タイトル「ポンコツオヤジの選ぶ道」-同人誌試読

 背の高いビルがいくつも並ぶオフィス街。
ビルとビルの間を吹き抜けていく風は時折突風となって街路樹の落ち葉を舞上げる。
舞上げられた落ち葉はクルクルと宙を舞い、ビルの上のほうにも飛んでくることがあった。

 節約節電が騒がれる昨今。
夜のオフィスは外同様閑散としていて、時折窓に当たる落ち葉のカサッと言う音が聞き取れるくらいだった。
 11階建オフィスビルの6階ワンフロア。
これが男の在籍している会社だった。
きちんと天井まである丈夫なパーテーションで区切られた会議室が4つあって、その他大きく6つの部屋に分けられた部署が存在する。
ここは大手広告代理店の下請けをしている中堅の会社「リツカコーポレーション」だった。
その部署の内、営業一課のオフィスにひとつだけデスクライトが点いている。
そこにはそのフロアにいる唯一の社員である山吹艦(やまぶき かん)が働かされていた。
「あー、かったりぃ」
 椅子を引いて大きく伸びをする姿はとても就業時間内では見せられない姿だ。
男やもめの35歳。
顔はまあまあイケメンだが、この時間になるとさすがにちょっと不精髭が気になり始める。
艦は伸びてきた髭を確認するように手で顎を摩ると引き出しからシェーバーを取り出し、おもむろに髭を剃り出したのだった。
ジージーと髭を剃る音が室内に響く。
「んー、いいね」
 しばらくすると顎の不精髭が綺麗になくなっていた。
艦は床に散らばった自分の髭の残骸を脚でまとめると再び自分のデスクに着いた。
これで明日の朝、掃除のおばさんに掃除してもらうつもりなのだ。
身綺麗になっても時間が時間なので仕事なんか全然する気になれない。
「帰りてぇなぁ……」
 正直帰りたい。寝たい。でもまだ帰れないのだ。
 時間はそろそろ終電が近づいてきている。
『残業は控えましょう』と最近お達しがあったばかりだと言うのに、艦の上司である持田春樹(もちだ はるき)は、ここのところ毎日艦に残業するように仕向けてくる。
それと言うのもこの残業はサービス残業だからだ。
デスクライトの電気料金だけで自分の出来なかった仕事をさせる。しかも元上司にだ。


 一カ月前、確かに艦は持田の上司だった。
ちゃんと営業一課の課長だったはずなのだが、ある事件が発端で艦と持田の立場は逆転してしまったのだった。
 そもそも艦は持田のことも嫌いじゃなかったし、この営業一課も嫌いじゃなかった。そして沢田のことも。
沢田凜太(さわだ りんた)。29歳、営業マン。
笑顔の可愛らしい元気のいい営業マンだった。
 元々は持田と沢田はコンビを組んで仕事をしていた。
大手のプレゼンには他社よりもいいものを作り成績も良かったと言ってもいい。
艦は二人の直属の上司として誇らしかったし可愛かった。
でもどうやら沢田は違っていたみたいだ。
突然いなくなった。しかも今までのクライアント情報を持って。
 会社はおおわらわだった。
クライアントに被害はなかったし顧客を取られることもなかったのだが、痛手はこうむった。
 あんなに信頼していたのに……。
 艦は空しさに襲われてなかなか立ち直れずにいたのだが、それよりもコンビを組んでいた持田のほうが心配だった。だけど持田は艦のように弱さを顔に見せなかった。
何事もなかったように振る舞っていたのだ。
艦にはそれが不思議でならなかったし心配でもあった。そして突然の人事異動だ。
そこでふたりの立場が逆転した。彼が課長になり艦が部下になってしまったのだ。
 最初は屈辱でしかなかった。辞めてやろう。今すぐ辞めてやろうっ! と思って一カ月。日にちだけが経ってしまっていた。
日にちが過ぎる毎に気持ちは徐々に弱気になってくる。だから今は敗北感とか虚無感しかない状態で会社に来ている艦でもあった。


