illustration/酒路モノさま


「不思議の国のハネツキ」試読。

「あー、もぅっ! くそっ!」
 凄い勢いで道端の石を蹴ると、そのついでに空中に向かってパンチを繰り出す。艶やかな黒髪がその勢いで靡いて踊る。何も言わなければそれなりに見えるのに、今はほんのちょっと怒っているので口が悪い。
 学校からの帰り道。鐘倉廻(かねくら めぐる)は、友達から変な疑いをかけられてムカムカしていた。

 事の起こりは最終授業の六時限目に向けて理科の特別教室に移動していた時のこと。理科のノートを借りた借りてないで友達の篝屋小路(かがりや こうじ)とケンカになってしまったのだ。
『なぁ、この間貸した理科のノート返してくれよ』
『ぇ、あれはもう返しただろ?』
『返してくれてないよ』
『そんなことない。返したって』
『返してくれてないっ!』
『そんなこと言われたって…返したもんは返したんだから、もう返しようがないよ』
『返してくれてないっ! だってあれ宿題だったもんっ!』
『宿題はもう提出しただろ? 先生が持ってるんじゃないのか?』
『違う。廻が持ってるんだってば』
『だーかーら』
『俺は先生に提出してから、また廻に貸したって』
『そんなことないって』
『じゃあ廻のノートはあるのかよ』
『あるよ。ほらっ』
『おかしい…』
『………』
 おかしいと言われても廻は篝屋のノートを持ってないし、篝屋自身も自分のノートを持ってない。それなら先生のところくらいしか考えられなかった。そして授業は迫ってきている。
『じゃあ先生に聞いてみろよ』
『そうする』
 だけど先生の答えはNOだった。そして篝屋は、あえなく減点。何とも気まずく、そして自分を責めるように見つめてくる彼の視線が痛かったし、そんな目で見つめられるのは甚だ迷惑でもあった。

