タイトル「なしくずし」試読


「なぁ、砂山。そろそろ俺も仕事収めなわけだが……」
「ですね……。桂さんもう来月定年ですもんね……。桂さん嘱託とかで残れないんですか?」
「残れたとしても嘱託は嘱託たせからな。もう今まで通りこうやってお前と組むことも出来ないだろう」
「ですか……」
「ああ」
「でもこの案件は終わらせたいですよね……」
「うーん。まあ、そんなにうまく世の中出来てないってことだよ」
「……」
「それよりな。お前の新しい相手なんだが」
「ええ」
「俺が見つけておいてやったから」
「ぇ?」
「来月俺が辞めたら移動してくる予定だ。仲良くしろよ?」
「どこからの移動なんですか?」
「F署からだ。同じ立場の人間だからきっと気も合うぞ?」
「同じ立場?」
「ああ。あっちも組んでた相手が今年で定年なんだと。だからどっちかがどっちかに行くって話になったんだが、あちらは今抱えてる案件が片付いたからこっちに来てくれることになったらしい」
「いくつの奴なんですか?」
「えーっと……確か二十後半だったと思うが……」
「若いですね……」
「お前だって俺と組んだ時はそのくらいだっただろう?」
「そう言われればそうなんですけどね……」
 そんな会話をしたのは先月の出来事だ。
 長年刑事として勤め上げてきた先輩でもある桂茂(かつら しげる)が定年を迎え、砂山輝(すなやま てる)は三十八歳にして新しい奴と組まなくてはならなくなった。桂の年を考えればそんなことは分かっているはずなのにやっぱり長年一緒に行動してきた人との別れは辛いものがあった。そして新しく来ると言う刑事に対しては二十後半と聞いて、うまくやっていけるかが心配でもあったのだった。