「もう帰っちゃおっかなぁ…」
『山吹さん。これ、明日の会議までに体裁お願いします』
『はいはい』
 答えた手前、やらなきゃ元上司として格好がつかないのも事実だった。だから帰りたいのは山々だったが、出来るまで帰るに帰れないでもいた。
「くっそっ」
 その時、チンッとエレベーターの開く音がした。
「ぁ…」
 いけない、もうそんな時間か……。
 時計を見ると時間はもう12時を回っていた。
コツコツと歩きひとつづつ部屋を開けてチェックしていく。警備員の見回りだった。
この時間を回ると社内どころかビル内にも人はほぼいなくなる。
靴音がこの部署へと近づいてきてカチャリとドアが開かれた。懐中電灯の明かりがデスクランプと重なってから艦の顔を照らした。
「お疲れさま」
 振り向いて光を遮りながら警備員に声をかけた。しかし何だかいつもとシルエットが違うような……。
「あのっ…」
「ぇ?」
「まだ残業ですか?」
「ぇ…ええ、まぁ……」
 声はいつもの警備員とは明らかに違っていた。
ここの警備員はほとんどが定年を迎えてから次の職として現場に着く者が多い。たまに若いバイトもいるのだが、あんなに背の高いバイトなどとんと記憶にないのだが……。
「新しい方ですか?」
「ぁ、はい。夜中の勤務は初めてで……。あの……このフロアに残っているのはあなただけですか?」
「たぶんそうだと思いますよ」
「そうですか。分かりました、頑張ってください」
「…はい。ご苦労様です」
 シルエットしか見えなかったが、なかなか感じのいい青年だった。
年配の警備員とはよくこの時間お喋りをしたりするのだが、初対面なのでそんなこともしないか…とデスクに向き直る。
「早く仕上げてとっとと寝るかっ」
 警備員が見回りに来る時間ともなれば、もう終電も出たと言う証拠だ。艦は時間を確認すると「今夜もここで寝袋就寝だな」とつぶやいたのだった。



「山吹さん。またここで寝たんですか?」
「ぁ………? ああ、持田か。おはよぅ……」
 上から覗き込まれて目を覚ます。
声をかけてきたのは人より早く出社した持田だった。心配そうに、と言うよりは少々呆れて話しかけてくる。
「こんな堅い床の上で寝ては体が持ちませんよ」
「うーん……」
 床じゃなくてここカーペットじゃないかよ……。
 屁理屈を言いたいのを抑えて寝袋のまま背伸びをする。持田は艦のデスクの上に置いてある出来上がった書類を見て振り向いた。
「ありがとうございます。ではこれを人数分コピーお願いします」
「後でいいだろ?」
「ええ、会議はいつも通り11時からです。それより、早く身支度するのが先ですね」
「言われなくても、だ。だいたいお前が来るのが早すぎるんだろうがっ。今何時だと思ってるんだっ」
「朝の7時ですか」
「始発で来てるのか?!」
「まさか。その次です」
「似たようなものだろっ?!」
 こっちが屁理屈を言わなくても相手が屁理屈を言う。いつからこんな風になってしまったのか……。
決まっている。上下関係が逆転してからだ。
 艦は持田にせかされるまま寝袋を仕舞うとボサボサになった髪とクシャクシャになった洋服を綺麗にするように言われた。
「してください」
「そんなことは分かっている」
「では今からロッカーに」
「分かってるからいちいち言うな」
「分かりました」
 指図されるのは好きじゃない。
艦は舌打ちこそしないが、まさにそんな勢いでデスクを後にした。
自分のロッカーに行って新しいワイシャツとスーツに着替える。
洗面セットを持ってトイレまで行くと顔を洗って改めて今度はカミソリで髭を剃ってスッキリさせると、近くのコンビニで朝食を買おうとエレベーターで一階へと向かった。
「……」

