タイトル「恋する欠片」
そもそもは何だったのか。そんなことすらもあやふやになりつつある彼との馴れ初め。
今、御浦律(ミウラーリツ)は彼・加東翔馬(カトウーショウマ)の部屋のベッドで彼の隣でまどろんでいた。
日差しが眩しい。そろそろ起きないと一日中体がダルくて仕方なくなるのは分かっているので日差しと共に瞼をこじ開けた。
「ん……」
手近な時計で時間を確かめると午前六時になろうとしていた。彼の出勤時間は七時ちょっと過ぎ。別に甲斐甲斐しく朝食の世話をしてやる気はないので、彼を横目にベッドから降り立つと伸びをしてシャワーを浴びに浴室へと脚を向けた。ここの浴室は一風変わっていて朝日がよく入るように一部ガラスブロックで作られていた。屈折して入ってくる光がとても綺麗で、それが見たくてわざとこの時間にシャワーを浴びることもあった。
律は今年で二十四になる一見優等生に見える小顔のストレートな髪で可愛らしい風貌だが、この年になってもちゃんとした職についているわけでもない、いわゆる彼のお荷物・紐生活をしている男だった。
生活の安定のために差し出すのは体。
別に減るわけじゃないし、嫌なことをされるわけでもないので、そこのところは全然気にしてない。
こんな生活がもうすぐ一年になろうとしている。
律は差し込む朝日と沸き立つ湯気の中で時間を気にして急いで体を洗った。
シャワーを浴びたらさっそくジーンズにTシャツ、少し大きめのカーディガンを羽織るとキッチンに立って食事を作り出す。
食パンにコーヒー、果物に卵。食パンをオーブンに一枚ポイッと入れてタイマーを回してから、ちょっと考えてもう一枚追加する。コーヒーメーカーにコーヒーの粉を入れる時も二人分入れる。どっちにしてももうすぐ彼が起きてくるのは分かっているので「ついで」と言う言葉でごまかしてみる。
「ぉはよ……」
「ぁ、おはよ」
「今日天気何?」
「さあ。雨は降らないんじゃない?」
「ふぅん……」
まだ半分寝ているような状態の翔馬は、律のセットした目覚ましでノロノロと起きてきていた。
背格好は彼のほうが若干大きいものの服が借りられるので律はここに来てから洋服を買ったことがなかった。ほとんど彼のものを使わせて貰っているのだ。翔馬はキッチンを横目に体面になっているカウンターテーブルについてほお杖をついている。放っておくとそのまままたそこで寝てしまうんじゃないかと言う雰囲気だったので、律はそっちに向かって声をかけた。
「先にシャワー、浴びておいでよ」
「………うん……」
「ぁ、でもカラスの行水並にね。パンが焼けちゃうから」
「うん…」
分かったと頷きながらズルズルと足取り重く浴室へと歩いて行く。そんな彼を見送って律は卵を見つめた。
「卵……焼きにしようかな」
パンは後数分で焼けてしまうけどそのままにしておいて卵焼きを作るためにボールに卵を割り入れる。調味料を入れて卵焼き用のフライパンを取り出すと火に掛けて手早く作って切り分けた。朝使うプレートに卵焼きとバナナ、入ったばかりのコーヒーにはミルクと砂糖を入れて冷めないように蓋をする。
しばらくすると翔馬がシャワーを終えてフード付きのガウン姿で現れた。それに気づいてオーブンから焼けたパンを取り出すと冷蔵庫からバターを出して一緒にカウンターに置く。そしてコーヒーもそっちに置くと自分も移動した。
「さ、食べよう。いただきます」
「いただきます」
何とか目覚めた顔になった翔馬はトーストを一口食べると「旨い」と笑顔を作った。
「それはどうも」
でもそれは焼いただけですから、とは口にしなかったが思いはする。
どうせ言うなら卵焼きで言って欲しかったな……などと考えながらも言われて嫌な感じなどするはずもない。
彼はまだ少し湿っている髪の毛をフードで隠していて表情が読めなかった。
「律、今日の予定は?」
「俺? 俺は午前中は家のことやって、午後からバイトかな。翔馬は?」
「俺は朝一で会議があって、それから外回り。残業ないからさ、駅で待ち合わせしないか?」
「え……?」
なんで? と言う言葉を出す前に翔馬が続きを口にした。