「ガーッ!!」
 だから終業のベルが鳴ると同時に教室を飛び出してさっさと帰途についた。いつもならちゃんとHRも受けるし、篝屋とも一緒に帰るのだが、今日はどうしてもそうしたくなかった。だってあの自分を見つめる篝屋の目がどうしても許せなかったのだ。
「くそっ!」
 もう一度道端の石を勢いよく蹴ると、その石が何回かバウンドして最後に横道に入り込んだ。
「あれ…こんなところに路地なんてあったっけ……」
 覚えがない。廻は首を傾げながらも石を追うようにその路地に入り込んだ。
「うーん……」
 方向的には、こちらに行けば駅まで行けるはず。少し悩んだが、もしかしたら篝屋が自分を追いかけてくるかもしれない。
 そしたら気分が悪いな。
 廻は迷わずにこちらから行こうと足を進めた。しかし建物が入り組んでいて先が見えにくい。建物ひとつ分しか先が見えないのは、この路地の特徴だろうか? 廻は建物に沿って右へ左へと寄っているような気分になりながらも先を進んだ。しかし行けども行けども見知った建物が見当たらない。
「おっかしいなぁ……」
 表から見る風景と裏から見るそれとは別物だと分かっていても、少しも知っている建物を見つけられないのは少しおかしいんじゃないだろうか……。立ち止まって回りをクルリと見回してみる。だけどそこは知っているようで知らない世界だった。確かに民家はあるし時々ビルもあって、その割合は駅が近づくにつれてビルのほうが多くなっている。
「合ってるはずなんだけどなぁ……。駅…は、どこだ?」
 先に見える風景の中に陸橋になっている駅を探す。だけどそれらしきものが見つからなくて廻は口を尖らせた。
「右に左に行ったりしてたから、実はとんでもない方向に来てるのかな…」
 考えてみるが、そんなに迷うほど歩いてはいないはずだ。
「じゃあ諦めて大通りに出るか」
 たぶんこっちに行けば大通りに出られるだろうと建物と建物の間を歩きだす。もう少しでたぶんあれが大通りだろうと喜んだ時、足元にピンク色の物体がうずくまっていて、それを避けようとして身を捩ると、今度はピョンッと何かが飛び出してきてそいつに体当たりしてしまった。
「ギャッ!!」
「あっ!!」
 お互いに大声をあげたと思ったら自分の耳元で「だってしょうがないじゃん」とくぐもった声が聞こえた。
「えっ?!」
 バタッと地面に倒れ込んでハッ! と顔を上げると、そこにはさっきのピンク色の塊がブツブツとつぶやき続けていた。
「だってだって……」
「ブッ、ブタッ?!」
「失敬だな君。それは差別用語だぞ」
「えっ?!」
 違うほうから声がしてそっちを振り向くと、そこには「痛たたっ…」と腰をさすっている服を着た茶色のウサギがいた。
「ウ…サギッ?!」
「ほらまた差別用語だ」
「えっ?! だっ…だってお前、ウサギはウサギじゃんかよっ! てか、何でウサギが喋ってるわけっ?!」
「失敬だなっ! 何だ、君はっ! 失敬だっ! 甚だ失敬だっ!」
「失敬って……」
「謝りたまえ。今すぐにっ!」
「ぇ…だってさ……」
「それを言うなら君こそ何だ?! ただの人型のくせに私にぶつかってくるとは、まったくもっていい度胸じゃないかっ!」
 怒りに怒ったウサギがピョンピョンと撥ねながら立ち向かってきた。まるでカンガルーにボクシングを挑まれた気分だ。
「わっ!」
 廻は一、二歩後ずさりながら、それでも目の前のものが信じられないようにマジマジとウサギを見つめた。
 普通よりは明らかにデカイそのウサギは、ちょうど小学校に上がる前の子供くらいの大きさで黒のえんび服を着込んで、山高帽を手にしていた。そしてもう一匹・ブタのほうはウサギよりもう少しデカくて、体の色が綺麗な桃色で服は着ていなかった。どうやら立場的にはウサギのほうが偉いらしい。ブタはウサギが怒っているのが怖いのか、それとも全然興味がないのか、身を丸めてブツブツと独り言を口にしていた。
「いいから謝りたまえっ!」
「そ…んなこと言われたって! ……てかてか、んだよっ! その「ただの人型」ってのはっ!」
「君が私のことを「ウサギ」と言うから、私も君のことを「人型」だと言っただけだ。私にはちゃんと「センノ」と言う名前がある。そしてそっちでブツブツ言ってるピンクいのには「ニヨ」と言う名前がある。ちゃんと名前で呼びたまえ「人型」」
「っ………」
「さぁ。早く謝りたまえっ!」
「……悪かったよ、…センノ」
「ニヨにも謝りなさい」
「えっ! こいつにもっ?!」
「当たり前でしょう! 勝手に私たちの通り道を横切ろうとしてぶつかってきたのは君のほうですよ?! さぁ、早く謝りなさいっ! 言葉に出して謝りなさいっ!」
「……………ごめんな、ニヨ」
「…うん。うんうん。だけど僕はね……うん。うんうん。食事会に行かなくちゃならないんだ。うん。うんうん。だからね、しょうがないんだ。うん。うんうん」
「……ふぅん。食事会かぁ……」
 相手の言葉を聞きながらも廻は辺りを伺った。
 深い森の中に、話すブタとウサギ。これはどう見ても……。
「なぁ。ここどこ? 俺、どこに来ちゃったわけ?」
「そう聞かれてもな、人型。君は君の名前を名乗らないのか? それとも元々名がないのか?」
 今度は調子を見るように空に向かってピョンピョンと二度ほど撥ねる。そして手にしていた山高帽をグイグイと無理やりにも近い力で被ると上目使いで廻を見てきた。
「ぁ、ああごめん。俺は鐘倉廻、高校生だ」
「コウコウセイ? 何だ、それは?」
「うーん…。そうだな、高校生って言うのは、こんな風に好きでもない制服ってのを着て、ほぼ毎日勉強をするために同じ場所に集う奴らのことを言う」
 濃い抹茶色のズボンに、それを薄くした色の半袖シャツ。肩から腕にかけてある一本の太いラインはズボンの色と同色。白地に青いラインの入ったバッシュは、バスケが特別好きではないが唯一自由になるアイテムだったので自分で選んだ廻のお気に入りだった。全体を披露するようにシャツをつまんで見せたり、自慢げに靴を見せたりするのだが、当然相手は無関心。廻は軽くため息をすると悪かったよ…と苦笑した。
「………よく分からないが、コウコウセイの廻はそのセイフクがあまり好きではないことは分かった」
「うん。まぁ、そうだな。だいたい俺、あんまり緑系似合わないしな…。って、そんなことじゃなくて! それよりこいつ、じゃなくてニヨ! ブタのニヨ! こいつ俺にもたれ掛かってきてんだけど、腹減ってんじゃねーの?!」
 自分の足元にいるニヨが全面的に廻に寄りかかって前足の爪をカチカチと擦り合わせていた。
「うん。うんうん。僕腹がね、うん。うんうん。減ってるんだ。そう。そうそう。だからね、急がなくちゃね。そう。そうそう。動けなくね、なっちゃうんだ。うん。うんうん」
「おお、そうだったな食事会食事会。あれは時間が決まってるからな。食べ損ねては元も子もない。急ぐぞニヨ。では失敬、コウコウセイの廻」
「コウコウセイは、いいよ」
「では廻。失敬」
「ああ。じゃあなっ!」
 ピョンピョンと飛ぶウサギと、それに必死でついて行くピンクのブタを廻はその場で見送った。彼らの姿が小さくなるまで手を振り続けた廻は、ふと自分の立場に気づいて動きを止めた。
「んっ? ん? んんっ? この状況って俺、駄目駄目なんじゃないかっ? てか、あいつらと別れちまったら俺、どっちに行けばいいかも分かんないじゃんかよぉぉっ! ちょっ! ちょっと待てよぉぉっ! 俺も連れてってくれよぉぉっ!!」
 廻は落ちていた自分のカバンを掻っ攫う勢いで拾い上げると、彼らが消えた方向に駆けだした。
「おーいっ!!」

