タイトル「ハニカム春」

 桜が舞い散るには少し早い四月。
 須山達駒(すやま たつく)は、駅前の桜の下で同級生の野本洸史郎(のもと こうしろう)と待ち合わせていた。
 柔らかな朝の日差しが木々の間から達駒に降り注ぎ、漆黒の髪を輝かせている。皆が皆同じような黒でも、達駒の艶やかな髪に勝てる奴はいそうにない。押しが強そうでもあり、案外そうでもなく見える思春期特有の少年らしさを残した面立ちは、さっきから苛立ちと心細さを交互に見せていた。
 今日から二年生になると言うのに、いつものんびりしている洸史郎はいまだに来ない。
「間に合わなくなるじゃないか……」
 初日から遅刻はしたくなかったが、まだ来ないところをみるとまた寝坊でもしたのだろうか……。同じ制服を着た生徒がゾロゾロと通学路を歩いて行く姿を見送りながら、達駒は携帯の時計とにらめっこをしていた。
「遅い。遅すぎる……」
 言いたくはないが、今日から学年が変わると言うことはクラス替えもあると言うことで、バッチだって新しい学年のものを買わなくてはならない。だからいつもより一本早い電車で来たと言うのに…相手が来なければ、気になって動くに動けなかった。
 達駒たちが通っている南野高校は、ブレザーに縫い付けられているエンブレムが校章代わりになっていて、襟に付ける8mmほどの小さなテントウ虫型のピンバッチが学年を表す唯一のものになっていた。
「こんなことなら、オレひとり先に学校行っちゃってたほうが良かったかな」
 愚痴ってはみるが始まらない。
 そろそろ待つのもタイムリミットが迫っている。達駒は大きくため息をつくと桜の下から歩きだし、同じ制服を着た群れの中に交ざって歩きだした。

 駅から続くなだらかな坂道をグレーのブレザーを着た生徒たちがゾロゾロと歩いていく。車道の端を自転車通学の奴らが必死に立ち漕ぎしてるのに対し、明らかにその波に逆らうグレーの制服が坂道を下って来た。
「こ…洸史郎っ?!」
 な…んで学校から来るわけっ?!
 意味が分からずに思わず叫んでしまった。
「おっはよっ!」
「おぉ、おはよっ」
「お前何してるの?!」
「いいの! いいの!」
 皆に挨拶しながら坂道を下って来る相手を驚きの眼差しで見るしかない達駒だったが、毎度ながらその巨体には目を見張る。と言うより身長がやたらに高いから乗ってる自転車にそぐわなくて、やたら目立つのだ。
 そんな達駒の気持ちも知らずに自転車に乗った洸史郎は、グレーの制服を着た生徒の中から素早く達駒を見つけると満面の笑顔を寄越してきた。それを見た達駒は、どういう反応を返していいのか分からずに仏頂面のまま相手を見つめた。キキーッと大袈裟なブレーキの音をさせて洸史郎が自転車を止める。
「乗れよ」
「…どうして?」
「いいから乗れって」
「………」
 人目があるのも伴ってそれ以上文句を言わなかった達駒だが、顔は膨れっ面なまま自転車の後輪にある立ち乗り用のペダルに足を乗せると洸史郎にしがみついた。
「怒ってんだからなっ」
「分かってるっ」
 言うなりペダルを漕ぎ出した洸史郎は、どんどん生徒たちの群れを追い抜いて行く。達駒は後ろから彼に抱き着きながら少し恥ずかしそうにその背に顔を埋めた。


 学校に到着するまで。みんなに見られて恥ずかしいのを我慢しながらも、本当は少しだけ嬉しかったりする。でもここで嬉しそうな顔をすると相手のためにもならないので、達駒は務めて膨れっ面のまま自転車を降りた。
「ちょっとそこで待ってろよ」
「……」
 洸史郎も達駒と同じように電車通学だから、あの自転車は誰かに借りたものなのだろう。待ってろと言った後、自転車置き場にそれを置きに行く後ろ姿を見つめながらもう一度どうしてだろう…と考える。
 待ち合わせしたはずなのに、洸史郎はそれよりも早く学校に着いてたってことだよな…。何のために……?
