タイトル「奴隷がひとり」
とあるバーに行った。そこでブラックチェリーダイアモンドと言うカクテルを注文すると、それが合図だと教わった。
「マスター」
「はい。何にいたしますか?」
「……ブラックチェリーダイアモンドを」
「……かしこまりました」
しばらくすると本当に黒っぽい赤色のジュースみたいにも見えるカクテルが目の前に出された。猿渡和政(さわたり かずまさ)はゴクリと生唾を飲み込むとそれに手を伸ばした。一口飲んでみて甘い中にも酸っぱみがあって飲み易いカクテルだった。
手持ち無沙汰だったせいもあってもう一口、それを口にする。元々カクテルなんて興味がないし、酒自体も弱いからこんなところには来たこともない。だけど今日は特別たから仕方ないのだ。
合図。それは自分の人生を変えてしまうかもしれないほどのものだった。小耳に挟んだのは昨日のことだ。
『狩り系のボーイズが子鹿を探している』
最初は何のことだが分からなかった。聞いたのは会社が終わってから来ていた女王様の小部屋にいた時だ。猿渡は時々こうして女王様にいたぶってもらっては喜びを得ていた。だけど最近物足りない。それを女王様であるシノに見破られていた。
『行って来なさい』
『ぇ…でも……』
『サワ。いい? これは命令なの』
『命令……?』
『そう。行って、グチャグチャズブズブにされて。それを全部私に報告しなさい』
『ぅ…』
すぐには返事は出来なかった。確かに今までシノには色々されてきた。だから後ろもしっかり開発されていて、偽物の男根とか入れられてきた。でもそれはあくまでも偽物であって本物じゃない。だからそう簡単に言われても……と、不安しか浮かばなかった。だけどシノは一度口にしたことを撤回するなんてするはずもなくて…猿渡はそれに従うしかなかった。
『ここに行って、ブラックチェリーダイアモンドってカクテルを頼んで』
『……』
『返事は?!』
『…はっ、はい』
『そこに相手がいればすぐに接触して来るわ』
『接触って……。誰が……?』
『聞いてなかった? 狩りをするのが大好きなホーイズがいるの。あんたはその餌食になる子鹿。しっかりいたぶられてらっしゃい』
『……』
『返事はっ?!』
『……はぃ…』
男に……。ひとりだけじゃなく何人もの男にされに行くだなんて……。
これから自分がしなければならないことを考えると思わず身震いしてしまう。だけどそれは嫌悪からじゃなくて……どちらかと言えば興奮だ。不安ももちろんある。だけどもしそれが良かったら……自分はもっと何かいけない世界にどっぷり浸かってしまうような気がしてならなかったのだった。
『着いた………』
それでもしばらくは店に入れなかった。そこで立ち往生するわけにもいかないので店の前を通り過ぎる。そしてある程度行くと引き返してまた店の前を通り過ぎる。そんなことを数回繰り返してやっと心を決めた猿渡は店のドアを開いたのだった。
○
「君が?」
「ぇ…?」
「俺を呼んだの?」
「……」
「そのカクテルのこと、誰に聞いた?」
「あっ…あの……」
あまりに唐突に隣に現れた男に口ごもる。
この男が……?!
驚きしかなかった。どこにでもいる…と言うよりは、むしろ上質。雑誌に出ていてもおかしくはない容姿に言葉が詰まった。
「中町…にある女王様の小部屋のシノ様からのご用命で………」
「………ああ。なんかさっきメール来てたな」
「メール?」
「ああ。開花させろって要求メールが来てた。するしないはこっち次第、とも書いてあった。あんたにその気、ありますか?」
「だっ…だってこれはシノ様の命令ですから……」
「でも決めるのはあんた自身だよ」
「……」
それは…そうだ……。
「俺は、この場に来ましたよ。ここから。どうするかは、今、あんたが決めるといいよ」
「……」
「どうする? 俺は同じタイプの後輩とふたりで動いてる。でもふたりとも同じタイプだから慰め合うことも出来やしない。網は張っているが満たされてはいない男だ」
「ぁ…あのっ……。僕は……おふたりと……?」
「ああ。でもそんなに緊張するようなことじゃない。シノと経験があるのならなおさらだ」
「………」
「行くか? 行かないか? 今決めてくれ」
男は立ち上がって尋ねてきた。
「…………」
猿渡の心は決まっていた。ただ返事にならなかっただけだ。男が返事をしない猿渡を残して踵を返す。一歩、踏み出した時に猿渡も立ち上がった。
「ごちそうさま」
カウンターに金を置き、彼に続く。もう後戻りは出来ない。
終わり
タイトル「奴隷がひとり」
20130622