 深い森の中は所々に太陽の日差しが差し込んでくる以外は暗くてしっとりとしていた。足元がコケで滑る場所もある。廻は注意に注意を重ねながら彼らが消えた方向に向かった。しばらくすると少しだけ森が開けて草原が広がる。その真ん中に大きな長テーブルが置かれてあるのが見えた。そこにはやっとたどり着いたと言ったさっきの二匹がいた。
「おーいっ!」
 手を振りながらそこに近づこうと走るのだが、見えていてもなかなか近づけない。その間にも二匹は白黒の牛っぽい給仕に食事を出してもらっている。それを見ると急に自分だって腹が減ってくるわけで。廻はゴクリと生唾を飲み込んで突っ走った。
「はぁ…はぁ…はぁ……」
「廻ではないか。どうした」
「俺、あんたたちと一緒にいないと帰れないんじゃないかと思って」
「そんなことはないだろう。君はあそこから現れたんだ。あそこに突っ立っていれば、いつかは帰れるんじゃないのか?」
「それっていつの話だよ。いつになったら帰れるって言うんだよ」
「それを私に聞くのか? 君だって分からないことをこの私に聞くのか?」
「だって俺じゃ分からないことだらけなんだ。少しでも分かる奴に何かを教えてほしい」
 廻はギュッと拳を握って相手を見つめ続けた。相手は食事を口に運びながら咀嚼を繰り返すばかりで一向に答えを言い出そうとはしてくれなかった。
「センノッ!」
「私は時を操る立場ではないから分からんな」
「時を操る立場の奴なら何か分かるのか?」
「さぁ、私はそういう奴に会ったことがないから分からんな」
「じゃあ何を基準にそう言ってるんだよっ!」
「時を操る奴がいるらしい。そういう噂を聞いたことがあるから言ったまでだ」
「時を…操る奴……」
「あのな、廻」
「何だ」
「もういいんなら帰ってくれないか? 何かを考えながら食事をすると物がまずく感じる」
「そっ…そりゃ悪かったなっ! でも俺、行くとこないしっ! それに俺だって腹減ってんだっ! 何か食わせてくれよっ!!」
 精一杯譲歩して言った言葉だった。テーブルにはたくさんの食事が出されているし、ブタのニヨも見せびらかすように食べているから、言えば少しくらいは分けてくれるだろう。そんな気持ちでいっぱいだった。
「大変残念だが廻。君は誰にも招待されていないから、このテーブルには付けないんだよ」
「んだよっ! じゃあ今からセンノが招待してくれりゃいいじゃんかよっ!」
「それでは駄目なんだ。私はパートナーとしてニヨを選んでしまっているしね」
「ちぇッ!」
「廻」
「あ?」
「時間は限られている。誰か招待してくれる人を探してきてはどうだろう」
「どうだろうって……。そんなに簡単に相手が見つかるとでも思ってるのかよっ!」
「それは分からないな」
「だろっ?!」
「しかし探さなければ見つかるはずのものも見つからない」
「それは…そう……だけど…」
「ならば行ってみてはどうだ? 試しにあの森の中。もうそこまで誰かが来ているかもしれないぞ?」
「うーんっ……」
「時間は限られている」
「うん。うんうん。だからね、早くしないと食べられないんだよね。うん。うんうん」
 ニヨが鳥の丸焼きを皿から取り上げるとガブッと噛み付いてニッと笑う。それを見た廻は恨めしげに相手を睨みつけると、また生唾を飲み込んだ。
「うーっ……」
「早くしなさい」
「分かってるよっ!」
「早く早く。そう。そうそう。早くしないとね。うん。うんうん」
「黙れブタッ!」
「…チェックメイト。さっさと行きなさいっ」
 センノがパチンッと指を鳴らす。するととたんに地面が廻のところだけ盛り上がって、それから崩れ始めた。
「わっ! わわっ?!」
 ビックリして慌てふためいていると、そこから広がった闇の中にストンッと落ちていく。
「ちょぉぉぉっ………! うわわわわっ……!!!」
 何かに掴まろうと必死に手を回すが闇の中では何も見えない。もがきにもがいて、これでもかと言うほど手足をバタつかせて、落ちていくスピードに抵抗してみる。一瞬止まって上に上がっていく感覚に喜ぶが、それはただの廻のイメージで、実際は全然落ちるスピードに変化はなかった。
「どこ行くんだよぉぉっ! このっ…! ばかウサギぃぃっ…!!」
以下本文に続く