「……彼の言っていたことが本当かどうか。それが確かめたかったんだ」
「本当に? それだけ?」
「ついでに言えば、僕はまだ彼が好きだよ」
「ぇ」
「でも僕はもう年寄りだ。最後に彼に会いたかったと言うのもあるし、逆に年老いた姿を見られるのはどうなのかな……とも思った。だけど彼に会いたい気持ちのほうが強くてね。死ぬ前に会えたらラッキーだと思ってたんだよ」
「……若返るためじゃなくて?」
「いやいや。僕らは若返らないよ。若返るのは人魚だけだ」
「でも肝を食べれば……」
「僕は彼を殺すことなんてとてもじゃないが出来やしない。君だってそうだろ?」
「そりゃそうですけど……」
「つまりそういうことさ」
「は?」
「……分からないかな」
「……」
 ちっとも分からないけど、ここで分からないと言うのも嫌かなと口を噤む。するとマヒルは指を一本立てるとチッチッチッと左右に動かした。
「君はまだ自覚ないかもしれないが、もう彼に魅了されている」
「……」
 そうかな? と首を傾げてみるが、嫌いではないことは確かだ。
 少なくとも昨日会ったばかりだと言わなくて正解かなと思った。
 最後に『また会いたいから』と連絡先を交換したが、相手は琳太郎にではなく幸太郎のほうに会いたいに決まってると分かっていた。でもまだこの先何があるかも分からないので先輩は大事にしようと考えれば、これはいい行為だと頷く。
「じゃ」
「ぁ、はい」
 パタンッとドアが締められて自室に戻るまでの間、ボケッとしていたのかエレベーターで一階まで行ってしまってから最上階まで上がるはめになった。
「あっ!」
 自室の前まできて「どうせならチケットのおねだりすれば良かった」と思った琳太郎だった。