タイトル「生徒と先生と友達と恋人」
つい最近まで冷たい風に身を縮めていたと言うのに、今日は春のようにうららかな日差しが降り注いでいる。永坂暢(ながさか みつる)は、マフラーを外しながら学校に向かって歩いていた。
彼は今度薪風学園(まきかぜがくえん)の二年生になる。茶色の巻き毛が印象的な生徒だった。細い体にしなやかに伸びた手足。おとなしそうな顔立ちは教師受けが良かった。
「おい、永坂。永坂暢」
後ろから呼ばれて振り返ると、そこには数学教師・奈良海渡(なら かいと)がいた。彼は教師と言うよりは、どちらかと言えばモデルとか美容師っぽい風貌をしていた。ただちゃんとスーツを着こなしているので、それよりも堅い仕事だろうと分かる。優しげな面持ちに素敵な笑顔。物腰も柔らかく誰にでも好かれる教師でもあった。
「ぁぁ。……おはようございます」
「お前のクラスのプリント。ほら、昨日した小テスト」
「はい」
「あれ、60点以下追試だから、みんなに伝えておいてくれ」
「俺が…ですか?!」
「そう。どうせ教室行くんだろ? 俺は今日、お前のクラスの授業ないんだから、お前が伝えておいてくれよ」
「えぇ〜………」
それでも嫌だな……と言う顔をしていると、歩を速めた奈良が暢の肩をガシッと組んできた。
「ちなみにお前は追試じゃない。まことに残念だ」
「………」
だから? と言う顔でさらに相手を見つめると、奈良はつまらなそうに肩で大きく息をついた。
「暢。もっと愛想よくしろ」
「出来ないっす」
「どうして?」
「どうしてもっ。だいたい朝っぱらから補習なんて、まだ頭回ってないんですっ」
「でも、昨日はあんなに恥じらいの顔を見せたくせに」
「っ……!」
バシッ! と肩にある手を叩き払うと、暢の顔が真っ赤になっていた。
「事実ですが、何か?」
「朝からっ……、こんなところでそんなこと言うなっ!!」
「でも事実ですからっ」
ニヤッとした奈良がもう一度暢の肩を抱きながら顔をのぞき込んでくる。暢は唇を噛み締めてチラッと奈良を見るとグイッと相手を押しのけた。
「ばっか!! 言うなって言ってるだろっ! これ以上言うと」
「もう相手してやんないぞっ?」
「………」
「分かった、分かった。俺はお前のこと好きだし、お前も俺の体は好きだろ?」
「………」
「じゃ。追試の件、みんなに伝えといてくれよっ」
ポンポンッと肩を叩くと足早に学校への道を進んでいってしまう。その背中を見つめながら暢はため息をつくしかなかった。
彼とは最初、学校で見かける程度の仲だった。だからまさかこんな仲になるとは思わなかったが………、なってしまったものはしょうがない。彼とは体の相性もいいし、何より何かを強要されないところが好きだ。酷い男は暢の容姿まで変えようとしてくる。それにはまっぴらごめんな暢だったが、彼は暢を暢として認めた上で付き合いたいと口説いてきたのだ。
教師と生徒。あまり身近な人間と係わりあいたくなかったが、何かが暢を引き付けた。
「あんな奴、どうってことないのに………」
口ではそんなこと言っても顔が少しばかりニヤけているのに気づく。暢はプルプルッと頭を振ると顔を引き締めたのだった。
〇
「遅いぞ」
「いつも通りだよ」
「でももうすぐ補習が始まる」
「………」
言ってきたのは、クラスメイトの勝野篤郎(かつの あつろう)だった。彼とは成績が同じくらいだったので、ことあるごとに同じ場所で会うようになり言葉を交わすようになった。外見はちょっとワイルドだが、悪い奴ではない。ただちょっとたまに、ホームレスと間違われる髪形をしているのが玉に傷な男だ。
毎朝、授業が始まる前にあるこの補習は、建前は自由参加だが本当は成績が半分以下の奴らは絶対的に受けなければならないものだったりする。暢と篤郎は成績的には『中の上』だったため受けなくても良いと言えば良いのだが、「これを事前に受けていると授業が楽にこなせるために受けたほうがいいですよ」と担任に進められた口だ。もちろん了承したのは本人ではない。三者面談で学校にきた親だったりする。
