タイトル「流刑の館-主線-2」

「なんだ?」
「いえ」
「今何か思っただろう。はっきり言え」
 彼らと別れて自室に戻る途中、後ろについてきたクラークを振り向き毒づく。
彼はこんな時、絶対何か言いだけな顔をするからだ。
「坊ちゃんが嬉しそうで何よりです」
「僕が? 嬉しそうだと?」
「はい」
「何がそんなに嬉しいって言うんだ。言ってみろっ」
「……典聖さまが無邪気にもグスタフに懐いていたのが、ですか」
「お前は僕が嬉しがるのが好きか」
「はい」
「……」
 そうか。
 その一言が言えなくて口ごもる。
海聖は自分も典聖のように素直に喜べたらいいのに…と思いながらも出来ないでいた。



 自室に着くといつもの一人掛けソファに腰を下ろす。
「レコードでもおかけしますか?」
「いい。小屋主が来るまで休憩する。ひとりにしてくれ」
「かしこまりました」
 カーテンと窓の鍵のチェックをしたクラークがドアの前で一礼して出ていく。
海聖は彼が出ていったのを確認すると大きく伸びをして窓際のデスクまで歩いた。
 デスクの上には一束の書類が置かれている。
それを手に再びソファまで戻るとパラパラと中身を確認してみる。
その書類は、これから会う小屋主についてクラークが調べた情報だった。
少なくとも素性も分からない相手を主人に会わせるつもりはないらしい。
その点では感心するが、ここに書類があること自体を言わなかったので褒めてやろうとは思わなかった。
「情報と言ってもこんなものか」
 そこには見世物小屋でで働く人間と今までどこを回っていたかなどが書かれているだけだった。

 見世物小屋は名称を「拙者椿(つたものつばき)」と言い、通称「椿屋」と呼ばれていた。
西洋かぶれした小屋主はシルクハットに髭とイギリス紳士を気取っているが、意地汚さが前面に出ている風体だと言うこと。
そして小屋には奇形な大人や売られてきた子供などが見世物としているらしいと言う事実。
 この小屋の目玉は人魚。
ふだんはちゃんと女の子の格好をしているらしいが、奇形な大人に混じって働かされているようだと言うことだった。
いわゆる世間一般のイメージ通りな見世物小屋でしかなかった。
たいした収穫でもないが、ないよりマシな情報につまらなそうにため息をつく。
 こんなものがメインで大丈夫なのだろうか……と一抹の不安を覚えはしたが今さら変更もきかないことくらい分かっている。
これが最低な見世物小屋だとしても、その他の興業がもり立ててくれれば体裁は整うだろう。
 そう踏むしかない。
 祭自体は土日と二日間だったが、週末に催すとあって前夜祭と称して金曜日の夜から興業は始まる。
屋台や見世物などの業者は前日の木曜あたりから村に入る者もいるので村全体が活気づくのだが、あいにく村には宿屋がなかった。
そこで急遽宿屋になるのが寺だ。
村には寺がふたつあり、そこが全面的に業者を引き受けてくれることになっている。
業者は金を稼ぎにくるのだが、それと同時に金を落としてもいく。
いい財源になっているので寺も嫌がりはしなかったのだった。
「つまらんっ」
 椿屋の人材情報が書かれた書類をポイッとテーブルに投げると大きくため息をつく。
「風呂に入りたいな」
 本来なら夕食後は読書をして過ごす。
そしてお湯が沸いたら風呂に入って寝る時間でもある。
海聖としては夜の来客は善しとしていなかったのだが、
自分で決めたわけでもない業者がどんな奴なのか事前に確認しておかなければならないと言う使命感にも駆られていたのだ。
 しかし。
時計が八時半の鐘を鳴らした。
「九時までに来なかったら今日は会わんっ!」
 それもこれもつまらない書類を読んでしまったからだと口をへの字に曲げるが、
怒りをぶつける相手であるクラークがそばにいないのにまたヘソを曲げる。
「うううう〜っ」
 思わず大声をあげてやろうかと思ったが、それも馬鹿馬鹿しいのでやめる。
「もう眠いっ」
 ウダウダしているとノックがあってクラークが入ってきた。
「小屋主が到着しました」
「そうか」
 やっときたか…と少々ダレていた顔を引き締める。
「今玄関で待たせているのですが…実は小屋主の他にもうひとり連れがいるのですが……通してもよろしいでしょうか」
「お前の書類にあった奴か」
「ぁ、はい。そうです」
「奇形か」
「いえ。そちらはもう寺に移動しているようで、お目にかかりたいと申し出ているのは少女です」
「ああ。人魚をやっていると言う奴か」
「はい」
「そいつだけ玄関で待たせておくわけにもいかんだろう。一緒に通せ」
「かしこまりました」



