タイトル「Rikuri」試読。
「ジョムジョム?! ピピット?! どっちで呼べば来てくれるんだ?!」
「……はいはい。師匠様、何かご用でも?!」
呼ばれて飛び出てではないが、師匠に呼ばれた弟子は億劫そうにキトの前にやってきた。
今朝から用事ばかり言いつけられて、ほとほと疲れているのに始終呼び付けられては敵わないと言った顔付きだ。
「で、どっちで呼べば、お前はすんなり来てくれるんだ?」
「……………どちらでもいいですよ。ただ言わせてもらえるのなら言いたいのですが、いいですか?」
「……何だ?」
「いちいち呼び付けるのは止めてもらえませんか。オレは言い付けられた用事を済ませるのだけで手一杯なんですから」
「………それは悪かった。私はまた嫌われているのだとばかり思っていたものだからつい…」
「何でオレが師匠を嫌うんです? そりゃ師匠はカウチに横になって身じろぎひとつしませんし、何の魔法も教えてくださりしませんが、オレはそのことで愚痴をこぼしたことはありませんし、非難したこともございませんが」
「……………」
皮肉な物言いをする人物は、師匠キトにジョムジョムとかピピットとか呼ばれていたジョムジョム・ピピットだった。
本名ジョムジョム・ピピット。本日含めて考えても生まれて15年ちょっとしか経ってない。真っ黒な髪を所々跳ねっ返らせて、元気の良さだけが取り柄でしょと言われそうな身のこなしで日々の奉公をこなしている。体つきはそれなりだが、この労働はモヤシのように痩せこけていては続かない。働き出してだんだん筋肉がついてくるのも目に見えて分かったし、身長が伸びるのも朝顔の蔓が如しだ。
最近この暮らしにも慣れてきたせいか師匠に向かって減らず口を叩くようになったが、それでも青い瞳は正直で時折寂しそうに潤んでいる時もある。
対して師匠と呼ばれているキト・ハマイエは、一瞬白髪かと思わせるほどの銀の髪を垂らした御年275歳の魔法使いだった。
年を聞けば年寄りにも聞こえるが、魔法使いの中ではまだまだヒヨッコ。鼻であしらわれてしまうような年齢だった。それがゆえに、甘えることはあっても甘やかすことを知らない。ピピットには、いつも女中がごとく自分勝手な言い付けをするのに、自分は何ひとつ動かないと言う体たらくを見せつけていた。
中身は少々難有りな奴だが、外見は中性的なイメージを持ち綺麗な顔立ちをしていた。切れ長な眼が印象的で、あの眼で睨まれると凍りつくのではないかと来た当時ピピットは思ったものだ。だが日がなカウチに横たわって銀色の長い髪を触ってばかりいる師匠にいい加減業を煮やしてもいた。
「ふぅ……。師匠、師匠はどうして毎日毎日そこに横たわってるんですか? どうして動こうとしないんですか?」
「と、言われてもなぁ……。することがなければ動かなくてもいいんじゃないか?」
「……自分ですることを探そうとは思わないんですか?」
「………どうして、そこまでしなくちゃいけないんだ?」
コテンッと顔をカウチに押し付けてゴロゴロしながら聞かれると怒る気も失せる。ピピットは聞いた自分が悪かったとばかりに諦めのため息をつくと、さっさと身を翻した。
魔法使いは通常人間の10倍は生きるとされている。
ピピットのように年が若い内は、まだ生まれてもいないと判断されてしまうのが落ちで、扱いは人間並。100歳になってやっと、あれっ魔法使いかなと判断されるのだ。だから彼らに何かを望むのは間違いなのだ。最近ようやくピピットはそう思えるようになった。
「何だってチョチョイと魔法で出来るのに、何でいちいちオレにさせるんだろう」
思わず愚痴が口をつくが、そんなことでも言わなければ、あのぐうたらなキトの世話はしてられない。
朝は夜明けから水汲みに始まり、薪を拾いに森に出て、朝食を手に入れるために鶏の世話をする。庭の整地に牛の乳搾り、柵の補修に家の補修。明かりを灯すランプの手入れに包丁やナタの研ぎ仕事。挙句の果ては針を持ってチクチクとお針子仕事までピピットの仕事だった。馬車がなくて良かったぁ…と思ったのはここに来てからだ。
ちなみに今は昼食も済んだので少し汚れが目立ち始めた床のモップがけだ。まだ使える水をバケツに入れると手早くモップがけを始める。さして広くもないのが幸いなだけで、寒くなるとマッチ売りの少女の気分になれること請け合いだ。