「そういえば昨日やった数学のテスト。60以下は追試なんだってよっ」
「えっ、マジか! 俺、あれヤバかったんだよなっ……。抜き打ちって卑怯だと思わないかっ?!」
「それを俺に言うな。俺が首謀者じゃない」
「だけどそれを今口にしたのはお前だろ。俺、追試だったら嫌だな……」
「この補習受けてりゃ、だいたい分かる内容だっただろ。大丈夫だよ」
「いや。そんなことはちゃんと点数を見てから言ってほしいな。俺はそんなに安易な言葉は信じないぞっ!」
「はいはい、そうですか。でも俺、ちゃんと数学係に伝えたからなっ。今のみんなに伝えろよ」
「ぇ………あっ! 俺、数学係かっ!」
「自分の係くらい覚えてろよ。忘れない内に朝のHRで伝えたら?」
「分かった分かった」
そっか。俺、数学係なんだ。てか、数学係だったわ……。
などと独り言を言う篤郎を横に、暢は補習用のノートと教科書を取り出して時間を確かめた。まだ先生が来るまでには数分時間があったが、その後暢は不意を突かれるはめになった。
時間になってガラリと戸を開けて教室に入ってきたのは、白衣を着た奈良だったのだ。
「ぁ………」
「今日は加藤先生がお休みなため、僕が代わって授業を行う。とは言っても補習なんでまずはプリントからだな。配って」
列の頭になる生徒の机にプリントを数枚づつ配って歩く。暢の前にもそれが配られ、それと同時に彼の匂いが鼻をくすぐった。
暢は上目使いでチラリと相手を見上げたが、彼はみんなにするのと同じ笑顔を暢に向けた。
早いからおかしいと思えば……。
「さて。それでは今から五分間で問題を解いてもらう。答え合わせをして、分からない問題についての質問を受け付ける。すべてがクリアな者に関しては、次のプリントを与える。じゃあ、行き渡ったかな。用意、始めっ!」
即座に場がシャーペンの音で溢れる。暢も例外なくその音を出している生徒だった。いつもと変わらない日常。ただ今日は教師が違うだけ。そう言い聞かせてプリントに見入る。ほんのちょっとだが、彼がそのことを教えてくれなかったのを残念に思う自分がいたのだった。
「さぁ。もうすぐ終わるぞ。後三十秒」
腕時計を見つめながら奈良が生徒の間を歩き回る。その時、手にしていたボールペンでチョンッと頭をつつかれた暢は思わず顔を上げた。奈良はその顔を見てにこやかにウインクをしてきたのだった。その顔を見た暢は、それだけでさっきの帳尻併せが出来たように幸せな気持ちになれた。まったくおかしなものだ。
〇
「やったぁ。俺、追試じゃなかったよぉぉっ!!」
「そっ。よかったじゃん」
「あれ、お前聞いてもいないのに、やけに余裕じゃん?」
「ああ。俺は今朝頼まれた時に聞いてるから」
「なーんだ。じゃあ、その時俺のも聞いておいてくれればよかったのにぃ」
「そんなこと言われてもなぁ……」
自分から聞いたわけではないので何とも言えない。
「でもふたりとも追試じゃなくて良かったじゃん」
「まあな。でもこのテストは追試でも成績には関係ないんだろ?」
「正式な試験じゃないからね。あっても微々たるもんだよ、きっと」
「だな。だったらそんなにピリピリしなくてもいいな」
「まあね。ただ繰り返しておかないと、次の試験に出る問題だから追試を受けさせるんじゃないのかな」
「ふん。いちいち面倒臭いな」
「たぶん先生は、わざわざやってくれてるんだと思うんだけどな」
「………お前って、随分先生のこと分かってるんだな」
不思議そうに聞いてくる篤郎にちょっとだけ焦りを見せる。
「ぇ……そっ…かなぁ……。そんなの当たり前って言うか…なんて言うか………」