 しばらくすると書類にあった通り、いかにもうさん臭そうな男と、それとは正反対な美少女が入ってきた。
おかっぱ頭に着物姿がまるで市松人形のようで、小屋の中ではさぞ優遇されているのだろう。
身なりも格別綺麗だったのだが、その割りには奢っていない表情に少々関心が沸く。
 シルクハットにちょび髭・えんび服の小屋主は少女を引き連れて入ってきたのはいいのだが、
相手がまだ子供だと分かるとキョトンとして、それから慌ててへつらってみせたのだった。
「お…お初にお目にかかります。
あーーー、失礼。当主様がこんなにお若い方だとは思わなかったので少々びっくりしております」
「…」
「ぁ、私の名前は井沼。そしてこれがウチの目玉であります小袖と申します。
人魚をやらせています。こら、小袖。ご挨拶せんかっ!」
「は…はぃ。小袖と申します。よろしくお願いいたします…」
 か細い声で丁寧に頭を下げて挨拶してくる。
連れが連れでなければ「それなりの出」と言っても通じるだろう物腰に心が和んだ。
「で? …」
「あー、はいっ。この度は椿屋をこの地に呼んでいただきありがとうございますっ。
ウチの売りはこの小袖の人魚に始まり、熊男。蛇女。芋虫男。小人に軟体箱抜け男。
さらには上半身だけの手歩き男など、色々な見世物を取り揃えております。
小屋を開く前にぜひご領主さまにも」
「悪いが、僕にはそんな趣味はない。お前たちを呼んだのは単に興業を成功させるためだ」
「はは、さようでございますか」
 何を思ってここまで来たのか。
小屋主は「どうしたもんか…」と思案しているようにみえた。
 クラークが、用意してきた紅茶を出すためにワゴンを引いて部屋に入ってくる。
向かい合ってソファに座ると湯気の立つ紅茶が三人の前に静かに置かれた。
「ここの秋祭はずいぶん盛大なのですね。屋台主があんなにたくさんいるとは思いませんでした」
「例年こうだ。お前たちは言わばダークホース。
配置図は渡してあるとは思うが、中心には観覧車やメリーゴーランドを持ってくる。
お前たちは一番奥の端に位置してもらう。しかしいいか、不祥事は絶対に許さないからな。
もし村人に何かあったら、お前たちはこの地から出ていけないと思え」
「それは…承知しております。我々も色々な地を踏んできております。
不祥事を起こせばそこでの興業はもう出来ない。
それどころか噂が噂を呼んで自らの首を締める結果になり死活問題です。ご安心ください」
「そうか」
 それが分かっていれば少々変わった小屋を出しても大丈夫かと安心する。
 海聖は出された紅茶を勧めると目の前の美少女を観察してみた。
漆黒のおかっぱ頭が部屋のシャンデリアでツヤツヤと輝く。
芸者のような黒地に鮮やかな牡丹や菊の花が刺繍された着物が彼女に似合っていた。
 年の近い異性をこんなに間近で見るのが初めだった海聖は彼女に興味が沸いたが、それを顔に出してしまうような躾は受けていない。
だから見た目はいたって普通なのだが、彼女は小屋でどんな生活を送っているのだろうと密かに思った。
「去年は私たちの場所には何を出されたのですか?」
「数年お化け屋敷だったかな。あれはあれで評判が良かったのだが、今年はちょっと雰囲気を変えたかったんだ」
「さようでございますか…。でも私たちだけが新参者と言うわけではないんですよね?」
「ああ。今年のコンセプトが西洋物だからな」
「コン…コンせぷと?」
「いいんだ。今年は西洋物で行くと僕が決めた。
屋台の制限はしてないから去年来た者もいるだろうが、こちらから打診した出し物は皆新しい業者だ。仲たがいしないようにな」
「もちろんでございます。ウチは特殊な者ばかりですので配置にご配慮いただきありがたい限りです」
「……ところで質問なんだが」
「はい。何でございましょう」
「お前の隣にいる少女は何のために連れてきたんだ」
「これはこれは。ご領主様、小袖に興味がお有りですか?」
「興味?」
「はい」
 小屋主がニヤリと下種な笑いをする。
「興味はある。聞いてもいいか?」
「何なりと」
「この娘。人魚だと言う売り込みだが、体に鱗でもついているのか」
「…確かめて、ごらんになりますか?」
「いや」
「…」
「単なる疑問だ、気にするな。それより最初の質問に答えろ」
「は…?」
「何故わざわざ連れてきた」
「それは……ウチの売りはキワモノですが、ご挨拶の時くらい綺麗所をと思いまして」
「……」
 それだけか? と訝しげな顔をする。
 体裁を繕う口調に怪しげな顔が崩せない。
クラークが海聖の後ろについて相手を見下ろしたので小屋主はそれ以上のことを言おうとはしなかったが、
これは明らかに賄賂的な用途に使うつもりで連れてきたのだろうと想像出来る。
 小袖と呼ばれた少女はさっきよりも身を縮ませて俯いてしまっていた。
「用事は済んだだろう。もう寺に帰れ。和尚も心配してるだろう」
「は…はぃ。それでは今日のところはこれで失礼いたします。
またお気が向きましたら小屋のほうにも顔をお出しくださいませ。さっ、行くぞ小袖」
「はぃ。失礼いたします」
 せかされて立ち上がると丁寧にお辞儀をして小屋主とともに部屋を出ていく。
クラークは彼らを玄関に案内するために一緒に部屋を出たので室内は海聖ひとりになった。
「とんだお門違いだったな」
 相手もまさか領主がこんな年端もいかない子供だとは思わなかったのだろう。
少女を抱かせて今後に繋げようとでもしていたのかと思う。