「宝くじ当たった」
「えっ!! ぃ、いくらっ?!」
ビックリして思わず立ち上がってしまったが、それを見た翔馬はフードの中から顔を覗かせると「一万」と笑ってみせた。
「ぁ…ああ…………」
「何だよ、がっかりするなよ」
「いや、そうじゃないけど……」
体裁が悪そうに座り直すと彼の次の言葉を聞く。
「たまにはさ、一緒に外で会いたいな…とか思うわけよ」
「…」
「いや、お前の食事が不味いとかってわけじゃないからなっ?! ただ、ちょっとここんところ外で会ってないってか、ここでちょっくら新鮮味を出そうかなっとか思ってるわけで……!」
「分かった」
「マジっ?!」
「…うん。別にいいよ」
「ッしゃっ!」
小さくガッツポーズをする翔馬を見て「なんでこんなことで……」と小首を傾げる。だけどそれと同じくらい嬉しさもあって、律は困り顔をしながらも笑っていた。
「じゃ、六時半に」
「そこの駅で?」
「うん」
「分かった」
●
予定通りのスケジュールをこなし、予定通り地元の駅で言われた通りの場所と時刻。律は翔馬と待ち合わせをしていた。
日が陰ると外はまだまだ寒い。これはもう少し暖かいジャケットを着てくるべきだったかな…などと思っていると改札口から彼が出てくる姿が見えた。手を挙げて相手に「ここにいるよ」と意思表示をする。相手の顔が少しだけ解れる。
「待った?」
「いや、そんなことないよ」
「何食べたい?」
「翔馬は?」
「ぇ、俺?」
「うん。出すのはそっちだからね」
「そんなこと言うなよ」
「じゃあ一緒に決めよっか」
「だな」
「うん」
駅から続く商店街の食事処を順に回って、ここってところで店屋に入る。
入った店屋は居酒屋で当たった金よりはだいぶん安く上がった。別にそれを想定したわけじゃなくて二人ともそこから漂ういい匂いにやられただけの話だ。
出る頃には二人ともすっかり出来上がってしまっていて、互いに肩を組みながら右へ左へとくねりながら自宅へと帰った。
靴を脱ぐのももどかしくて早くベッドに行きたかった。
眠いのもあったけどそれだけじゃなくて愛を確かめ合いたかった。
「風呂っ……」
「一緒に入るか」
「……狭いよ?」
「気にしない」
「うんまあ…いいけど……」
返事をしながら脚は二人とも浴室に向かっていた。酔った勢いで笑いながら互いの服を脱がせ合いシャワーのコックを捻るとモクモクの湯気の中互いの体を洗い出す。
「くすぐったいったら」
「しょうがないじゃんっ。ほら」
ボディソープを付けて弄られると体がくねる。
「やめろってばっ。ちょっ…んっ…んん…………」
うるさいとばかりに口を塞がれて密着度が高まる。
最初は翔馬から、次は律も相手の勢いに負けぬ勢いで唇を貪る。舌に舌を絡めて相手を求めながら首に腕を回して脚に脚を絡ませて股間を押し付ける。互いに堅くなっていたモノが打つかり合って握り合ってからふたつとも一緒くたにしごく。
「あっ…」
「いいねっ………!」
「ぅ…」
「もっと聞かせてっ、律の声っ………!」
「ばかっ……」
互いに一緒くたに握っているはずなのに直に握っているのは翔馬のほうで、律の手はその彼の手に重なっているだけだった。
顔を近づけて口元で耳元で囁かれながらしごかれると、負けないつもりでいるのに重ねた唇からは吐息しか出てこなくて……いつの間にか彼に翻弄されているのを知る。密着して互いの指が這い回り彼の指が律の秘所を探り当てるのに時間はかからない。指先で解されて、じっくりと奥まで指を入れられて体の力を抜く。勃起したモノはまだ互いに射精してなくて、そのままベッドまでなだれ込む。
最初の最初はなんだったのか…………。
そんなこともよく思い出せないのに今に至るのに情けないような申し訳ないような……。だけどそれも一瞬で酔いのほうが勝る。律は自分の両脚を抱えて身をくねらせると相手を迎え入れる格好で彼を挑発した。翔馬はそれをしばらく眺めてからゆっくりと体を重ねてきた。ギュッと体を抱き締めて、それから優しく抱き着くと耳元で言われた。
「やっぱりエロいっ」
「っ……」
ばかっ…………!