あたふたしてしまったが、よく考えればそんなの誰にでも分かる。暢は出てもいない汗を手の甲で拭いながら、あらぬほうを向いたのだった。
「お前って奈良と親しいん?」
「……え?」
「だって今朝あいつに頼まれたんだろ?」
「ぁ、うん。学校に来る時に捕まっただけだよ。別に親しいわけじゃない」
「でもさ、わざわざ暢に頼まなくても補習の時、俺に言えば良かったんじゃないか?」
「ぅ…うーん……。それを俺に言われてもなぁ……。きっと係の奴、誰だか知らなかったんだよ。何せ本人だって言われるまで気づかなかったくらいなんだから」
「ぅ、うーん。それを言われると弱いな………」
バツが悪そうに頭をかく篤郎に、やっとホッと落ち着いた暢。二人はカバンを手にすると自分たちの教室に向かって歩きだしたのだった。
○
昼休みが終わりに近づいてきていた。週に三回。実験的に行われている昼寝タイムが始まろうとしていた。
「篤郎、先行ってて。俺、ここ寄ってから教室帰るから」
「ん? ああ、分かった」
上を見て納得した篤郎が「早く来いよ」と足早に立ち去る。暢は時間を気にしながらそこに入ると先客を探した。
「あれ、まだ来てないのか……」
場所はトイレ。しかもあまり人が来ないような場所にある男子トイレだった。暢は手を洗いながら鏡の前に立つと身なりを気にしていた。鏡を見ながら顔を右に左にと動かして最後に真正面から自分を見るとニッと白い歯を見せて笑ってみせてみた。
待つこと二分。もうそろそろ待っていられない。暢は冷たいタイルにつけていた背中を離すと出入り口から出て行こうとした。数歩歩けば廊下に出る。最後の一歩で廊下に出るところで相手と鉢合わせになる形で待ち人が到着した。
「ぅおっ」
「遅い。俺もう行かなきゃ」
「悪い。でも俺にだって立場ってものがあるんだ。何でこんな遠い場所指定してくるわけさ」
言いながらトイレに足が逆戻りしている。と言うより、相手に押されてそうなってしまっているだけだが。暢は仏頂面で相手を見上げた。
「俺たちの関係、誰かに見つかってもいいんなら、もっと大胆に会ってもいいんだよ?」
「お前、脅すのウマいなぁ。先生負けちゃいそうだよ」
肩を掴まれておデコにキスをされる。それをわざと邪険にあしらって暢は体を離した。
「海渡にはガッカリだな。いつもそうやってごまかしにかかる。俺、そういうの嫌いだな」
「何怒ってるんだ」
「俺、もう行くよ。時間ないんだ」
「じゃあ一分だけ。抱かせてくれ」
「やだっ」
「ケチ」
「ぁっ…!」
嫌だと言っているのに放してもらえなくて、そのまま抱き締められる。髪にほお擦りされると仕方なく暢は体の力を抜いた。
「俺、疑われたんだぜ?」
「何が?」
「お前が今朝あんなこと頼むから」
「全然自然だろ?」
「普通はそうだと思うけど、篤郎は勘がいいんだ」
「だから疑われた?」
「うん」
「そうじゃないだろう。疑われた気になった、んじゃないのかな?」
「………何とでも言えっ。俺は学校じゃ生徒と教師でいたいんだ」
「じゃあ、もうこんなところじゃ会えないな」
「用事があれば会う」
「今日はその用事だよな? だったらふて腐れるな」
「………」
「ごめん。先生が悪かった。許してくれ」
「どうしようかな。先生は話があるってだけで生徒に抱き着いてくるし」
「許してくれないとチュウしちゃうぞ?」
「これ以上やるって? ここで?!」
「………暢が嫌ならやめる…………」
名残惜しそうに背中に回した手を放す。とたんに萎えてしまった奈良に、大きくため息をついた暢は仁王立ちになって相手を制した。
「ばっか。俺たち別に付き合ってるわけじゃなし、お前だって今朝言ったじゃん。俺の体が好きだろうって」
「それは…」
「そうだよ。俺、お前の体結構好きだよ。相性いいし。だけど恋人じゃないんだからなっ」
「じゃあ……お前にとって俺って……ただの…セフレ?」
