タイトル「CinnamonTime」-1
「地史君もね、そろそろデビューとか考えたらどうだろう」
「ぇ……」
唐突にそんなことを言われた笹島地史(ささしま ちし)は、戸惑いの表情で相手を見つめるしかなかった。
確かに年齢的にも17歳ならデビューするにはちょうどいい時期だと言えるが……。
「そんなつもりはないって言うけど……社長のことを考えるとね、つい……」
地史にそんなことを言い出したのは、事務所の総マネージャー業を務める万田月彦(まんだ つきひこ)だった。
彼は芸能事務所をしている地史の兄・松城理一(まつき りいち)の片腕でもある。
以前いた事務所を理一が辞める時、一緒についてきた唯一の存在だった。
契約上タレントを連れてくるわけにも行かずに四苦八苦。
成功するか失敗するかも分からないのに、一緒にきてくれた有り難い人なのである。
理一は万田を心底信用していたし、それは地史も重々分かっていた。
その万田に、地史は最近くどかれているのだ。
「万田さん。でも僕……」
あまり乗り気ではない。
顔に表れてしまうほど心細い表情で地史は万田を見つめ返した。
「まだ陣君の世話をしたい?」
「ええ……。って言うか僕、表に出るつもりなんてないんですけど……」
「うん……。でもね、この事務所の状況を見ると今すぐ稼げそうなのは、もう君しかいないんだよ。私も少々無謀だと思ってるが、望みが君しかないとなると言わざるを得ない立場なんだ。それは社長もそうだと思うんだけど……」
チラリと社長が座っているデスクを振り返り、また小さな声で地史を勧誘する。
「君たち兄弟が一丸になれば事はたやすいと思うけど、私は社長にまでタレントをやれとは言えないからね」
「それは…」
そうだけど……。
僕たち兄弟。
万田さんがそう言ったように、社長である理一と陣、そして僕は案外年の離れた兄弟だったりする。
長男である理一は28歳。そして俳優をしている次男の有沢陣は今22歳。そして僕が17歳だ。
それと言うのもみんな母親だけが一緒の兄弟で、母は三回結婚して離婚している。
そのたびに一人づつ子供を生み、長男だからと言う理由で連れて来れずにその家で大きくなった。
だから僕に兄弟がいるなんて知らされたのは、高校を受験することになったころだ。
久しぶりに母親から連絡があって、会ってみれば突然そんな事実を知らされた。
その時のショックと言うかパニックは今でも忘れられない。
自分の兄が今活躍中の有沢陣だなんてだけでもビックリなのに、その上にまた兄がいるなんて…。こんなのあり?! って思うだろ?
正直その時、僕はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
僕は母親に進路のことで相談したかったのに……。
「あら、家から出たいんなら理一のところに行けば?」
「はっ?!」
簡単に母親はそう言った。
母にとっては自分の子供だろうけど、僕にとってはいくら兄弟だからって面識もない人なんだよ?