「くそっ…」
ピピットのいる所は人里から少し離れた小さな森の中にあった。時々肉やスパイスを手に入れるために街に行くのがピピットの楽しみだ。
ひとつの街には一人の魔法使いが守り神のようにいるのが習わしだった。別に何人いてもいいのだが、そのせいで派閥が出来ることがあるので小さな集落ごとに一人となっている場合が多い。
師匠であるキトは、この小さな森を下ったところにあるラムダの魔法使いと言うことになっている。だから色々相談事をしに村人が来たりするのだが、その時も彼は例のカウチに寝そべったままだ。それでも村人は彼をあがない有り難がって帰って行く。それがピピットにはちょっと疑問でもあった。
彼の寝そべっているカウチの下もきちんとモップで拭くと、家の中全部の床掃除が終わった。思わず額を手で拭ってニコッと笑ってしまうが、それを横目でチラリと見られると口をキュッと真一文字に引き締めた。
「……」
「何ですか?」
「別に」
「じゃ、見ないでくれます?」
「だって、お前しか見るものないしぃ…」
「そんなに暇なら森にでも出てみたらいいじゃないですか」
「用事もないのに出たくないから嫌だ」
「………そうですか。オレこれから街に行きますけど、何か買って来るものはありますか?」
「別にない。たいていのものは村人が持ってきてくれるしな」
「そうですか」
やっぱりね…と言った顔付きでモップとバケツを持つと家の外に出る。排水口代わりにしている溝に汚くなった水を流すと、すぐ近くにある川辺に行ってバケツとモップを丁寧に洗った。毎日孤独な作業ばかりだった。だが街に行けば人と話しが出来る。それに少しだがお手当ももらえているので、自分の好きな物も買える。だからピピットは街に行くのが大好きだったのだ。
「これで良しっと…」
バケツを裏返して乾かしモップを絞って逆さに立て掛けると、ピピットはニッコリと微笑んで腰に差し込んでおいたタオルを抜き取ると手を拭いた。
「街に行こっと」
●
「じゃあ、行って来ますからね。後であれが足りない、これが欲しいなんて言わないでくださいよ」
「分かってるよ。さっさと行っておいで。早く帰って来ないと寒くなるぞ」
「はいはい」
季節はもうすぐ冬になろうとしていた。
だから日ごと日暮れは早くなってきている。キトはそれを言っているのだろうが、ぐうたらしている奴に言われたくないと言ったところだろうか。ピピットはブスッとしたまま買い物袋を手にすると玄関を出た。
ポケットには自分のこずかいと食料品を買うためのお金が入っている。落とすわけにはいかないお金を持って慎重に、でも足取りは少々浮かれぎみに森を歩きだした。
クネクネと平坦な道を通って街へ歩く。途中出くわす村人に会釈をして言葉を交わした。
「キト様はいらっしゃいますか?」
「ええ。いつものようにカウチに寝そべっていますよ」
「そうですか。……ピピット君は街へお使いですか?」
「食料品を買いに行って来ます」
「ハムは買って来なくていいですよ。私が今から持って行きますから」
「あっ、ありがとうございます」
「これで何かキト様においしいものでも作って差し上げてください」
手にした袋の中から手作りのハムを見せられる。これは彼らが冬の蓄えに作ったばかりのハムだった。
「いつもすみません。大切に使わせてもらいます」
「ええ、ひと冬くらい持つかと思いますから。キッチンの端に吊るしておきますね」
「はい、分かりました。それじゃあ」
「それじゃ、お気を付けて」
笑顔で挨拶を交わすと村人は森へ、そしてピピットは村へと歩いて行った。
日も低くなり、魔物が徘徊すると言われている家の外に村人は出たがらない。実際ピピットは魔物に遭遇したこともなかったのだが、暗くなると外は異様に寒く感じられる。
それもこれも人と遭遇しないからだろうと思ったのだが、村人が外に出てないのに人と出会ってしまう恐ろしさは叫び声を上げたくなるくらい怖いものだ。もし本当に誰かと出会ってしまったら、それは村人の言う魔物か、それを知らない旅人でしかないのだから。旅人をどこまで信じられるか、それは自らの判断でしかない。もしその判断を誤れば死あるのみと村人は信じている、そしてピピット自身も。