○
彼と知り合った当時、律は寝る相手には困っていなかった。むしろ選ぶ側と言ってもいいくらいだった。
その中でも翔馬は全然目立っていなくて、いつからそこにいたのかも分からないほど埋もれた存在だった。ただ大勢いる取り巻きと違っていたのは彼の眼の奥にある輝き。まっすぐにこっちを見てくる意味深なその視線に気づいてから、気になって仕方なかった。だけど距離が縮まるチャンスがなかった。彼を見つけてからそんなに日にちも経ってなかったのだ。
そんな中、ある店で用を足そうとトイレに行った時、変な奴らに絡まれてあわや強姦されるかと言うところまできてしまった時、入ってきた彼の起点で救われた。個室に引っ張り込まれて抱き着かれて戸惑うしかないところに『声出して。とびきり色っぽいの』と唐突に言われた。
『ぇ……?』
『強姦されたいの?』
『ぁ…うん、ううんっ。でもっ……!』
それでも急にそんな声は出ないと困惑した顔をする。駄目だと分かった彼が次にしたことは個室の非常ボタンを押して、上にある火災報知機を作動させることだった。
翔馬は便座に立つとライターで火災報知機に火を近づける。とたんにトイレ中にサイレン音が鳴り響き、同時にスプリンクラーから水が飛び出してきた。音と水に驚いた外の奴らが罵声とともにチリチリバラバラに逃げ出して行く。それでも怖くてすぐには個室から出れなくて、ひとり身を抱き締める。
『ごめんっ。こんな方法しか思いつかなくて』
『ううん。ありがとぅ。でも……寒いよね』
夏でもないのに水浴びした体はすぐに冷える。ガチガチと歯を鳴らすと翔馬が再び抱き締めてきた。今度は明らかに水から律をかばうために、だ。
『こんな時に何だけど……。俺のこと、好きになって欲しいっ……!』
『ぇ……?』
『分かってる。俺は取り巻きの中の、その中でもカスだって。それでもあんたを好きなことに変わりはなくて……』
ギュッと抱き締められると、そのまんまそれが彼の言葉の重さなのだと気づく。
今までどうでもいい生き方をしてきた律には明らかに異変でしかなくて、戸惑いしかなかった。それでもこれは否定的なものではなく、むしろ肯定的なものだというのは嫌でも分かった。狭いトイレの中で水浸しのまま抱き締められての告白は前代未聞。
『付き合ってくださいっ!』
『ぇ……っと…………』
『答えは今じゃなくてもいいっ。こんな時に今すぐなんて言やしないっ。また日を改めて』
『ぁ、うん…………』
こんなに迫ってきてるのに答えは後でいいなんて、おかしな奴だとも思えたけど逆におもしろい奴だとも思えた。彼の叫声に笑えてくるのと寒いのが重なった時、手を引かれて個室を出てトイレを出る。
『警備が来る前に帰ったほうがいい』
『ぁ、そっか……』
『じゃ……』
『ぁ、うん……』
またね。とは言えないまま、その場で別れた。
それから数日、数十日、何もなかった。律は相変わらず面白おかしく馬鹿みたいに色んな男を選んで体を重ねていた。だけどふいに視界の中に見えたあの日のあの男、翔馬を見かけた時に「返事を言う時がきたのだ」と思った。それで終わり。その日から律は夜遊びを辞めて翔馬と一緒になったのだ。
○
「うっ…ぅ…ぅ………っ…………」
「辛いっ……?」
「いいっ……。続けてっ…………!」
「分かった」