 階数を示すボタンが一階に着いて外に出ると、まるで艦を待っていたように持田がコートを着てそこにいた。
「何でそこにいるんだ」
「と言われましても」
 そもそも答えなんか期待していない。
艦は持田の横を通り過ぎるとコンビニへの道を急いだ。しかし持田は艦の腕を掴むと無理やり方向転換をさせて反対側にあるファストフードのショップに向かったのだった。
「ちょっ! 何すんだよっ!」
「朝食。奢りますよ」
「はっ?! 俺はコンビニ弁当でいいってばっ!」
「それは昼食にたらどうですか? 私がせっかく奢るって言ってるんだから行きましょうよ」
「しかしだなぁ!」
 掴んだ腕を離さずにグイグイ進む持田に、プラス「奢る」と言う言葉に釣られて嫌々ながらもついて行ってしまう。
モーニングセットを頼んでふたりしてテーブルで向かい合う。
「お前、もしかして寂しがり屋さんなのか?」
「何とでも言ってください。私は山吹さんがひとりで黙々と食事をする姿を見たくないんです」
「ぁ、そっ」
 いただきますと手を合わせて有り難く朝食を食べる。向かいの持田は艦が食べるのを確認してから自分の朝食に手をつけたのだった。
 この持田。背格好は艦よりもちょっと大きいが物静かな男だった。
学生の頃はきっと秀才とか言われてたんだろうな…と思うほどきっちりしていて、艦は沢田と組ませる時に両極端なふたりを組み合わせるのはお互いの利点になるだろうと踏んだのだった。
「どうして俺のことなんか気にかけるんだ」
「私の上司だった人です。当たり前でしょう」
「こんなに気にかけてくれても、しょせん俺は降格された身だからな。これから下がることはあっても上がることは二度とない」
「私はそんなこと何も期待してませんから。ただヤケにならないで欲しいとは思っています」
「ふぅん」
 言ってる意味は分かっていたのだが、その真意までは分からなかったし分かろうともしなかった。今はただ目の前の食事をさっさと済ますのに時間を費やしたかったのだった。
「資料にあったN食品だが、プレゼン何社立ってるんだ?」
「3社です。例のサクマも来ます」
「……勝てそうか?」
「それはクライアント次第でしょ」
 そんなことはあなたにだって分かっているはず。持田はそんな顔をしながらマフィンをかじった。
今日はそのプレゼンの予行演習と言うか、最終社内プレゼンのための会議なのだ。
艦は出ない。かつては主になって出ていたのだが、それをするのはもう持田なのだ。
「誰が行くんだ」
「本プレにですか?」
「ああ」
「それは私が」
「お前はやめておいたほうがいいんじゃないか? 道長あたりを行かせとけよ」
「でもあれは大きな仕事です。道長では荷が重すぎるでしょう」
「そうか……」
 艦が気にしているのは持田が失敗しそうだから、とか言うのではない。
 さっき口にしたサクマ。正式名称「サクマ広告」には持田の相棒だった沢田が移籍しているだろうと踏んでいるからだ。
表立って彼の在籍はない。しかし同業種は思いのほか世界が狭いのだ。彼がサクマにいるらしいと言うのは、もっぱらの噂だった。
 彼はこのプロジェクトの最終段階まで拘わっていたからきっとそれを手土産にしているはず。
艦はそれを考えたのだが持田も同様だった。だからタイムリミットが迫る中、まったく違う企画を捻り出した。
これでこの企画が通れば、艦は改めてお払い箱となるだろう。別にこの会社に執着するつもりはなかったが、昨今の就職難を考えると少々頭が痛いなと思うところだ。
「今日の会議は出てくださいますか?」
「何故? 俺は降格された身だ。その会議には参加出来ない」
「でも発案者として」
「発案者はお前だよ。俺じゃあない」
「……分かりました」
「頑張れよ」
「はい」
「俺はそろそろ行くよ。御馳走さんっ」
 席を立って店を出ようとすると「山吹さんっ」と呼び止められた。
「何だよ」
「……いえ、何でも」
「じゃ、先行ってるから」
「はい」
 持田が言いたいことは分かっている。
彼は艦をどうにかしたいのだ。が、艦の立場は何をどうやっても変わりはしないのだ。それを分かっている艦は持田の気持ちだけ受け取ったのだった。