そんなことを考えるといたたまれない。ピピットはプルプルと首を横に振ると、早く用事を済ませて家に帰ろうと言う気になっていた。冬の日は短い。ピピットの歩く歩調も歩くごとに早くなっていたのだった。
「頼んでおいた本来てますか」
「これはこれは、ピピット様。あの法書ですか?」
「ぇ…ええ……」
雑貨屋の女主人はピピットのことを様付けで呼んでくる不思議な人だ。ちょっとてっぷりとした体系は棚に並んだ商品を引っかけてしまわないかな…とこちらが心配してしまうほどだが、実際にそんな粗相は見たこともない。ニコニコと愛想良く笑顔を振り撒いてくるので、とりあえずピピットも口の端を上げるが、様付けに慣れていないせいか顔がヒクついてしまうのを隠せなかった。
「今朝の荷物で届いたばかりなんですよ。えっと……これこれ、これですね?」
まだ荷解きをしたばかりの荷物に屈み込むと下のほうからほじくり出す感じで一冊の堅くて丈夫そうな本が出てきた。それを女主人はピピットにかざしてきた。
「あっ、それだと思います」
「よいしょっと…」
ふくよかな体にバウンドをつけて立ち上がると本をカウンターの上に置く。真新しい書物は人間には読めないであろう文字でタイトルが書かれていた。
「いったいこれはどんな本なんです?」
「魔法使いの使う赤いバイエルって感じですか」
「赤いバイエル? あのピアノで言う赤いバイエルですか?」
「ええ。オレはまだ修行の身ですから」
「ぁ…ああ、そうですね。はぁ…ん、そんな本があるんですか」
女主人は珍しそうにその本を見つめていたが、何が書いてあるのかタイトルさえも読めないので首を傾げるばかりだった。ピピットは嬉しそうに顔を緩ませるとその場で代金を支払って店を出た。本当は両手でしっかりと抱き抱えて行きたいのだが、まだ街に用事があるので浮かれてばかりはいられない。持って来た買い物袋に押し込むと商店街を歩きだした。
「次は…パン屋に寄ってっと…」
二軒先にあるパン屋からはいつものことながら焼きたてパンのおいしい匂いが漂ってきていた。普段は家でパンケーキを焼いているピピットだが、街に来た時にはおいしそうなパンを見繕って買って行くようにしているのだ。
「何かあるかな…」
ワクワクしながら店に行くと、額に汗をにじませたパン屋の主人が飾り棚にパンを移しているところだった。
「いらっしゃい」
「こんにちわ」
言いながらさっそく棚を物色すると、この季節に合わせた胡桃の混ざったパンが置かれていた。
「おじさんこれ、期間限定ってやつ?」
「はははっ、まあね。秋は色々木の実が取れるから、栗入れてみたり胡桃入れてみたり日によって変えてみてるよ。たまたま今日は胡桃の日だったってだけだけどな」
「おいしい?」
「そりゃ旨いさ」
「この中でこれが一番おいしい?」
「うっ…うーん………。それは人の好みってのがあるからな、一概には言えん。けどな、俺は好きだぜ」
「ふぅん、そうなんだ……」
胡桃のパンをじっと見てから回りのパンにも目を向けたピピットは、全部違う種類のものを四つ手に取った。
「おじさん、お勘定」
「おっ、やっぱり胡桃入り買うんだな。お前、目が肥えてるぞ。将来立派な魔法使いになれるっ」
「……お世辞はいいよ。それよりちょっとはオマケしてよ。オレ一番遠方の客だぜ?」
「はいよっと。じゃあ……少し焼き過ぎたパンがあるんだが、持ってくか?」
「うんっ!」
ニッタリと笑う店主と親指を立てて破顔するピピットは性格が似ているのか相性が合うのか、いつもこんな感じのやり取りをしていた。そして本当は何も言わなくても付けてくれるオマケも、そのやり取りが面白くてわざと聞いてみたり言ってみたりしているのだ。
店主がひとつひとつのパンを新聞紙に包んでピピットに渡してくる。それを受け取って袋の中に詰めていくと、あっと言う間に袋はまんぱんになってしまった。
「これからまだどっか寄るのか?」
「うん。まだスパイス買わないといけないから、まじないのスイクンばあちゃんとこに行く」
「そっか。なら俺のところは後のほうが良かったんじゃないか?」
「でもパンなくなっちゃったら大変だもん。スパイスはそんなに大量に買わないし、あそこに行くとすぐには帰れないかもしれないから、先に買えるものは買っておかないと」