満足に解していない秘所に翔馬を受け入れている律は苦しげな顔をしながらも相手に止まるのを否定した。
ズズズズズッ……と様子を伺うように中に入れてきてはギリギリまで引き抜く。そうしておいて今度は勢いよく根元まで突き入れる行為は声を出さずにはいられなかった。それと同時に腰をくねらせて秘所をヒクつかせる。自分の出した汁が後ろの穴まで垂れて潤いになってシーツに落ちる。
あー、明日は洗濯が大変そうだな……なんて頭の片隅で思いながらも嫌な気はしない。
逆に明日もこんな毎日が続くのだと思うと穏やかな気持ちにもなっていた。
ウザい男・強要する男・ねちっこい男・卑屈な男。色んな男と出会ってきたけれど、今が一番穏やかな気持ちでいられる。
「ぁ…ぁ……ぁぁっ…………!」
身を横にして深く穿たれるとまた声が出てしまう。必要以上に声なんか出したくないと思ってるのに翔馬はそれを見透かしているように突いてくる。
「もうすぐさっ……、俺たち…一年経つんだけどっ……っ…………。何かっ……しないっ……?」
「っ…ぅぅ………何かっ………て……何?」
「わ…かんないっ……けどっ………!」
「うっ…! ううっ………う!」
抜き差ししながら言われても全然考えられない。
何度も何度も腰を打ち付けられてどうしようもなくなる。律は片手で自分のモノをしごきながら身を捩った。
「ぅわっ…! ぁぁぁ……っ……ぁっ!」
「んっ…ん…んんっ………!」
彼に抱き着きながら入れられたところを引き締める。そうなると明らかに律のほうが有利で、体を繋げながら相手を押し倒し跨がりながら自分が上になる。
腰をくねらせたり上下に打ち付けたりしながら自分のモノをしごいてみせる。下から見つめてくる翔馬の顔が惚けていて、もっと彼を自分のものにしたいと駆られる。
「見てるっ……?」
「見てるじゃんっ……」
「ちゃんと見てっ………っ……!」
「見てるって………」
「俺……どう…………?」
「どう……って…………?」
「前と……一緒…………?」
「…………違うよ」
「ぇ……どう?」
どう違うの………?
「前より、いい感じっ…ぅぅ………」
「どんな風にっ?!」
彼の返事に思わず動きを止めて思わず顔を近づけてしまう。すると翔馬は「だって」と言葉を出した。
「俺だけの律だからね」
「ぇ…………」
「ごめんっ、言い過ぎ?」
「ぁ、もう一回」
「は?」
「今の、もう一回。言って」
「……」
「もう一回っ」
「俺…だけの律だから……ね?」
「…………うんっ! うんっ、そうだね…………」
律はその言葉を聞いて、ジーンと来てしまった……。そしてその答えとして深く頷くとニッコリとほほ笑んでいた。
「翔馬も、俺だけの翔馬だからね」
「ぉ…おぅ……」
「分かってる?」
「分かってるって」
「ほんとに?」
「ほんとっ」
「ほんとかなぁ……」
クスクス笑いながらも、それはちゃんと本当だと分かっている。
「付き合って記念日、何しようか?」とか、
「今日は何食べたい?」とか、
「残業あるの?」とか、
「寝ぼけてんなよっ!」とか、
「好き嫌い言うなっ!」とか、
「好きって言えよっ!」とか、他愛もない話がしたい。そんな意味も込めて律は言った。
「好きだよっ」
これまでも、これからも、ずっと。
終わり
20170127
タイトル「恋する欠片」