「パン、食べますか?」
「ああ」
「じゃあ。はい、これっ!」
「って、お前これ……」
 空き巣と窃盗で目星をつけている男を行動監視中。
 なかなか思うように動けないために食事は事前に買っておくか食べないか、このふたつの選択しかなかった。砂山は新しくコンビを組んだ沢井キリオ(さわい きりお)・二十七歳に朝、昼用の食事を買っておくように頼んだのだが、今目の前に差し出されている物を見て露骨に残念な顔をしたのだった。
「見張りの定番食ですっ」
 差し出されていたのはアンパンと紙パックの牛乳だった。
 そのあまりのベタさに抗議の言葉も出て来ない砂山に対しキリオは意にも介さない様子。仕方がないので差し出されたソレを手に取ると無理やりパンにかぶりついたのだが、アンパンはアンパンでしかなかった。
「おいしいでしょ? そこのアンパンは朝イチで買いにいかないと手に入らないんですよ」 にこやかに爽やかにそんなことを言いながら自分もアンパンを口にする。彼・キリオはけしてテレビドラマに憧れてこの世界に入ってきたわけではない、と思う。でもこういう定番とか定説とかを素直に受け入れてしまっているのは前任者の影響なのかな……? と思ってしまうものがあった。
「あのさ、沢井君」
「キリオでいいですよ、先輩」
「キリオ君さ、俺もうちょっと腹に溜まるものが欲しいんだけどな」
「たとえば何ですか?」
「ぇっ……」
「例をあげてくれないと買って来れないじゃないですかっ。だから例えば何です? 明確にスパッと言ってくださいよ」
「うーん……。カツサンドとか焼きそばパンとか?」
「ああ、総菜パンですね? 先輩はそういうのがお好きなんですか?」
「ま……まぁなっ」
「分かりました。と言うことは、きっとひとつやふたつじゃ足りないんじゃないでしょうか?」
「え?」
「腹いっぱいたべたいタイプなんじゃないですか?」
「いや、別にそこまで考えてないし、第一そんなに腹いっぱい食べたら支障出るだろ」
「ですね。でも先輩ならそうなんじゃないかと思ったので」
「厭味かよ」
「いえ。単なる憶測です。僕はまだ先輩のことよく知らないので、少しでも情報を吸収しようと努力しているだけですよ」
「そうですかそうですか。それはありがとうございます。俺は総菜パンが好きですよ。アンパンよりも総菜パンが大好きですよ。分かりましたか? いいですか?」
「はい。承知しました。以後間違わないようにします。でもあんこ、嫌いなんですか?」
「いや、そうじゃなくて。昼飯として食いたくないってこと」
「分かりました。では「おやつ」としてならいいんですね?」
「……まあな」
 きっとこいつ今頭のなかのメモ帳に書き込んでるんだろな……ってのが手に取るように分かる。それでもこいつはそれなりに努力家であることは認めよう。
 砂山も黙って相手を見つめるとそんなことを思ったのだった。
「それからもうひとつ」
「何ですか?」
「俺、こういう時牛乳は飲まないんだよな。分かる? 飲んだら口の中ネバネバになるだろ?」
「ですか」
「ですよ。OK?」
「承知です」
「次からは水でいいから」
「水ですか」
「そっ、水。普通の日本の水。外国のじゃなくて日本の水を頼むよ」
「承知です」
「うん」
「あのっ……。ここで提案なんですが、いいですか?」
「何?」
「買い物は交替制でしませんか?」
「交替制?」
「はい。今日は僕が担当したので、次は是非先輩にお願いしたいのですが」
「何で?」
「お互いの親睦のためにです」
「親睦……」
「はいっ」
「へぇ……」
「はい。どうでしょう」
「……別にいいけどな」
「ありがとうございますっ!」
「……」
 どういうつもりなのか。
 言葉通り親睦目的ならそれはそれでいいのだが、何か騙されてる感がプンプンする。それはきっと刑事にそぐわないほどキュートな笑顔がそう思わせているのだろうと思うことにした砂山だった。
「お前、いくつだっけ?」
「二十七ですよ? 先輩はおいくつでしたっけ?」
「……三十八だけど」
「僕たち、いいコンビですよね?」
「いや、それはまだ分からないんじゃないか?」
「年齢的にある程度離れていたほうが、広い視野で物事考えられるからと友三さんがそう言っていたので」
「友三さん?」
「玉友三。僕の前の相棒です」
「ああ。定年退職した」
「先輩の相棒さんも定年退職されたんですよね? どんな方だったんですか?」
「どんな方って……。ちょっとヤニ臭い普通のおっさんだったけど?」
「何でもその方と友三さんはふたりで組んでいた時期もあったと聞いてますけど?」
「俺はそんな話聞いたことはないけどな」
「そうですか。僕もその辺の詳しいことは聞いてないんですけどね」
「そりゃ長い刑事人生だったんだ。何人かと組んでてもおかしくないからな。俺はその中のひとりに過ぎない」
「……それは僕にだって言えることです。僕が言いたいのは先にも言いました通り、広い視野で物事を見るためには同年代よりも少し年が離れていたほうがいいと言うことだけです。なのでこのコンビ。僕は正解だと思っています」
「だといいな」
「はいっ」
「……」
 どうも何かがしっくりこない。
 これは時間の問題なんかじゃなくて資質の問題なんじゃないだろうか……と思いはしたが、年上の自分のほうが最初からこんな考えではいけないと思い直す。でもやっぱり何か違和感を覚えた砂山だった。

 体格の問題。
 砂山は人より背が高く、それに比例して腕っ節も強かった。加えて外人並の等身をしているために、どちらかと言えば刑事向きではない。華がありすぎるのだ。だからそれを少しでも隠すために時に不精髭を生やしてみたり、よれたスーツを来てみたりと色々な努力をしているのだが、それはあまり活かされてはいないのが現状だった。
 キリオはと言えば、こちらもあまり刑事と言う印象は持てない男だった。体格や身長目立つわけでもないのだが、いかんせん顔がアイドル顔なのでいるだけで目だってしまう。刑事としてはいただけないふたりなのだった。