「母さん……。なんでそんなこと言うの…」
「だってこれね、本当はあんたが二十になるまで言っちゃいけない約束だったの。それぞれの父親と約束してあるから。だーけどね……」
そんなら言うなよ……。
愚痴っぽくなってしまうけど、本当にそう思った。
もし僕が二十になってからその話を聞いていれば、もう少し違う対処のし方があっただろうけど、今の僕じゃ驚くことしか出来ないよ……。
って言うよりも、その前にちゃんと約束守れよ……。
すごく複雑な表情で母親を見ていると、母は真顔になって顔を突き合わせてきた。
「今あたしがこのこと言ったのには、それなりの理由があるからなんだからね」
「……理由……?」
「そう。さいわいにして、あたしの生んだ子はみんな顔がいいわ」
「なんだそれ……」
「今度一番上の理一がね、松城理一って言うんだけど最近芸能事務所を開いたの」
「って、今までどこかにいたの?」
「ええ。ライムプロにね」
「ライムプロ?! って、大手だよね」
「そう。そこを独立して小さな芸能事務所を開いたんだけど、母親としてはやっぱり不安じゃない」
「そりゃ、まぁね……」
少しは母親らしい考えがあるんだと思ったのはいいけど、どうしてそこで僕なんだろうって思ってしまった。
「あの……僕は何も出来ないよ?」
「分かってるわよ。今すぐ使い物になるのは陣だけだからね。だけど、手助けはあんたにも出来るじゃない。とにかく人手が足りないのよ。力になってやって」
「って……」
母さん……あんた、すごくいい加減なんですけど……。
言おうとしたけど母親がベラベラと喋りだしてしまったので、地史はそれを聞くのに賢明だった。
「いい? 理一も陣もあんたのことは、とっくに知ってるわ。知らないのはあんただけ。そして今あんたが必要とされてるのよ。分かった?」
「ぅ…ぅん……」
「じゃ決まり。高校は理一の家から一番近いところにしなさい。あんたの父親にはあたしからそう言っておくから」
「ぇ……何? 僕、その人の家に住むの?」
「うーん、どうかな。たぶんそう。まだ寮とか手配するだけの資金もないだろうしね。いい? せっかく理一が頑張って独り立ちしたんだから、力貸してやんなさいよ?」
「ぇ………」
なーんで僕が?! って思ってる間もないうちに勝手に事は進んでしまい、僕は結局理一さんのマンションの一室に住むことになってしまった。
そしてそこから一番近い高校に進学。それも芸能コース。
確か普通科を受けたはずなんだけど…と首を傾げている時、初めて長男の理一さんと顔を合わせた。
高校の合格発表の紙が貼られている真ん前で肩を叩かれて振り向いたら彼がいたんだ。
やけに背の高い人で見上げると、いかにも切れの良さそうなビジネスマンって感じの人。
銀縁眼鏡に少し茶色がかった髪をあげてて掘りが深い顔立ちをしてる。
僕とは全然似てなかった。
「笹島…地史君だよね」
「ぇ…ええ……。あなたは………」
「君の母親の一番最初の息子、かな」
苦笑する彼を見て、ああやっぱりって納得した。
でも彼と僕、本当に兄弟なんだろうか……。
不信感を抱く僕を見透かすように、彼は腰を屈めて顔を近づけてきた。
「君は全然知らされてなかったみたいだけど、私は君のこと小さい時から知ってるから」
「……小さい…時から……?」
「ああ。こうも年が離れてるとね、嫌でも情報は入ってくるものなのさ」
「はぁ……」
「さあ。高校にも合格したことだし、これから君が暮らしていく家に行こうか」
「ぁ……はい……」
「車はこっちなんだ」
路上に止めてあった車に乗り込むと、彼は改めて免許証を提示してくれた。
よっぽど僕が不信感ありありの顔をしてたんだと思うけど、やっぱり迂闊に人は信用出来ないから。
母さんから聞いていた名前と一致したので、やっと安心出来た。
この時点になっても相手の顔さえ知らされてなかった僕って……と思うけど、事が決まったのは本当に最近で、あっと言う間の出来事だったからそんな暇僕自身もなかったんだ。
車が滑るように走りだし路線に乗ると、彼は窓に手をかけ運転しながら片手で唇をさすっていた。
銀縁眼鏡の縁にに光があたってキラキラと光る。
その姿がやけにカッコ良くて、思わず見とれてしまいそうになるのを押さえるために、僕は無理やり正面を見つめるようにした。
でも相手からすればそれがまた見え見えだったらしく、彼は口元に笑みを作りながら話かけてきた。
「なに?」
「い…いえ……」
カッコイイな…なんて口に出して言えやしない。
ましてや初めて会った相手になんて、普通言えないだろう?