 本プレゼンを前に行われたプレゼンと言う名の会議は無事に終了した。
 艦は次のプロジェクトに向けて持田に構想を練るように言われたので、建前上イエスと口にしていた。それを真に受けた持田は今日もまた奮って残業を押し付けてきていたのだった。
 残業するのは、かったるいが嫌いではない。
どうせ家に帰っても誰もいないから時間潰しになるくらいだ。でもそんな艦だって二カ月前までは順調な人生を送っていた。
少なくとも自分ではそう思っていた。
ちゃんと妻子だっていたのだ。しかし仕事にかまけている間に女房は子供を連れて出て行ってしまった。後には離婚届が置いてあるだけで家族を失ってしまったのだ。
「あー………。どうすっかなぁ……」
 持田に持って来られたのは地元の食材を集めた物産展の催し物件だった。
 そのまましてしまえばただの田舎の物産展になってしまうので、少々小洒落た感じに宣伝を作って欲しいとのことだった。
最近は「道の駅」など代表的な「いつでも物産展」があるので少々のことではお客は振り向いてもくれない。
場所と日時・キャッチフレーズ・ゆるキャラ云々やり方は色々あるが、何より何を目玉にするのか。
それが決まらなければ動きようがないだろうと思うのだが、持田は斬新さを出して欲しいの一点張りで艦に制限を設けなかった。
それはそれで自由でいいのかもしれないが、没率のほうが大きくてやっていられなくなるのを分かっているのだろうか。
艦はまたまた一気にやる気を無くしてサジを投げてしまった。
「あいつにはホント参るなぁ……」
 そしてまた終電間近。今日は帰らないとさすがに着替えがない。艦は時間を気にしながら席を立つとロッカーまで急いだ。
途中事務所の鍵をかけようかどうしようかと迷ったのだが、もうすぐ見回りが来るんじゃないかとエレベーターを気にしてみた。
 振り向いてエレベーターを見ること数秒。しかしエレベーターのランプが点くことはなかった。
「仕方ないか…」
 ここはいったん事務所を閉めて、それからロッカーに向かおうとカチッと鍵をかけた時、非常階段のほうからカツンカツンと階段を降りてくる靴音が聞こえてきた。
「ぁ…」
 今頃来たのか……。
 行こうか行くまいか、とても迷う。
鍵を持ったまま立ち尽くしているとエレベーターの横の非常口の鉄の扉がゆっくりと開いて、いつもの警備員ではなく昨日の背高のっぽの青年が立っていたのだった。
「ぁ、今お帰りですか?」
「ええ、まぁ。あー……もうそろそろ見回りに来るか来ないかって時間だから、鍵をどうしようかな……と思ってたところなんだ」
「ああ。じゃあ鍵、いただきましょうか」
「いや。まだ俺、ロッカーに用があるから」
「そうですか…。じゃあ俺はここを見てからロッカーに行きますから。そしたらそこで鍵をください。そうすればあなたも警備員室に寄らないで済むでしょ?」
「ああ。悪いね」
「いえ」
 と言うことで、その場で職場の鍵を開けて艦はロッカーへと向かった。
 ワンフロアにひとつの会社が占めているこのビルは、エレベーター前の共有エントランスが広い。
そのためにロッカーがエントランスを挟む位置にあるために鍵は常にふたつ入り用となるのだ。