 食事を済ませたところで男がアパートから出てきた。会社員のはずなのに平日からラフなスタイルで駅のほうに向かって歩きだした。
「僕行ってきますっ」
「ああ、頼む」
 地味なスーツに空っぽのブリーフケースを手にサラリーマンを装って距離をおきながら男を追う。フットワークは軽いようだ。
 砂山はひとりになった車中で大きく伸びをするとポケットから水の入ったペットボトルを取り出すと、それを口に含んだ。クチュクチュとそれで口の中をすすぐとそのままゴクンッと飲み込んだ。
「やっぱ牛乳はないなっ」
 そして次に昼食の用意をするのが自分なら、奴に何を用意してやろうか…と思いを巡らせたのだった。

 しばらくするとキリオが帰ってきた。
「どうだった?」
「職場でした。今日は遅番なんですかね」
「そうか」
 男の職場はここから歩いて十分くらいの場所にある工場だった。日によって出勤時間が変わるのは仕方がないことだが、男はその合間を縫って空き巣に入るのだ。その目的は現金ではなく女性物の下着だった。鍵のかかってない場所から入って洗濯前の下着を物色し、後日自分の体液をつけてポストなどに返却すると言う悪質さだった。DNAから以前別件で逮捕された男が浮かび上がる。今は男の行動を監視している最中だった。
 職場から家に帰るまでには時間がある。職場前には違う刑事が違う車で張り込みをするためにふたりの役目はこれで終わりだった。
「署に帰るか」
「はい」
 運転席にいた砂山はエンジンをかけて車を発進させた。
「お前、まだ引っ越しの荷物とか整理出来てないんじゃないか?」
「ええ。まだ部屋に入れたままで段ボールから荷物出し入れしてますが」
「だったら今日はこれで上がって処理したらどうだ?」
「いいんですか?」
「ああ。どうせ今日はもう俺たちの出番はないし、やれる時にやっておかないといつまでたっても出来ないままだからな」
「……じゃあ、すみません。一足先に帰らせていただきます」
「OK」
「はい」



「で、どうしてこんなになってるのかな?」
「先輩…………。どうしてここが?」
「だって俺ん家、隣だから」
「ええ〜っ?! とっ……なりなんですかっ?!」
「ああ。俺もお前の住所聞いて驚いた」
「隣……。左ですか右ですか?」
「向かって右。お前203だろ? 俺、204の角部屋だから」
「そう……なんですか…………」
 驚きが隠せないキリオに対し、玄関先でビニール袋を手にした砂山が「あのさ」と言葉を続けた。
「中、入れてくんないかな」
「は?」
「俺、わざわざ訪ねてきた人なんですけど」
「わざわざ……ですか? あのっ……ご用は」
「陣中見舞いだろっ、陣中見舞い」
「はぁ」
 手にしていたビニール袋を差し出しながら半ば強引に玄関の中に入る。そしてマジマジと部屋の状況を見ると、とてもじゃないがすぐに片付けられる代物ではないな……と呆れた顔になってしまった。
「あのっ……」
「それ、おにぎりな。夕食夕食」
「あ…りがとうございますっ」
「にしてもだなぁ……。お前、風呂敷広げるだけ広げてちっとも片付けられない人だろ」
「そ…れはっ……。うーん…………」
「本当は差し入れだけのつもりだったけど……良ければ手伝おうか?」
「ほんとですかっ?!」
「ああ。俺も整理整頓は得意なほうじゃないけど、それでもお前よりかはマシだと思うから」
「あのっ……すみませんっ! ぜひお願いしますっ!」
 深々と頭を下げられて、ちょっとだけ勝ったような気分になる。砂山は靴を脱ぐとさっそく片付けに入ったのだった。

試読終わり/本誌に続く。