彼は芸能事務所の社長だって話だけど、自分が俳優として出たほうがいいのに……と言いたいほど彼はカッコ良かった。
僕は「見るもの全てが新鮮だからそんなふうに感じるんだ!」と自分で思ったけど、きっと彼にしてみれば、面白い生き物が来たなって感じだと思う。
「君のことは、なんて呼べばいい?」
「え……っと……地史でいいです」
「じゃあ私のことは理一でいいよ。兄さんなんて呼ばれてもピンとこないからね」
「ぁ……はぃ……」
「ところで荷物はいつ来るのかな」
「落ちてたら困るから、まだ家にあるんです」
「…そう。……どうする? これから取りに行く?」
「ぇ…?」
「どっちにしても一度は家に戻らなきゃいけないだろうし、私も一応君のご家族に挨拶しなきゃならないしね」
「ぁ…」
そっか……。僕がこんなにあたふたした状態だから、回りだって同じなんだ。
段取りが整っていないのに、勝手に事だけが動き出してしまった感じ。
僕はそれに気づいて申し訳なくなってしまった。
「あ、そうか。平日だからお家の方いないか」
「すみません……」
「いいよ」
「いえ。あの……なんか僕のことが急に決まってしまって…。そのせいで理一さんにまで迷惑かけてしまったみたいで……」
「別に迷惑だなんて思ってないよ。それに、これはあの自由気ままな母が勝手に暴走しただけの話だから」
「はぁ……」
「私としてはね、予定より早く君とも対面出来たし、一緒に暮らせるから全面的に嬉しいだけだよ」
「それなら…いいんですけど……」
理一さんにそう言ってもらえて少しだけ気が楽になったけれど、本当に母さんには参った。
僕のことで父さんと会った時もお気楽なのか無神経なのか、終始笑顔で一方的に話を進めた。
父さんは何か言いたそうだったけど、それでも母さんの意見を尊重してOKを出してくれたんだ。
そんな父さんは、おとなしいって言うか…堅実な人で、僕は母さん似じゃなくて父さん似だと思ってる、絶対…。
●
僕の案内で家まで着くと、当面入り用な物だけが詰め込んである大きなバックを二つ持って家を後にした。
当然って言えば当然だけど家には誰もいなくて、出て行く時に挨拶もしていけないなんて、ちょっと気が引けた。後で電話でもするしかないな…。
新しい家に着いて驚いたのは、そのマンションの部屋だった。
一番上だ…。
いわゆるペントハウスとか言う、物件的にも一番高いところだってことくらいは僕にだって分かった。
それにこのマンション。階数が少なくて、他の住人って外人さんが多いんじゃないのかな。造りが明らかに日本人向けじゃない。
すべてがゆったりと作られていて、別世界みたいな感じだった。
「隣の部屋には陣の奴が入ってるから。君は私と一緒で悪いけど」
「いえ、そんな……」
「君の部屋は一応用意してあるんだ。さぁ、こっちだ」
玄関から伸びる廊下づたいにあるドアの一つを理一さんが開ける。
そこは客室用に作られただろう作りで広い窓に大きなベッド、それにアンティークの机が置かれてあった。
「入り用な物は、これから揃えて行くから遠慮なく言ってくれ」
「……ありがとうございます。こんないい部屋……」
全体的に落ち着いたグリーンで統一されている部屋は、とにかくセンスがいい。
僕が今までいた部屋とは、比べ物にならないほどだ。
でも母さんから、理一さんは独立したばかりで色々大変だからってのも聞いてるから、あまり負担にならないようにしないとな…なんて考えも沸いてしまった。
「あの……」
「なに?」
「母さんから理一さんは事務所を立ち上げたばかりで、色々大変だから手伝うように言われてるんですけど、僕は何をすればいいんでしょう……」
「ああ、あれね……。確かに大変だけど、まず君は勉強じゃないのかな。手伝ってほしい時は、私のほうから言うから気にしないでいいよ」
「でも……」
それじゃあ、何か約束が違うような気がする。
でも何もすることが分からない僕は、黙り込んでしまった。
「あまり気にしないで。さぁ、荷物を置いて、とりあえず家の中を案内するよ」
「……はぃ……」
それから家の中を一通り見て回ってからリビングに落ち着いた。
「何か飲む?」
言われてみれば喉がカラカラに乾いていた。