艦はロッカーにあるベンチに鍵を置くと急いで昨日のスーツとシャツを取り出してスーツ用の収納袋に突っ込んだ。
そして自分のカバンとそれを手にするとさっさとロッカーをロックしてベンチに置いた鍵を手にした。
入り口まで来るとさっきの若い警備員がちょうどこっちにやってくるところだったので、余分な手間をかけさせないで済んだと胸を撫で下ろした。
「すみません。じゃあこれ」
 ジャラッと相手の手の上にふたつセットになった鍵を置くとすれ違う。
「あのっ」
「え?」
「俺、久高智也(くだか ともや)って言います。これからもこの時間回りますんで、よろしくお願いします」
 軽いお辞儀をしながら被っていた帽子をあげられて驚きながらも挨拶を返す。
「こ…ちらこそ。ぁ、じゃあ辻本さんは?」
 それは彼が来るまで毎日見回りに来ていた警備員の名前だった。
「彼は昼間の仕事にシフトチェンジしました。何でも膝が痛いそうで、深夜勤務が辛くなってきたそうです」
「そうか…」
 辻本と言う警備員は他の会社で定年になって第二の就職先としてここの警備をする仕事をしていた人間だ。
膝が辛いと言われればそんな年だなと納得出来る。もう彼と深夜にお喋りすることもないのかと思うと寂しい部分もあったが、そればかりは仕方ない。
艦など定年になる前に第二の仕事先を探さなければならない立場なのだから、人のことなど言ってられないのだ。
「寂しいですか?」
「え?」
「また昼間会えますよ」
「ぁ? ああ」
「辻本さんに言っときます。山吹さんが寂しそうだったって。じゃっ」
 ニッコリとほほ笑むとさっさと業務に戻る。
久高と名乗った男は、艦が驚くのも構わずにロッカーの見回りをすると、その場で鍵をかけてエレベーターのボタンを押した。
艦は訝しげに久高を見上げると彼はまたニッコリとほほ笑んだのだった。
「来るまで待ってます」
「何で俺の名前知ってるんだ」
「嫌だな。辻本さんから聞いてですよ」
「ああ」
 そうか。そうだと思ったが、やっぱり聞かないと安心出来ない。
艦はエレベーターが来るまでの間、隣に立つ男を盗み見てみた。やっぱりいい男だ。
背が高いだけでもポイント高いのに細面で少し堀が深いのが明かりのせいでよく目立つ。それにこの警備員の制服がよく似合っているところが癪でもあるくらいかっこ良かった。
「ぁ、来ましたよ」
「ぇ、あ…ああ」
「じゃ」
「ああ…」
 清々しいくらい爽やかに厭味のない態度で、自分が乗るのでもないエレベーターが来るのを一緒に待ってくれた、のだろうか…。
艦は男が非常階段のあるドアに消えて行くのを見てボーッとしていた。
「っと、いかんいかんっ」
 閉まりそうになるエレベーターに入るといい奴だなと笑顔になる。
「しかしあんないい男がこんな深夜勤務をするなんて……」
 腑に落ちないとは思ったが、深夜勤務は金がいいのが魅力だ。それに釣られてやる人間だってるのだから、きっとあいつもそうなのだろうと落ち着く。
そんなことよりも早くしないと最終電車に間に合わない。艦は時計を見てからエレベーターのランプを見つめたのだった。