 考えられるのは、二人が同じクラスかどうかを確かめることくらいだった。
 一年の時は同じクラスだったが、二年も同じなんて限らない。その不安から一人だけ早くクラスの前に貼られた紙を見に来たとか?
「でも…そんなことないよな…」
 洸史郎の性格を良く知る達駒としては、ありえないような気がする。何に関しても大らかで、悪く言えばズボラな彼がそんなことで早起きするはずがない。ならどうしてと考えると、達駒は腕組みをするしかなかった。
「う゛ーん……分かんね……」
 口を尖らせぎみにして腕組みをしていると、自転車を置きに行った洸史郎が駆け足で戻ってきた。今日は始業式だから空のカバンしか持ってない分、身も軽いのだ。
「ごめんごめん」
「理由を言えよ、理由を。オレだけあんなところでいつまでも待たせておいて、いったいどういうつもりなんだ?」
「いいよ。じゃあ目を瞑れよ」
「なんでだよっ」
「いいから」
 頭ひとつ分違うと上から声が降りてくるような感じで、威圧感がある。それがまた気にいらないのだが、ギュッと頭を鷲掴みにされるとおとなしく従うしかない。
「…変なことするなよ」
「するかよ、こんなところで」
「……」
 じゃ、こんなところじゃなかったらするんだ。と言う突っ込みは言わなかったが、心で強く思った。仕方がないので言われるまま目を閉じると、洸史郎の顔が降りてきて顔を覗き込むのが分かる。それを感じた達駒は、余計にギュッと瞳を綴じる。すると相手は達駒のブレザーの襟を掴んできた。
「ぇ…ちょ…ちょっと何?!」
 ギョッとして目を開けると、すぐ近くに洸史郎の顔がある。
「目ぇ開けるなって言っただろ」
「ご…めん。でもっ…!」
「いいから目を綴じろって」
「ぅ…うん……」
 もう一度目を綴じた達駒は今度はしっかりと唇を引き締めて、彼がいいと言うまで開けないように我慢した。ゴソゴソと達駒の襟元を彼の指が動く。
「…何してんだよ」
「内緒………って、もういいぞ」
「もういいの?」
「OK」
 パチッと目を開けて相手がゴソゴソやっていたところを見てみると、そこには二年のバッチが付けられていた。
「……どうしたんだよ、これ」
 一緒に購買に行って買おうと約束していたのに……。
「ごめんな、先輩にもらうの手間取っちゃって…結局今日になっちまった」
「ぇ…ぇ…え…っと……」
 どうしてそんなことするんだ? って聞くのも変だし、単純にありがとうと言っていいものかどうか……と、達駒は口を開くだけで言葉を出すことが出来なかった。
「何だよ、嬉しくないのかよ」
「いや…そういう訳じゃなくて……オレそんなこと聞いてないじゃん」
「そ…それは……」
 口ごもる洸史郎に、達駒はここぞとばかりに言葉を続けた。
「今日一緒に買おうって約束したじゃん。なのに、どうしてそんな自分勝手なことばっかするの?!」
「そ…んなこと言ったって……。俺は、ただお前を喜ばせようとして…」
「一言言ってくれたっていいと思う! 嬉しいよ。嬉しいけど…」
「………ごめん。けど、やっぱこういうのって…言ったら有り難みないだろ」
「そ…そりゃ……まぁ……」
 言われて今度は達駒が口ごもってしまった。
 ごもっともです…。
 と言うのも、この学校では先輩からのお下がりバッチは「恋の御利益バッチ」と言われ、幸せなカップルからそれを受け継ぐと言う意味を兼ねている。
 それにこうして一年と二年のバッチを一緒に付けると言うのは、「相手がいますよ」と言う意思表示に使われている。