「すみません、何か冷たい飲み物を…」
「じゃあスポーツドリンクあたりでいいかな」
「はい」
リビングからオープンになっているキッチンに理一さんが入って行く。
そこにある大きな冷蔵庫から小さめのペットボトルを取り出して、僕のほうに投げてくれた。
それを受け取ってボトルを開けると一口ゴクンと飲み込む。
よっぽど喉が渇いていたのか、それはすごくおいしかった。
大きなリビングにゆったりと置かれたソファー、壁に掛けられている大型のテレビを見ると、これからこんなところで暮らすなんて夢みたいだ…。
ボーッとしてたけど、理一さんは自分の腕時計で時間を確認してリビングを横切りながら話してきた。
「悪いが、私はまだ仕事があるから事務所に戻るよ。君はゆっくりしてていいからね」
「ぇ……ぁ……あの! 僕もついて行っちゃ駄目ですか?!」
思わずそんな言葉を口にしてしまったけど、ちょっとでしゃばり過ぎだ。
慌てて僕は自分の口を覆った。
「すみません。気にしないください」
「………いいよ。何にでも関心を持つことはいいことだから。ただ事務所だからね、そんなに大したことはないんだよ」
苦笑しながらも理一さんは快く了承してくれた。
興味がないかって言われると、やっぱりそうではないから、ちょっと芸能事務所ってところを見てみたかった。
「支度しておいで。私服に着替えたほうがいいだろう」
「はいッ」
ウキウキする。いったい彼がどんなところで働いてるのか、そしてどんなタレントさんたちがいるのか…。
僕は急いで荷物のある部屋まで行くと、バックの中から私服を引っ張り出して着替えた。 そしてリビングに取って返そうとドアを開けると、理一さんはもう玄関で僕を待っていたんだ。
「すみません」
「いいよ。それにても……」
クスクスッと笑う彼を見て、僕は何がそんなに面白いのだろうと首を傾げながら靴を履いた。
「君も芸能界とか興味あるのかな」
「………ないって言えば嘘になりますけど……」
「じゃあデビューとかしてみるかい?」
「ぇ……?!」
「冗談だよ、冗談」
クスクス笑い続けながら言われて、完全にからかわれてるなと口を尖らせる。
どうせ、僕はそんな単純なことにも引っ掛かる馬鹿な奴ですよ…。
●
芸能事務所って言えばもっと華やかなところかと思ったけど、普通の会社と大した変わりはなかった。
違っているところと言えば、売り出し中のタレントのポスターが壁に貼ってあることくらいかな。
キョロキョロと当たりを見回しながら理一さんに続いて室内に入っていく。
「おはようございます」
「ああ」
声をかけてくる社員の人たちは、挨拶をしてから僕を見て目を丸くしていた。
きっと見たこともない奴がいるのに驚いたんだと思うけど…ここって雑然としてるって言うか……。それぞれの机の上が書類で埋もれてる。
僕はそんな状態を見るのが初めてだったから、ジロジロと見てしまったけどちょっと失礼だったかな。
「こっちだよ」
「ぁ…はい」
言われるままについて行くと、理一さんは一番奥にあるデスクに腰をかけた。
「そっちの椅子にかけてくれていいから」
「はい」
身近な椅子を引っ張ってくると、手招きされるまま理一さんの隣に座る。
そこからは事務所全体が見渡せていた。
「あそこは?」
一角だけパーテーションで隠された部分がある。
「ああ。あそこは取引先との接客に使うコーナーだよ。別段変わった物が置いてあるわけじゃない。ソファーセットがあるだけだ」
「ふぅん……」
まったく普通の事務所だ。
何だかちょっと期待外れな気持ちになってしまったけれど、案外芸能事務所なんてこんなものかもしれない。
理一さんは僕の横でデスクに置かれていた書類に目を通し始めた。
僕はそれを黙って見つめるだけで、何もすることがなかった。
つまんないな……。
そう思って正面に見えるデスクの人たちを見ていると、あちらも僕のことが気になるらしく、しきりに何人もの人が僕を見てくる。そして小声で話し合う姿が見て取れた。
何かすごく気分悪いんですけど……。
紹介もされてないから当たり前って言えば当たり前なんだけど、居心地が悪い。
それを打ち消すように動き出したのが、理一さんと同じくスーツ姿をした男の人だった。 他はあまりピシッとした格好をした人たちがいない中、その人だけはサラリーマンって感じできちんとスーツを着こなしていた。