「だろ? だから疑いがかかるようなこと俺にさせるな」
「………俺は、お前のことセフレとか思ってないんだけど」
「ぇ、それ以下ってこと?!」
「いや、そうじゃなくて………。普通逆だろ」
「逆? 何それ」
「俺は、お前とちゃんと付き合ってるつもりでいるんだけど。それじゃ駄目なのかな」
「ぇ…」
付き合ってると言う言葉に暢が固まる。まさかそんなこと相手が言うとは思わなくて、暢は目を丸くしてマジマジと相手を見つめた。
「マジ? マジでそんなこと言ってるの?」
「重荷か?」
「重荷……って言うか何て言うか………」
そんなことを面と向かって言われたのは初めてだった。暢はうつむいて考え込んでしまった。
これは…良いことなんだろうか、それとも悪いことなんだろうか……。
「今日も明日も明後日も、仕事じゃなくて毎日お前に会いたい。こんな些細な呼び出しにも浮かれちゃうくらいお前のことが好きなんだけど……俺じゃ駄目か?」
「駄目じゃないよ。駄目じゃないけど……………」
「どう返事をしたらいいのか分からない?」
「うんまぁ…」
「そしたらいいこと教えてやろう。とりあえず『いいよ』って言うんだ。で、嫌になったら『やっぱりやめた』って言えばいい」
「………ずいぶんいい加減なこと言うんだな」
「それが俺のいいところだろ?」
ニコッと笑って言われると笑い返さずにいられなくなる。
「『やっぱりやめた』って言われたらどうするつもりなんだよ」
「それは今考えてない。俺、お前を独り占めしたい気持ちでいっぱいだから」
「ふんっ…」
言われた言葉を噛み締めると恥ずかしくなってしまいそうになるくらい甘い。暢はちゃんとした返事が欲しくて顔をのぞき込んでくる奈良に背を向けると呼吸を整えようとした。
俺…今告白されてるんだ………。
考えれば考えれるほどピンッとこないのだが、答えは当に決まっている。だけどすぐに答えるのは癪に障るので、暢はクルリと後ろを向くと手を後ろにやってニッコリとほほ笑んだ。
「だーめッ!」
「ぇ………」
「もっと俺、海渡のこと好きになってから正式に付き合いたいと思う。だからそれまではいいよって言わないっ」
「それって、どういうことだ?」
「ゲンジョーイジ」
「現状…維持……?」
「うん」
「………」
なんだそれ……と奈良が困惑ぎみに片眉を吊り上げで腕組みをする。
「ばーかっ! だから先生は駄目なんだって。俺を独り占めするには、まだ早いっ。まだまだ俺は俺のしたいようにするよっ!」
ふふんっ…としたり顔をして奈良を押しのけるとトイレから出て行こうとする。その時校内のチャイムがピンポンパンポーンと寝ぼけたように鳴り響いた。
「あーっ!!!」
「ぁ…」
「まったくもう、何が一分だっ!! 先生のせいで昼寝タイムさぼったことになっちゃったじゃないかっ!! どうしてくれるんだよっー!!」
「すまん……」
「じゃ。俺行くからっ!」
「ぁ。で、用事っていったい何だったんだっ?!」
「だから言ったじゃん、疑われたって。先生ボケたの?! じゃねっ!」
手を振るのももどかしく時間を気にして走りだす。一足遅れてトイレから出てきた奈良が「おいっ!」と後ろから声をかけてきた。それに振り向いて「なに?!」と大声をあげる。
「先生に何か言われたら、俺が引き留めたって言えよっ!」
「…………分かってるっ!」
ニカッと笑った暢は大きく手を振ると自分の教室に向かって走りだした。走りながら緩めた頬が直らない。暢は嬉しさが収まらずに勢いをつけて天井に届くくらい高くジャンプしたのだった。
好きだって! 付き合ってるつもりだって! 俺が、先生と?! 嘘みたいっ……なホントの話かっ!
「ふふふっ…」
でもまだ俺、好って言ってやんないよっ!
先生が俺を好きってよりも、俺が先生を好きってほうが大きい感じがするから。
終わり
20110303
タイトル「生徒と先生と友達と恋人」