 それを分かっていて洸史郎はわざわざ先輩からバッチをもらい、一年のものと一緒に付けてくれたのだ。何も言わなくても相手の言いたいことが伝わってしまい、自然に顔が緩む。
 これって公然の秘密ってことになるんだよな…。
 考えるととたんに照れ臭くなってしまう。達駒はキュッと唇を噛み締めて、襟のバッチを嬉しそうに見つめた。
「怒ったのか?」
「……違うよ。……ありがとぅ。でも何だかオレ…こういうのって、ちょっと恥ずかしい…」
「ぅ…うーん。しかしこれやっとかないと、俺のほうが心配になるから…」
 ポリポリと頭をかく洸史郎に、達駒は目を細めて相手を見た。
「オレ、そんなに信用ならない?」
「ばっか、そうじゃないだろ。目印だよ、目印」
「目印?」
「そうだろ。それ付けておけば、お前が何も言わなくても「ちゃんと相手がいますよ」って分かるし…、そしたら他の奴にも変なことされないだろうし…」
 モゴモゴと本当は口に出したくないんだぞ、と言うように声を出す洸史郎。達駒はクスッと笑いながら相手に言った。
「公にしちゃっていいの?」
「…今までだって、ほとんど大っぴらだと思うんだけどな……」
「はははっ…」
 それに関しては十分言える。一年にして大っぴらに恋人同士を気取るのは先輩からの圧力も凄い。だけどそれをカバーしてくれる先輩もいるわけで、達駒たちは一年と言うか、半年あまりの付き合いをそれで続けて来れたと言ってもいいくらいだ。
「これ…誰の?」
「神野先輩と椎名先輩の」
「やっぱり…」
 この二人は今年三年になるカップルだが、まだ在籍しているので本当なら達駒たちと同じように前の年のバッチも付けるはずだ。それを洸史郎が無理を言ってもらってきたんだろう。
「お前が付けてるのは椎名先輩のほう。そして俺が付けるのは神野先輩の」
「でも…そしたら先輩たちはどうするんだよ」
「そう思うだろ? そんな時には、三年のバッチをふたつ付けるんだって言うのOBから聞いたから、それ言ってもらって来た」
「快くくれた?」
「そりゃもう…ってか、椎名先輩はいいよって言ってくれたんだけど、神野先輩がな。ダダこねてなかなかくれなかったんだよっ」
「そっか……そうだよね…。大切な一年間の証しだもんね…」
「返そうなんて言うなよ。先輩には俺がちゃんと三年のバッチ買って渡してきたんだから」
「………分かった。大切にする」
 ポケットから真っ新なハンカチをそっと取り出した洸史郎は、折り畳んだそれを手のひらで広げた。
「ほら、これが俺のほう」
 そこにはもうひとつ緑のバッチが仕舞われていた。洸史郎はそれを手に取ると自分の胸元にも付けようとした。
「待って」
「ん?」
「オレが付ける」
「ぇ……何か…照れるなぁ…」
「いいから貸して」
 摘まんでいるバッチを渡してもらうと、向き合って洸史郎の襟にも同じように取り付けてみた。付いている一年のバッチは黄色のテントウ虫。そして新しい二年のバッチは緑になる。同じものを付けている自分と見比べた達駒は、自然に笑みが零れていた。
「出来たよ」
「うん。サンキュ」
「後で先輩たちにお礼言おうね」
「ああ。じゃ、二年の教室行こうぜ」
「うんっ」
 歩きだした二人は洸史郎がスローな足取りになり、達駒が少しだけ早歩きになる。お互いを気遣いながら差し出された手に手を取ると、制服の群れに交ざって下駄箱に急いだ。
「同じクラスだといいね」
「だな」
終わり