「社長」
「ん?」
理一さんのデスクまで歩いてくると、そう言った彼の目はキラキラしていた。
「その方は…」
「ああ。私的な客だ」
「……もしかして、この間お話していた……」
「ああ」
「そうですか! この方が……」
僕のことを知っているのかな…。
その人は僕の方を向いてニコニコしてきた。
「初めまして、万田です」
「ぁ…初めまして。笹島地史です」
立ち上がりながらペコリとお辞儀をする。
その万田と名乗った男の人は、キラキラした瞳のまま僕を見つめるのをやめなかった。 それがまた、どうしてそんなに見られるのかが分からなくてモジモジしてしまうんだけど……。
「万田」
「はい」
「言っておくが、私はこの子をデビューさせるつもりは、ないからな」
「………分かってますよ。しかし可愛らしい弟さんですね」
「……年齢が離れてると言いたいのか?」
「いいえ。見た感じの話ですよ」
「ふん……」
理一さんは心持ちはにかんだかな…と言った表情をしたけれど、それは書類に目を通していたので相手には分からなかった。
「地史君、もしよければ、今からテレビ局に行くから一緒に行くかい?」
「え…いいんですか?!」
チラリと理一さんをうかがうと、彼は何事もないような雰囲気で顔をあげて口元に笑みを作った。
「行きたいのなら行っておいで。そっちで陣とも会えるだろうから」
「あっ…はい」
陣さんか…。
改めて考えると萎縮してしまうから、あまり今まで考えないようにしてきたけど、僕って売れっコのあの人と兄弟なんだよな……。
「さっ、行こうか」
「はい。じゃあ…行ってきます」
「ああ。気を付けてな」
「はい」
気軽に返事をして万田さんの後に続く。
でも気を付けてって……いったい何に気を付けろって言うんだ……。
「地史君はいくつだったっけ?」
車で移動している途中で万田さんが聞いてきた。
「もうすぐ16です」
「そうか……。ウチでもね、今同じ年くらいのコを預かってるんだよ。まだ名前はあまり知られてないけど、望月新也(もちづき しんや)って言うんだ」
「へぇ」
「今は端役なんかでよくドラマに出てるけど、その他時間が空いてる時は、陣君の付き人みたいなことやってもらってるんだ。もしかしたら今日もあっちで会えるかもしれない」
「そうなんですか…。結構色んなタレントさんいるんですね」
「そうだね。でも本当に今稼げる人数は少ないよ。将来を見込んでって部分が多いにあるからね」
「そんなもんなんですか…」
「社長には先見の明があるからね。みんな伸びると思うよ」
「へぇ…」
理一さんって、そんなにすごい人なんだ…。
「でもね、私にも多少はそれがあると思うんだ」
「ぁ…それはそうですよね。理一さんが独立するのに一緒について来た人なんだから…」
「よくそんなこと知ってるね。でもそういう意味じゃなくてだよ」
「ぇ…?」
「僕はね、社長は君をデビューさせるつもりはないって言ったけど、それは勿体ないと思ってるんだ」
「そ、そう…ですか?!」
「君、きっとモノになるよ」
「ぇ…でも……」
「今はそんなつもりなくても、きっとその内その気になるって。それは僕が保証するよ」
「はぁ……」
そりゃちょっとは憧れとかあるけど、それは僕自身が出るんじゃなくて見たい側って言うか……。
万田さんにロクな返事が出来ないまま「うーん」と考えてしまったけれど、彼は気にせずに運転を続けた。
「まっ、おいおいにね」
「うーん………」
テレビ局に着くと、地下の駐車場からエレベーターに乗って三階まで一気にあがった。 扉が開くとカーペットを敷き詰めたフロアに出て、色んな人たちが行き交っていた。
「今日、陣君は映画の宣伝で番組に出てるから。知ってる? 「ノイズアウト」って映画」
「ああ。何か…邦画では、今までにないお金使って作ったって言う……」
「あれの宣伝」
「ああ……」
言われてみれば、あれって有沢陣主役だったよな……なんて思い出す。
理一さんって、結構レベル高めな事務所の人? ……だよな。
あの暮らしぶりじゃ……。
でもそうなると、母さんが言ってたことに矛盾が出てくるじゃないか!