 海聖は苦笑して部屋から続いている自分専用の浴室に足を向けた。
広い屋敷内は個々の部屋に風呂がついているのだが、
お湯を沸かすのに手間がかかるため風呂場と称した広い浴場が別に設けてあった。
時間を割って主人以外はそちらを使うのだが、海聖には関係のないことだ。
いつも風呂の支度はクラークがするのだが、時間も時間なのでさっさと風呂に入りたい。
そのため海聖は彼を待たずに風呂の蛇口を捻ったのだった。
お湯が出てくるまでしばらくかかるのも承知だ。
その間に自分でタオルを用意して下着やパジャマも用意する。
適度に水を入れるとちょうどいい温度になったので半分ほど貯まったら入ってしまおうと考えていた。
「どのくらいだ? だいたい五分くらいかな」
 部屋に戻って時間を気にする。
忘れると大変なことになるので気を抜かないようにしなければならない。

 五分と言う時間は気にしていなければ早いが、気にすると長い。
座るとついうっかりで眠ってしまうかもしれないので部屋の中をクルクル回ると窓の外を気にしてみた。
ここからでは玄関の様子は分からないが、彼らはきっと無事帰されただろうと木々が揺れるのを見つめる。
月の明かりもない今夜は空と木々の影の区別もつかないほど暗くてザワザワガサガサと枝が揺れている音が聞こえるだけだった。
「月も出てないのか…」
 明日の天気は大丈夫だろうか…と不安がよぎったが、こればかりは海聖でも逆らえない。
雨が降ればその一日興業はなくなってしまう。
秋祭は一年で一番村の皆が解放される日なので出来れば晴れて欲しかった。
口には出さないが海聖はまた天気を気にするように空を見上げてから風呂場へと急いだのだった。