「ああ…。あのばあさん話が長いからなぁ」
「寂しいんだよ。オレも人里離れてるから気持ち分かる」
「お前には師匠がいるじゃないか」
「あの師匠じゃ話し相手にはならないよ。まともに喋るのは村の人が相談に来た時だけ。後は猫みたいにゴロンゴロンしてるだけだもん」
「………まっ、人生が長すぎる魔法使いってのは、そんなもんだよ。お前も大人になれば分かるかもよ?」
「ヤだよ。分かりたくない」
「でも、あのお方がゴロンゴロンしてる内は、村が平和な証拠だ」
「そりゃそうだけど……どう解釈しても、オレ的には邪魔なだけなんだよな」
「………そう思ってるのは、実は師匠のほうだったりしてな」
「ぇ…」
「ははははっ、冗談だよ冗談っ」
店主に言われてハタと考えてしまう。言われてみれば、ここに来たのは師匠ではなく自分のほうなのだ。そう思われていても仕方ないのだが……。
「オ、オレだって好きであいつのところに奉公来てるんじゃないぞ?!」
「分かってるよ。そんなの人間だって子供が多い家の子は、奉公に行くのが当たり前だしな」
「………」
「お前、師匠のこともう少し理解しようとしてみろよ。あのお方は、そんなに悪い方ではないぞ?」
「………ぅ、うん……」
言葉では了承しているものの、やっぱり納得している様子はない。店主も無理強いさせる気はないのか、それ以上は何も言わずにピピットの頭をポンポンッと軽く叩いて最後に背中をポンッと叩いた。
「そろそろ行かないと、暗くなるまでに帰れないぞ?」
「………うん。じゃ、行くね」
「ああ」
「また来週…来ると思う」
「まいどっ。待ってるよ」
「じゃあねっ」
軽く手を振って、最後には笑顔になったピピットは駆け足になりながら太陽を探した。
まだ大丈夫。
少し西に傾いているだけの太陽をかざした手の間から覗き見て安心する。
時計は村の中央にある広場にひとつだけ。それと教会が鳴らす鐘の音が正確な時間を知る方法でしかなかった。もちろん金持ちは個人で時計を持っているのだろうが、この街で持っているのは神父様くらいだ。でないと正確な鐘の音は打てないのだから。
石畳になっている道を通り過ぎると、自分が来た道と同じようにただの土を整地しただけの道に入る。これはここで街は終わりと言う証拠なのだが、この道をしばらく行かないとスイクンばあさんの家には着かない。
村の端と端に位置している場所に行こうとすると本当に厄介で時間ばかりがかかってしまう。それでもピピットはスイクンばあさんの家に行くのが好きだった。考えてみればばあさんの家も師匠の家も似たような感じだ。町外れで人があまり来ないようなところにポツンと建っている。
「まったくぅ…いっつもいっつも村横断じゃないかよぉ」
ボヤきながらも別に嫌じゃなかった。ばあさんの家で世間話をするとばあさんも喜ぶし自分も嬉しいからだ。
「ぁ、ばあちゃんに、もらったパンやろうかな。でも焼き過ぎじゃ堅いかなぁ」
袋の中のパンに手を伸ばして堅さを確かめてみる。どれに何が入っているのか見えないので分からないが、どれも同じ堅さだった。
「しょうがないな…。ばあちゃんに選んでもらうか」
●
「ばあちゃん、いる?」
トントンッと玄関の木で出来た頑丈なドアをノックして中からの返事を待つこと数秒。
「開いてるよ」のしわがれた声一言で躊躇することもなくピピットはドアを開けていた。
「ばあちゃん、スパイス欲しいんだけど」
「…何が欲しいんじゃ?」
壁に向かって何か作業をしていたスイクンが億劫気に顔を玄関に向けた。腰を屈めているから随分小さく見えるが、腰を真っすぐにしたってあんまり変わりはない。
「適当に、肉料理に使えるヤツをミックスしてよ。それから、それとは別に岩塩を両手ですくえるくらい欲しい」
「ふん…。それじゃあ……っと………」
スイクンは部屋の端から端に引っ張ってある紐を見上げた。そこには何やら乾燥した草のようなものがいくつも引っ掻けられている。スイクンはそれに手を伸ばすとピッピッと何種類か引き抜き、石で出来た臼に細かくちぎって投げ入れた。
「ほれっ……ほぉれほれほれっ…」
まるで唄うように口から出た言葉に意味などない。ただ単に調子に乗りたいと言おうか、彼女なりのリズムの取り方でしかなかった。言いながら心持ち体が上下左右に揺れているように見える。最初は何をやっているのかよく分からなかったが、踊っているのだと前回来た時にようやく分かった。