「あの…! ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「あの…芸能事務所って……資金繰りに困ってるとか、あるんですか?」
聞かれた方は、一瞬目を見開いてから大きく笑った。
「はははっ、君面白いこと言うね。心配なのは分かるけど、とりあえず順調に動いてるよ」「やっぱり……」
「なに、何かすごく心配なことでもあったの?」
「いえ、そうじゃなくて……」
母さんの嘘つき……。
何の心配もない事務所なのに、なんで僕に手伝ってくれなんて言うんだよ……。
とたんにやる気をなくしてしまう……。
脱力するように肩を落とした僕を見て、万田さんが首を傾げた。
「どうかしたの?」
「気にしないでください。何でもないですから……」
「そう…?」
「ええ」
「それじゃあ、陣君の控室行こうか。時間的に彼は本番の最中だろうけど」
「はい」
歩きだす万田さんの後ろについて、両サイドにいくつもドアがある廊下を進む。
行き交う人の中にはテレビで見たことがある人もいたりして、その人とすれ違えるなんてドキドキものだった。
ドアの横に「有沢陣様」と書かれた部屋のドアをノックして、万田さんが入って行く。
「あ、万田さん。お疲れ様です」
「お疲れ」
彼に気づいて荷物の整理をしていた少年が立ち上がる。
そして僕を見ると、また事務所にいた人たちと同じように目を丸くした。
「こんにちわ」
今度はこっちからちゃんと挨拶しないと、と早々に頭を下げた。
きっと彼が言っていた望月君だ。
さすがにもうデビューしてるだけはある、身のこなしが優雅だな…。
それに優しそうな顔をしているくせに、意志が強いだろうって言うのもすぐに分かった。
今はそんなに目立つ存在じゃないけど、きっと近い将来絶対ブレイクするに決まってるってのは、僕から見てもよく分かった。
「ああ、こちらは社長の弟さんの地史君。これから社長のところに住むようになるから会う機会も多いだろうと思って連れて来たんだ」
「よろしくお願いします」
「よろしく。望月新也です」
「望月君、君高校どこだっけ」
「倉橋です」
「ぇ…?! 倉橋高校?!」
「地史君も同じところなの?」
「ぁ…はい。今日合格発表で……」
「そうか。じゃあ望月君は君の先輩だね」
「僕は君よりひとつ上の学年になるんだけど、何科?」
「普通科を受けたつもりでいたんですけど…何故か芸能科になってました……」
「じゃあ同じだよ。君も芸能界に出るの?」
「いや…それは、まだ……」
「君、かわいいからきっと売れるよ。僕と一緒にレッスンとか行こうよ」
「そう言われましても……」
困ったな……。
へたに芸能科だなんて言っちゃったから、相手が期待してる。
どうしようかと思っていたら、万田さんが隣で笑っているのに気づいた。
「万田さん!」
「ほらね」
「ほらねって…!」
「望月君、彼はまだ自分の才能に気づいてないんだ。開花すれば、きっと話は別になってくるんだろうけどね」
「だからッ!」
「おっ、やっとちょっと本性が出てきたかな」
「万田さんッ!」
「悪い悪い。でも社長は、自分の手元に置いておきたいみたいだよ」
「ぇ…じゃあデビューとかしないの?」
「そういうつもりで理一さんのところに来たわけじゃないし……」
「そうなんだ……。勿体ないね……」
また同じことを言われた。
僕はもう返答するのも疲れてしまい、だんまりを決め込んだ。
「おっと、そろそろ収録終わるんじゃないのか?」
「ぁ、ホントだ」