「お手間を取らせてすみません」
 少しすると玄関まで行っていたクラークが急ぎ足で帰ってきた。
海聖が自ら風呂の支度をしているのを見つけて慌てた様子で足をより速めて近づいてきた。
「いや。気にするな」
 そもそも自分が入りたいから風呂にお湯を入れたまでだ。
「それより、僕は今から風呂に入る」
「はい」
「背中は流さなくていい。今日は早く寝たいんだ」
「かしこまりました。それでは白湯の支度をいたします」
「ああ」
 いつも寝る前・寝起きには白湯を飲むようにしていた。
これは小さい時からの習慣で体調が良くなると評判を聞き付けたクラークが海聖に施している、いわばおまじないのようなものだ。
効くと思えば効くだろうし、そう思わなければそうでもない。
もっと小さな時は『おねしょ』の元となっているのではないかとまで言われたくらいの行いだ。
海聖は彼が部屋を出てキッチンに向かったのを確認すると衣類を脱衣籠に入れて湯船に浸かった。
「ふぅ…」
 気持ちいい…。
 寒さで体が冷えていたのがよく分かる。
海聖はブクブクッと頭まで沈むとしばらく沈んでから静かに浮上した。
こういうことをするとクラークがいい顔をしないので、もっぱら彼がいない時にしかしない行為だが密かに楽しい。
海聖は何度かそれを繰り返してから体を洗って部屋に返った。
「髪を洗われたのですか?」
「……」
 待っていたクラークに問われて返事に困る。
「遊ばれたんですね」
 それでも何も言わないでいると、
「仕方ないですね…」と軽くため息をつきながら鏡台に座った海聖の後ろにきてタオルで濡れた髪を拭いてきた。
「湯船に潜られるのは関心しません。耳に水が入ったら、この地では命取りになりかねません。分かりますか?」
「分かってる」
「それなら」
「たまにはいいだろ? 僕だって少しは子供っぽいこともしたいんだっ」
「……分かりました。しかし十分に気をつけてくださいね。耳が聞こえにくい場合は水が貯まってるんですよ」
「分かってるっ」
「……」
 それから何も言わなくなったクラークは、ひたすら海聖の濡れた髪を抜くのに集中したのだった。
それを鏡から見た海聖はしばらく同じように無言でいたのだが、つまらなくなって話しかけた。
「お前はあの一座の興業を見たことがあるのか?」
「いえ。その時間は取れませんでしたので、評判を目安にしました。
あの一座は他の一座よりも見世物が多いと言いますか、ローテーションを組めるところが魅力だと思いました」
「ふんっ」
 普通はギリギリの人員で運営するのだが、余分な人員を置いておけるだけの余裕があると言うことなのだろうか…。
そう考えていると頃合いを見図るようにクラークが言葉を加えてきた。
「書類には書けませんでしたが、新たに分かったことがあります」
「言ってみろ」
「あの小袖と言う子供は少女ではありません」
「……まさかお前まで体に鱗が…とか言うんじゃないだろうな」
 からかいぎみにクスッと笑って鏡越しに相手を見る。
すると「ご冗談を」と言いたそうな顔で逆に笑われてしまった。
それにムッとした時、窓ガラスがカタンッと鳴った。
「……」
「……」
 鏡越しにふたりして顔を見合わせると、ただちにクラークが打って出る。
鏡の横に立て掛けてある竹刀を握ると窓に向かって足早に歩いて勢いよく掃き出しの窓を開いた。
「誰だっ!」
「きゃっ…」
「あ…なたはっ…」
 語尾がほとんど疑問符状態だ。
「何だ。誰だ」
「あっ…いえ、はい……」
 どうしたらいいのか…。
 少し困りぎみに返事をしたクラークの先には小さな黒い固まりが見えるだけだった。
だがそのシルエットからしてすぐに見当はついた。
「帰したんじゃないのか」
「はい。さっき確かに」
「なら何故ここにいんるだ」
「分かりません。分かりませんが…。さっ、中に」
 外は木枯らしが吹いていて彼女がさっきの着物のままだったら簡単に凍えてしまうほどだ。
「す…みません……」
 ガタガタと身を震わせて遠慮がちに室内に入ってきた小袖の姿は案の定さっきのままっただ。
いや、実はもっと酷いのかもしれない。
素足に履き物さえ履いてかったなからだ。
「すみません。ごめんなさ…。あの…僕……」
「え…」
 もしかして男なのか? 
 クラークを見上げると大きく頷かれた。
「シーザスッ!」
「まったくです。でもま、そんなことよりあなた、体が冷えてしまってますよ」
「…」
「風呂に入れ。今ならまだ湯が温かいだろう」
「はい」
 有無を言わさず小袖を風呂に連れていったクラークに大きく落胆の声をあげる。
 あいつに何をさせたいって言うんだ。
 相手の意図が分からない。
海聖はムッとしたまま浴室の入り口を見つめると、どうしようか…と考えなくてはならなかった。