聞かなくて良かった…とひそかに思ったピピットだが、ひとしきり彼女が踊り終えるまでおとなしく待つことにした。近くにある食卓の椅子に腰掛けると肘をついて踊る彼女を見る。彼女は上下左右の動きを遅くしたり早くしたりを繰り返しながら石臼を引き出した。長細い石に溝が出来ていて、そこを五円玉を大きくしたような石に棒がささったもので溝に入っている草を細かく砕いていくのだ。
「ほぉれほれほれっ…ほれほれほぉれっ…」
ばあちゃんノッてるなぁ…。
五分ほどもその作業を繰り返し、もう砕くものがなくなってしまうほど細かくなってしまった時、ようやくスイクンが動きを止めた。
「この間持って行ったスパイスとこれを交ぜると、より一層おいしくなるぞ」
「分かった」
「疲れたから、勝手に紙に包んでくれ」
「うん」
ゼイゼイしながらピピットの正面に位置する椅子にスイクンが腰をかける。ピピットは石臼のところまで歩くとクンッと溝の匂いをかいでみた。確かに前回作ってもらったものとは匂いが違っていた。
「肉を焼く前にそれを塗り込むんじゃぞ」
「ふぅん…分かった」
ピピットは壁に吊るしてある新聞紙を一枚引き抜くと、石臼の横においてある小さな箒で溝を履いて新聞紙に移動させた。そして綺麗に包み込むともう一度さっきの椅子に腰掛けた。
「ばあちゃんパン欲しい?」
「パン?」
「さっきパン屋で余分にもらったから」
「それは、おいしいのかい?」
「毎回違うの買うから分かんないよ。でも今までマズいのに当たったことないから、おいしいんじゃない?」
「……じゃ、ひとつもらおうかね」
「ばあちゃん、あそこのパン食べたことないの?」
「あるよ。遠い昔にな」
「って、いつもは何食べてるの?」
「色々さ」
「色々って?」
「お前だって毎日毎日パンを買ってるわけじゃないじゃろう? 何食べてるんだい?」
「そりゃ小麦粉買ってパンケーキ作ったり『すいとん』作ったりしてるけど?」
「あたしもだよ。それに年を取ると、あそこまで行くのが億劫になるんじゃ。だから来る人に今度来る時には金の代わりにあれを買ってきてくれとか、これを買ってきてくれとか頼むわけじゃ。最近パンを頼んだことはないがね」
「ふぅん。でもばあちゃん踊れるほど元気じゃん」
「馬鹿者っ、踊りはまじないにはかかせない大切なものじゃ。これが踊れなくなったら、いよいよ引退になるんじゃよ」
「そうなんだ」
「………お前、今まで毎回見ていても分からなかったのかい」
「うん。好きで踊ってるんだと思ってた」
「……本当に阿呆じゃな。そんなことではキトに見放されるぞ」
「ぇ…え…ぇっと……。だ…からさっ、ほらっ、今日魔法の本を買ってきてみたんだ。これを見て勉強しながら師匠に教えてもらえば、オレだって魔法のひとつやふたつ…」
「甘い」
「なんで……?」
「お前は本当に馬鹿者じゃの。他の魔法使いが書いた書物など見たってクソの役にも立たんわ」
「……そうなの?」
「いったい家では何を教わってたのかのぉぉ」
「………だってオレ、魔界から通知が来るまで自分は人間だと思ってたんだもん。こっちのことは何一つ教わってないよ」
「………親は何をしてる人なんじゃ?」
「花屋してる」
「両親ともかい?」
「うん」
「ふぅん……。では仕方ないかのぉ。だいたい力がある魔法使いは、そんな職につかないしな」
「そうなの?」
「考えてみれば分かるじゃろう。キトは何をしている?」
「村の…」
「村のお抱え魔法使い、じゃろ。そもそも力のある魔法使いは職になんぞついておらん」
「そっか………」
スイクンに言われて思い出してみるが、やはり親が魔法を使ったところなど見たこともないし、自分が魔法使いの修行に行くはめになったのも未だに信じられないくらいだ。
「しかしお前の親だって魔法使いと言われるからには多少何かが出来たんじゃろうな」
「でも今までそんなとこ見たこともないよ。きっとこれからもないんじゃないのかな」
「でも親が売れなかった花を処分するところなんか、見たことないじゃろう?」
「……そういえば、ないかも………」
「お前の親はきっと人間に毛がはえたくらいの魔法使いだったんじゃな。だから使うことはどうにか使えても、それを教えることは出来なかったんじゃ」