「スタジオには、加賀君行ってくれてるんだよね」
「ええ」
「じゃあ地史君、スタジオのほう行ってみようか」
「ぇ…いいんですか?」
「ああ。もうすぐ終わるからね」
望月君と別れて万田さんと収録スタジオに急ぐ。
「この後、陣君はコマーシャル撮りに別のスタジオに移動するんだ。その前に、君に会えれば彼も喜ぶんじゃないかな」
「はい」
僕も二番目の兄さんって言う陣さんに会ってみたかった。
画面を通してしか知らない彼って、いったいどんな人なんだろう…。
いやでも期待しちゃう部分がある。
僕は口元を引き締めながらも高揚していた。
控室からスタジオまで、色んな人たちとすれ違ってその度にドキドキしたけど、兄さんとして会う人とはまた全然別の感覚だ。
大きく「NO2」と書かれた両開きのドアを少しだけ開いて中に入る。
倉庫のような薄暗いところから、中に入るにつれ強力な明かりに吸い寄せられるように人が群がっている。
万田さんは、いったん立ち止まると振り向いて人差し指で口を押さえた。
僕がそれを見て頷くと、また足を進めて行った。
機材がおいてある暗い中から明るいライトのほうを見る。
今収録しているのは、トーク番組らしい。リビングみたいなセットの中で彼が笑顔で司会の質問に答えていた。
「はい、CMです!」の声でみんなが安心してざわめきが起こる。
生番組だったんだ…。
「お疲れ様です」
立ち上がった有沢陣に向かって、みんなが頭を下げていく。
明るい光の中でペコリと頭を下げセットから外れた彼は、手を振っている万田さんを見つけて駆け寄ってきた。
「お疲れです」
「お疲れ様」
笑顔を作ったまま、それから何も言わずに足早にスタジオを出る。
さっき入ってきた扉から出ると、後ろにはもう一人知らないスーツ姿の男の人が彼にくっついていた。
この人がきっと彼のマネージャーの加賀さんなんだな。
「お待ちかねの笹島地史君だよ」
「どうも。初めまして」
頭を下げようとしたとたん肩をガシッと掴まれて、次の瞬間、僕は彼に抱き締められていた。
「ようこそ。これから新しい兄弟が、もう一人身近にくるんだね」
「ぇ…ぇぇ……」
ギュウギュウ抱き締められるのに慣れていない僕は、ほとんど窒息状態で答えるに答えられなかった。
なんて力の強い人なんだろう。顔はそんなに野性味おびてないのに…。
「陣君。地史君苦しいって」
「あッ、ごめん。大丈夫か?」
万田さんの言葉に慌てて、彼が僕を放した。
「はぃ……なんとか……」
咳き込んでしまいそうになるのを押さえて、どうにか平常心を保つ。
それにしてもすごい力だな…。
陣さんはテレビで見るのと同じように爽やかだけど、どこか野性的な人だった。
背は理一さんと同じくらいあるし、カッコ良さではまたジャンルが違う。
でも言えることは、やっぱり僕とは全然違うってこと。
「今日来ることは知ってたんだけど、まさか会えるとは思ってなかったな。わざわざありがとう」
「いえ……」
「陣君、地史君もいいよね」
「うん。可愛らしいね」
そう言われるのって、男としてどうかな……。
「十分芸能界でやっていけるって思うんだけど」
「でもあいつが許さないんだろ?」
「ああ。もったいないね……」
「あの……僕にも、そんなつもりは毛頭ないですから……。でも何かお手伝い出来ることがあれば何でもします」
「そう……。そうだね……今のところは、まだいいんじゃないのかな」
「まだいいだろう。高校落ち着いてから、徐々に手伝ってもらえばいいんじゃない?」
「ええ。私も、そのつもりです」
「よろしくお願いします」