「やっぱりあいつサクマにいますっ」
「ぇ……」
 仕事が始まってすぐ、艦は持田に会議室に呼ばれていた。
「どうしてそれが分かったんだ?」
「たまたまですよ。道長が寄った営業先でチラッと見かけたそうです。サクマの営業と一緒に挨拶回りしてたっぽいとのことでした」
「そうか…」
「そうかって、山吹さん悔しくないんですか? 私はとても悔しいです」
「………でももうどうにもならないだろう」
「でも汚名挽回したいです」
「誰のために? 俺のためにだって言うのなら、それは辞めておけよ」
「……」
「いいか。しょせんこんな業界は業績でしか判断されないんだ。あいつがあそこで生き残れるかどうかなんて誰も分からない。そんなことより、お前はお前のことを考えればいいんだよ」
「……」
「分かったな」
 ポンポンッと持田の肩を叩くと会議室を後にする。
「そろそろ辞め時かな……」
 これ以上ここにいると今度は持田が無茶をしそうで恐い。
艦は自分の潮時くらい自分でちゃんと決めたいと言う気持ちになっていた。

 今日、辞表を書こう。

 デスクに戻りながらひとつだけ大きく頷く。
 最後の仕事を見届けずに辞めるのは少々気が引けたが、持田のペースを乱すわけにはいかない。
 あいつは俺がいなくても全然大丈夫だから気にしなくていい。
 心を決めた艦の顔は晴れ晴れとしていたのだった。


 昼間はなかなか落ち着いて辞表を書くことが出来なかった。なので皆が帰ってしまってから白い紙に自筆で辞表を書くと部長の机に置く。
 本当は直属の上司である持田に持って行くのが筋だろうが、そうするとそこで止まってしまう恐れがあるので、もうひとつ上の部長のところに置いておく。
そして昨日渡された案件の提案を数件書き記した提案書を持田のデスクに置いたのだった。
「これで終わりだ」
 自分の心が決まった時に一気に動いてしまったほうがいい。
心残りは、もうあのイケメン警備員に会えないことくらいだった。
「クヨクヨすんなっ」
 全部の荷物を整理するとデスクを綺麗にして事務所を出る。時間が早かったせいか久高はまだ来ていなくて直接サヨナラを言わずに済みそうだ。
「お疲れですっ」
「あれっ。山吹さん、いつもより早いんだね」
「ええ」
「それに…あれっ。何だか大荷物なんじゃない?」
「ええ、まぁ」
 年を取った警備員が老眼鏡を上げ下げしながら近づいてくる。そんな彼に笑顔で事務所とロッカーの鍵を手渡すと一歩脚を踏み出した。
「俺、今日で辞めるんで」
「ぇ…辞めるの? 辞めて何するの」
「何しようかな…」
 はははっ…と笑いながらも歩きだした脚を止めはしない。
「それじゃ。またどっかで会ったら声かけてくださいっ」
 歩きながら片手をあげて手を振ると後ろから警備員の「達者でなっ」と言う声に励まされる。
艦は「ええ」と大きく返事をするとビルを出て駅へと向かったのだった。





 夜が明ける。そして日が上る。だけど艦はベッドから起き上がらなかった。
「あー。今日からはもう出掛けなくていいんだな」
 この時間に起きなくていいのに幸せを感じた。
これから何をしようか。
有給休暇があるから一応今月中はリツカの社員なのだが、もうあそこに行くこともないだろう。
次の仕事があるかどうかが問題だが、しばらくはゆっくりしたいなと布団の中で体を伸ばしてみたり丸めてみたりしてみる。
 束縛されないってのもいいものだな……。
 ゴロンゴロンッと布団の中で心地よさを堪能していると腹がグゥ〜と鳴って朝食の催促をされた。
仕方がないのでノソノソと起きると朝食の準備にかかる。
「ん〜」
 ボサボサの髪をかきながら冷蔵庫の扉を開けて中から卵とハムとヨーグルトを取り出すと、そのまま調理台に持って行く。
半分目を擦りながらフライパンを用意してコンロで調理をしだす。食パンも厚切りを一枚トースターに入れて、徳用ヨーグルトを大きなスプーンですくい取る。
そのころになるとようやく目も覚めてきて動きがスムーズになってくるのだった。
 時間は午前九時を少し回った頃。仕事が始まったばかりだ。
今頃携帯が鳴っているかもしれないが、艦は電源を切っていたので知ったこっちゃなかった。
ベッドから出たままの格好で食事を食べながら気が付いたようにテレビのスイッチを入れる。
「ちょうどニュースが終わっちゃったか…」
 それならとポストに新聞を取りに行くと玄関のチャイムが鳴ったのだった。
「誰だ?」
 会社の人間が来るはずもないが、もしそうだとしても早すぎる時間帯だ。
 新聞代は引き落としだし、セールスにしても早すぎる。
 艦はしかめっ面をしながら玄関の内側にある新聞を取るとカチャッと鍵を開けたのだった。
すると間髪入れずにドアが開かれ自分が影になるほどの人物がそこにいたのだった。
「山吹さん。あなたどうして」
「ぇ…あっ、お前…どうしてここに……」 
本誌に続く