「どういうこと?」
「……これは「まじない界」で言われていることじゃが、聞くか?」
「うんっ」
「こちらでは古くから、魔法使いには生まれ持って力のランクがあると言われてるんじゃ」
「ランク?」
「ああ。上中下とか松竹梅みたいなもんじゃよ」
「ふぅん」
「それは一概に血筋から来るものではないらしい」
「って?」
「親がランクが上だからと言って、子供も同じくらい力があるとは限らないってことじゃ。お前はちょっとばかり脈があったんじゃろ。だから魔界から通知が来たんじゃろうな」
「ぇ…だって通知なんてみんな来てるんじゃないの?」
「来てる」
「じゃあ」
「内容が違うんじゃ」
「内容……?」
「同じ奉公でも働く内容が違う。お前達のところに来る通知は同じでも魔法使いのところに来る通知は違うらしいぞ」
「ど…どう違うの?」
「『奉公させるべし』と『弟子にするべし』。お前はキトを師匠と呼んでるんじゃから、後のほうじゃろう?」
「ぇ…ぇ…ぇぇぇ…………っと………」
ダラダラと冷や汗が流れてきていた。そんなこと全然聞いたことなかったからだ。来た端から「師匠」と、確か自分から呼んでいたんじゃなかったかな…と振り返ってみる。
「それ…って………師匠が『師匠』って呼べとかって言うのかな……」
「そんなことは知らん。魔法使いによって違うんじゃろうしな。…それよりお前、後のほうじゃないのかい?」
「え…っと………分かんない………」
「何じゃ、それはっ…! はっきり聞いてもおらんのかい。呆れた子じゃのぅ」
「だっ…だってオレ! そんなの初耳だもんっ! 帰ったら師匠に聞いてみるっ!」
「そうじゃ、聞いてみたほうがいい」
「……………オレ…帰るっ」
スクッと立ち上がると袋の中からスパイス代とパンをひとつ置いて、代わりに新聞紙で包んだスパイスを突っ込む。顔はちょっとばかりヒクついているのが隠せない。
「じゃ…じゃあ、ばあちゃん。また話聞かせて」
「ああ、気を付けてな」
相手はニッコリとしているが、こっちはそんな気分ではない。急いで帰って師匠にはっきりと聞くまでは、うかうか奉公なんかしてられるかと言う気分だ。ピピットは来た道を全速力で駆け出していた。
土で出来た道を突っ走り、石畳の道を突っ走り、パン屋を通って雑貨屋の前を通る。そこまで来るとさすがにバテてしまいスピードを落とすと歩きだした。
オレって本当に奉公に来ただけかもしんない………。
今までキトの家に来てからのことを考えると、とてもじゃないが弟子って扱いを受けてないような気がするからだ。
「どうしよう。オレ、ただの奉公人だったら……」
今まで修行に来たつもりでいたから、ただの奉公人だったらどうしたらいいのかが分からない。家路に着くピピットの不安は増すばかりだった。
●
「ただいま帰りました」
玄関のドアを開けると、夕方になってきていると言うのに部屋の明かりもついていなかった。
「師匠?」
「………」
「寝てるのかな…」
キトのところに歩きながらも少々気が重い。玄関を入ってすぐにあるキッチンの机に荷物を置くと、続いてあるカウチが置いてある部屋に足を向ける。ヒョッコリと顔を出してカウチを伺うと師匠であるキトは腕組みをして仰向けにカウチに横になっていた。
「何だ、いるんじゃないですか。暗くなったのに何で明かりも点けないんですか。今ランプに火を入れますね」
「ピピット。ちょっと来なさい」
「ぇ…………」
何だか雲行きが怪しいぞ……。師匠の声がいつになく低いのに、ピピットは脅えながら彼に近づいて行った。
「そこに座れ」
「……って、床ですけど」
「……」
「はい……」
言われるままに床に正座すると師匠を見上げる。師匠はむっくりと起き上がると口をへの字に曲げてピピットのほうを向いた。
「聞きたいことがあるんだが」
「はい………」
「お前、今日魔法書買ったんだって?」
「ぇ……どうしてそれを…」
「さっき雑貨屋の女主人が用事で来てね、その話をしていったもんだから」
「あ…れはですねぇ……」
「あれは何だ? お前、私に隠れて勝手に魔法を習おうとしてたってことなのか?」
「ち…がいますよっ」
「違わないだろうっ!」
本誌につづく
タイトル「Rikuri」