二人の前で頭を下げると、後ろにいた加賀さんが陣さんの肩を叩いた。
彼も万田さんより若いけど、典型的なビジネスマンタイプだ。
「そろそろですよ」
「ああ。悪い」
「スケジュール押してるからな」
「ええ、すみません」
加賀さんが、手帳を見ながら万田さんに謝る。
彼の忙しさは並じゃないのか、腕時計で時間を気にしだす加賀さんに、促されるように陣さんが歩きだす。
「また帰ったら部屋に行くよ」
「ぁ、はい」
片手をあげて廊下に出て行く彼の後ろ姿を見つめながら、思わずため息が出てしまう。
「今は、映画の宣伝で忙しいからね。もう少しすれば落ち着くだろう」
「本物もカッコイイですね……」
「何言ってんの。君のお兄さんだろ?」
「それは、そうなんですけど……」
それを近くで聞いていた女の人がピタッと足を止めたかと思ったら、万田さんの肩をグイッと掴んで回転させた。
「ちょっと、それホント?」
「ぁ……! 峰さん……」
「?……」
「質問に答えなさいよ。このコ、陣君の弟なの?」
「ぇ………ええ、まあ……」
「へぇ……いいコね。顔立ちもいいし……。陣君とはタイプ違うけど、いい感じのコね……」
明らかに物色する目で見てきたこの人は、後で聞いたところによると他の事務所の社長だった。
でもこの時は、どこのケバいおばさんだろう…くらいにしか僕は見てなくて、人の話を立ち聞きするような人には、素直になれなかった。
「あなた、名前は?」
「………」
「地史君って言うんですよ。笹島地史君」
「……名字違うんじゃない? それとも、もう芸名名乗らせてるの?」
「違いますよ。このコは陣君の弟さんと言っても、お父さんが違いますからね。でも今度から社長と住むことになったので、その挨拶に来たんです」
「ぇ…理一と一緒に住ませるの?」
「そうですよ。高校に行くのに、一番立地条件がいいですからね」
「へぇ……。あのカタブツとね……」
その人の目付きが、何だか珍しい物でも見るような感じに変わったのに、僕は余計に不快感を覚えた。
でも迂闊なことは言えないから黙っていたけど、憮然としていたのは確かだ。
「ねぇ。このコ、ウチでデビューさせる気ない?」
「ないです」
「なーんで?! 若手ならウチのほうが、いい仕事取って来れるわよ」
「このコは」
「デビューするつもりないですから」
「ええ?!」
万田さんを押さえて僕がそう言い放つと、彼女はひときわビックリした態度を取った。
「なーんで?! このコならすぐにデビューさせられるじゃない」
「社長は、それを望んでないですから」
「何考えてるの、あいつ……。そんなこと言ってられる時期じゃないってのに……」
「……?」
「峰さん」
「あっと…ごめん。でも今の話、考えておいてよね。けして損はさせないわ」
「……」
「お気持ちだけ、受け取っておきます」
「まっ、じゃあね」
「ええ、また」
名残惜しそうに彼女が立ち去って行く。
ホッとする万田さんの姿を見て、僕は首を傾げてしまった。
「あの人の言った「そんな時期じゃない」って、どういうことですか?」
「ん? 君は知らなくていいんじゃないのかな」
「でも」
「どうしても聞きたかったら、直接社長に聞きなさい。私の口からは言えない」
「……」
何か大変なことになってる……?
そんな感じがしたけど、それが何かは僕には全然分からなかった。
もしかして母さんが言ってたのは、このことだったのかな……。
黙って歩いて行ってしまう万田さんを追いかけて後ろについた僕は、複雑な表情で足元を見ていた。